マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

神よ、わたしをあなたの平和の使いにして下さい・・・『アシジの聖フランシスコの祈り』 そして 聖パウロ・・・『神の選んだ器』

2018-04-20 04:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
我が家の居間にかかる自作タペストリー『掛け軸』

    『アシジの聖フランシスコの 平和を願う祈り』 
 
 
   『神よ、わたしをあなたの平和の使いにして下さい。』

  

   神よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
   憎しみのあるところに、愛を
   いさかいのあるところに、ゆるしを
   分裂のあるところに、一致を
   迷いのあるところに、信仰を
   誤りのあるところに、真理を
   絶望のあるところに、希望を
   悲しみのあるところに、喜びを
   闇のあるところに、光をもたらすことができますように。


   神よ、わたしに、
   慰められるよりも、慰めることを、
   理解されることよりも、理解することを、
   愛されるよりも、愛することを 望ませてください。


   自分を捨てて初めて自分を見いだし、
   ゆるしてこそゆるされ、
   死ぬことによってのみ、永遠のいのちによみがえることを 深く悟らせてください。

  
イタリア・アッシジの『サン・フランチェスコ聖堂』を訪れた時の『感動』を、『掛け軸』にしました。
   下絵を画いてみて…布地に図柄を画いて…刺繍をほどこしました。

      あの時の『感動』を、私は『体現』できているだろうか?


そして。

今日は4月20日。復活節第三金曜日。

『今日の第一朗読 使徒たちの宣教 使徒パウロの回心

『その日、
サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。
それは、
この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。

ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。
      サウロは地に倒れ、
  「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」 と呼びかける声を聞いた。

 
 『パウロの回心』   ピエトロ・ダ・コルトーナ作品 1631年

     「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。

      「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
  起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」


    サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。
人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。

      ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。
幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」 と言った。

      すると、主は言われた。
「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。       
今、彼は祈っている。
アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」



      しかし、アナニアは答えた。
「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。
   ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」



      すると、主は言われた。
  「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、
    わたしが選んだ器である。
わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」



そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。

  
  『パウロの目を開けるアナニア』   上から『聖霊』が照らします。

  「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、
あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」


    すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。
  そこで身を起こして洗礼を受け食事をして元気を取り戻した。

      サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、
すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。』
                     使徒言行録 9章1-20節


  『使徒聖パウロ』
  初期キリスト教の使徒で、新約聖書の著者の一人。
 
 『執筆中のパウロ』     ニコラ・トゥルニエ作品 1620年

はじめはイエスの信徒を迫害していたが、回心してキリスト教徒となり、キリスト教発展の基礎を作った。
古代ローマの属州キリキアの州都タルソス(今のトルコ中南部メルスィン県のタルスス)生まれのユダヤ人。

  
まずは。

   聖ペテロの 『ユダヤ教徒時代』

パウロの職業はテント職人で、生まれつきのローマ市民権保持者でもあった。
ファリサイ派に属し、エルサレムにて高名なラビであるガマリエル1世のもとで学んだ。
熱心なユダヤ教徒の立場から、初めはキリスト教徒を迫害する側についていた。
使徒の中で、一番目の殉教者となったステファノを殺すことにも賛成していた。


そして。
イエスキリストの昇天後…『聖霊の時代』の始まりです。


次に。

  聖ペテロの 『キリスト教徒時代』 が始まります。


   パウロの大きな出来事: 『サウロの回心』 が起きます。


   ダマスコへの途上において・・・
「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と、天からの光とともに、イエス・キリストの声を聞いたのです。
   その後、目が見えなくなった。
アナニアというキリスト教徒が『神のお告げ』によってサウロのために祈ると・・・
  サウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになった。

   こうしてパウロ(サウロ)はキリスト教徒となったのです。


   『回心後のパウロの伝道活動』


  パウロは、異邦人への宣教者として、教会共同体から、派遣されるのです。

その後・・・
かつてさんざん迫害していた使徒たちに、受け入れられます。
やがて・・・
アンティオキアを拠点として。 小アジア、マケドニアなどローマ帝国領内へ赴き、
会堂(シナゴーグ)を拠点にしながら、バルナバやテモテやマルコといった弟子や協力者と共に、布教活動を行ったのです。

   
 『ペテロとパウロ』       エル・グレコ作品


ペテロは、イスラエルという囲いを取り除いて、最初の異邦人を信徒の共同体に受け入れます。
パウロは、バルナバと、小アジアの各地を巡り歩いて、ユダヤ人にも異邦人にも福音を宣べ伝えます。


  3回の伝道旅行を行ったのち、エルサレムで捕縛され、裁判のためローマに送られた。
  皇帝ネロのとき、60年代後半にローマで、斬首されて殉教。



『今日の答唱詩編』

『すべての国よ、主を讃美せよ。主の愛しみとまことは、わたしたちを超えて力強い。』
 詩編117章


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
日々…感動していたい。『感動とは感じて動くこと』とは、相田みつおの『言葉』。
私は、感動して…感じて動き…感動を体現できているだろうか? 週末の日々が穏やかでありますように。お元気で!

