マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

100分de名著・・・『生の短さについて』 そして 『わたしについて書いてある事柄はすべて実現する。』・・・『イエスの復活』・・・『あなたがたはこれらのことの証人となる。』

2021-04-08 10:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
4月8日。木曜日。晴れ。


NHKテレビ:『100分de名著』
大好きで、録画して、後ほどにゆっくり見ます。
前もって、月毎に読まれる『名著』を購入
予習をしておきます。 楽しさが倍になる。



             『生の短さについて』
        
      『生は浪費すれば短いが、 活用すれば十分に長い』

      2020年ほどの前も、今も、人の考えることは同じだと、
                改めて思い知る。


ところが・・・
先月は 月一冊ではなく 毎週一冊ずつで、
月四冊の『名著』を読みこなした先月の番組。
予習が間に合わなくて・・・
復習となってしまった一冊です。



                  『温故知新』
古典はそのままでは死物だが、 今を生きる者が温めて、 生きたものになっていく。

   
       作者の・・・    『ルキウス・アンナエウス・セネガ』
       
                               プラド美術館

                 お顔が、いと良い。

          生誕:紀元前1年頃  ~ 没:65年 4月
 ユリウス・クラウディウス朝時代(紀元前27年 - 紀元後68年)のローマ帝国の 政治家、哲学者、詩人。
第5代ローマ皇帝ネロの、 幼少期の家庭教師としても知られ、 又  治世初期にはブレーンとして支えた。
ストア派哲学者としても著名で、 多くの悲劇・著作を記し、 ラテン文学の白銀期を代表する人物と位置付けられる。


      セネガの66年の『集大成本』が、 現在を生きる私に問いかけてくる。


             私は、古典と哲学が好き。
    好きが高じて、60歳になって、大学哲学科の聴講生になった。
        若者と熟年者の学びの喜び、の違いを知った。
         人格の形成の喜び と 人格の熟成の喜び
             の違いだろうか。

     今日も、私は、 『100分de名著』に強制されて? 本を読み続けます。
                 感謝!感謝!
       

そして。

今日は4月8日。復活の木曜日。

『今日の入祭唱』

   『神よ、 死の国から救われた人々は、 聖なる御名をたたえて歌う。
     知恵が、口のきけない者の口を開き、 幼児にも語らせた。』

          知恵の書 10章20-21節


『今日の福音 イエスの御言葉』


   『そのとき、 エルサレムに戻った(エマオの道の)二人の弟子は、
 
  道で起こったことや、
  パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。

こういうことを話していると、
         イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、
 
      「あなたがたに平和があるように」  と言われた。
     彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。


そこで、イエスは言われた。
 「なぜ、うろたえているのか。 どうして心に疑いを起こすのか。
  
           わたしの手や足を見なさい。
       まさしくわたしだ。 触ってよく見なさい。


亡霊には肉も骨もないが、 あなたがたに見えるとおり、 わたしにはそれがある。」
      こう言って、イエスは手と足をお見せになった。


彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、
    イエスは、
     「ここに何か食べ物があるか」 と言われた。
  
      そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、
    イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。

イエスは言われた。
「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、
          必ずすべて実現する。

 
       『律法と預言書について話すイエス・キリスト』

これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」


   そしてイエスは、 
    聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、 言われた。

      「次のように書いてある。
  『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。
   また、
罪の赦しを得させる悔い改めが、 その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』
 と。

エルサレムから始めて、 あなたがたはこれらのことの証人となる。」』
         ルカ福音書 24章35-48節


  復活したイエス様は、 色々の方法で、 弟子たちの信仰 を確かにしていかれます。


最初に、

 墓から復活した朝、 
        婦人に現われ、
 
  話しかけました。頼み事をしました。

次に、

   復活の朝、婦人と出会った後に、
    イエスの死に絶望してエマオへ帰る二人の弟子に現われ、 
   
       共に歩き共に食事をして、 信仰を確信させました。

更に、
復活の夜、

エマオから走り戻った二人の弟子の証言を聞く11人の弟子たちに現われ、
       聖痕のついた手足を見せ、 魚を食べて、 
     
           聖書の言葉を説明なさり、
      復活後も 『生きているイエス』 を確信させました。


『信仰』とは、 イエスが今も生きておられ、いつも一緒にいてくださる、 事実を信じることです。
復活後にご自身を現されたイエス様は、 生前に弟子たちと共にいたイエス様、 そのものです。



    弟子たちは、
     イエス様から『信仰』を確かにされて、
      『イエスの復活の証人』 となり、 『事実』を人に伝える、 『使命』を受けたのです。


私たちも、
お姿は見えなくても
一緒にいてくださるイエス様を
信じることができるようになりたいものですね。
お祈りいたしましょう。


『今日の拝領唱』

   『あなたがたは、 選ばれた民、聖なる国民、 神のものとなった民です。
 それは、あなたがたを暗闇から光に招き入れてくださった方を、広く伝えるためなのです。』

         ペトロの手紙Ⅰ 2章9節
            

皆様!
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