初夏の到来。 そして 聖霊による新しい時代の到来・・・『エチオピアの人の宦官の洗礼』

2018-04-19 15:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
夏日を迎える季節となりました。

我が家の庭にも初夏の到来。

  『新緑』
 

   最後の花を咲かせる 『八重桜』
 

 端午の節句で・・・   『菖蒲』
 

 足もとに楚々と・・・   『都忘れ』
 

街中の街路樹も、我が家も・・・   『ツツジ』
 
  

       美しい季節の到来に、心がウキウキしますね。


そして。

今日は4月19日。復活節第三木曜日。

『今日の入祭唱』

『主に向かってわたしは歌おう。主は大いなる威光を現された。主はわたしの力、わたしの救い。アレルヤ。』 出エジプト記 15章1&2節

   主に向かって私は歌おう。主は今年も花を咲かせ、私をいやす。 ←自作自演で歌っています。

『今日の第一朗読 使徒たちの宣教』

      主の天使はフィリッポに
  「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザに下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。

      フィリッポはすぐに出かけて行った。

折から、
エチオピアあの女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していたエチオピア人の宦官が、
エルサレムに礼拝に来て、帰る途中であった。

    彼は、馬車に乗って、預言者イザヤの書を朗読していた。

すると、
    ”霊”がフィリッポに「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」 と言った。

   フィリッポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので


     「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。

  宦官は「手引きをしてくれる人がなければ、どうしてわかりましょう」 と言い、
         馬車に乗ってそばに座るようにフィリッポに頼んだ。
 

彼が朗読していた聖書の個所はこれである。

     「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。
     毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。
     卑しめられて、その裁きも行われなかった。
     だれが、その子孫について語れるだろう。
     彼の命は地上から取り去られるからだ。」


宦官はフィリポに言った。

  「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。    
      自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」


そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。

道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。

   宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」


そして、車を止めさせた。
  フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。
 

   彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。
   宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。


        フィリポはアゾトに姿を現した。
  そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。』
               使徒言行録 8章26-40節


今日の第一朗読は、
 映像を見ているような、使徒フィリッポのダイナミックな宣教の日々、が目に浮かびますね。



     フィリポは、
  福音宣教者 又は 伝道者です。新約聖書『使徒行伝』に登場する初期のキリスト教徒です。
  エルサレム教会の執事に選ばれた、ギリシャ語を話すユダヤ人の七人の弟子の一人です。
   ステファノ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、ニコラオと共に選ばれて、
      ギリシャ語を話すユダヤ人の世話を任されました。

      仲間のステファノの殉教後(後35年〜6年頃)・・・
      サマリアに宣教し、多くの信徒が生まれました。


そんなある日。


神の御使いはフィリポに、「エルサレムからガザへ下る道に行け」 と命じました。
『ガザ』(現代のパレスチナ人の自治区のガザ)は、道はは寂しく、荒れ果てた道でした。

    どうして?なぜ? そんな『ガザ』に行け、と天使は命じたのでしょうか?

        それは、たった一人の人を救うためでした。
 エルサレムへの巡礼の帰路のエチオピアの宦官を救うために、フィリポはそこへと遣わされたのです。


       フィリッポは、聖霊に示され・・・
イザヤ書を読んでいたエチオピアの女王に仕える宦官に、『イエスの教え』を伝えて、洗礼を授けました。


 
       この宦官が洗礼を受けた最初の非ユダヤ人となりました。

以前。イザヤは預言しているのです。

       『宦官』=『最初の救われる非ユダヤ人』 として。 

『主はこう言われる。
 宦官が、わたしの安息日を常に守り、わたしの望むことを選び、わたしの契約を固く守るなら、
わたしは彼らのために、とこしえの名を与え、息子、娘を持つにまさる記念の名を、わたしの家、わたしの城壁に刻む。
      その名は決して消し去られることがない。』
 イザヤ書 56章4&5節、


    このエチオピアの宦官は、ユダヤ教に強く心をひかれた、神を敬う人でした
  それで、はるばる千数百キロ以上もあるエルサレム神殿まで、巡礼の旅に出たのでした。
    しかし、救いの確信が得られないまま、帰途についたようです。
  その帰路、馬車に乗って、『預言者イザヤの書』 を朗読していました。


     神は、この宦官をお見捨てにはなさいませんでした。
 神は、人の熱心な求めを知っておられ、必ず、それに応えられる方なのです。
     神は、人類の一人一人を愛し、慈しまれる御方なのです。



    聖霊が、フィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」 と言ったのです。 
フリッポは、すぐに、迷うことなく、『聖霊の言葉』に従いました。

   
     宦官は、フィリポの『聖書の手引き』を聴いて・・・
  疑問が解けました。 イザヤの預言は『イエス』についてであったことを理解したのです。
      『イエス』が、宦官のために十字架に架かり、
 『イエス』が受けた懲らしめによって、宦官の罪が赦され、救われること。 が分かったのです。


 フィリッポは、
イエス誕生の約五百年も前に、イザヤは、『苦難のしもべとしてのキリスト』を預言していたことを告げたのです。



   宦官は、イエス・キリストを信じる『信仰』が与えられ、洗礼へと導かれました。

宦官は車を止めさせました。
  フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けました。
     
     『宦官の洗礼』          レンブラント画 1626年

  フィリポが宦官に洗礼を授け、水の中から上がると、『主の霊』がフィリポを連れ去りました。

     
  それらの起こった出来事は、『聖霊による恵み』によるものでした。  



『今日の第一朗読』は・・・

   イエスの受難と死と復活後・・・
『神の救い』の計画が、聖霊の働きによって徐々に実現し、広まり、聖霊による『新しい時代』に入ったことを告げています。


        その後。
  フィリッポは、アゾトを経由し、各地で宣教を行いながら、カイサリアまで行ったのです。
     フィリポはカイサリアに定住し・・・
後年、パウロらがカイサリヤのフィリポの家に滞在しました。フィリポには、皆預言者である4人の娘がありました。


今日は、
 『異邦人の救い』は、人間の業によるのではなく、『神の業』『神の計画』である。 ことを学びました。

  神は、救いを求める者を、お見捨てになることなく、必ず救ってくださる方。 だとも学びました。

                      感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
美しい季節になりましたね。 散歩しながら、花々を愛で、癒されましょう! お元気で!

*****
運動。朝6時では日焼け止めが必要になってきた。明日から5時がいいかな? 速歩…77分。9801歩。

父母の思い出・・・『牡丹』 そして 『神の御心は、皆が永遠の命を得、終わりの日に復活することです。』

2018-04-18 09:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
父母が懐かしい。子は親に似る。第二弾。 第一弾はこちら

  立てば芍薬、座れば・・・   『牡丹』
  
  庭に咲いたあでやかな一輪。   
     牡丹の色紙の前に飾りました。


考えてみるに・・・

私が『牡丹』をこんなに大切に思うのは、
母が、春の父母の庭で咲く牡丹を大切にして、咲いた牡丹が痛まないように傘をかけてあげていたのを思い出すからかもしれない。

母は、毎年咲く花々を大切にしていた。美しく咲いた牡丹の命を破壊してしまうと、切り花にすることはなかった。
    花好き父母に似た私。 懐かしい故郷も父母も私の心の中にある。


   気品と風格を漂わせてる『牡丹』を見ながら、母の天性の品格を思い出した一日でした。



そして。

今日は4月18日。復活節第三水曜日。

『今日の入祭唱』

『わたしの口は賛美に満たされ、昼も夜も神の栄光を歌う。
   神に救われたわたしは、声高らかに喜びの歌を歌う。アレルヤ。』 詩篇71章8章&23節


『今日の福音 イエスの御言葉』

『イエスは人々に言われた。

「わたしが命のパンである。
 わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。


わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためでなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。

私をお遣わしになった方の御心とは、私に与えて下さった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。

わたしの父の御心は
子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、私がその人を終わりの日に復活させることだからである。」』

                     ヨハネ福音書 6章35-40節


使徒パウロは、宣言しました。

  『キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
     かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。
  人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。』
             使徒パウロのフィリピの信徒への手紙 2章6-8節

 
 キリストは、神の身でありながら・・・
   『御父・神の御心=人類の救い』を実現するために、地上に降って来られたのです。
  
  『イエスの降誕』

    イエスの『神の御心』への従順は、十字架の死に至るまで従順でした。

更に。

使徒パウロは、宣言しました。

     『イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、
 民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。
事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。』
  
  『聖家族のエジプト逃亡』     
               使徒パウロのヘブライ人への手紙 2章17&18節


   キリストは、神の子であありながら・・・
    『民の罪を償う』ために、この世に降ってきました。
  しかも、当時、この世で一番身分の低い者の仕事人であるヨゼフの元に生まれたのです。
  
  『大工の養父ヨセフとイエス』

     イエスは、社会のどん底の生活を体験して、
 試練を受けている人々の苦しみを理解し・・・助けることがおできになるのです。
 どんな立場の人をも理解し・・・一人一人の人の立場でものを考えることがおできになるのです。



続けて。

使徒パウロは、宣言するのです。

     『この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、
 罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
   だから、
憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。』
               使徒パウロのヘブライ人への手紙第 4章15&16節  


   キリストは、大祭司として・・・
     あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
  
         だから、人々の苦しみをすべて理解することがおできになるのです。

   人間の魂の痛み。弱さ。欠点。不安。・・・に同情することができるのです。
   人間の苦しみ。悩み。理不尽。涙。・・・・に共感することができるのです。




  だから今!
  憐れみを受け、恵みにあずかって、
  時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか!


  自ら、試練と非常な苦しみを体験された主イエス様は、
  試練にあえいでいる私たちの苦しみをよく理解して、実にみごとに助けてくださるのです!



『今日の拝領唱』

『主は、十字架の血によってわたしたちをあがない、復活して、新しい命を与えて下さった。アレルヤ。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
子は親に似る。似られても恥しくない親でいたいですね。頑張りましょう! お元気で!

優勝・・・『すき焼き肉500g』 そして 『神のパンは、世に命を与える者である。』

2018-04-17 20:09:12 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日は、夫はゴルフ。妻は読書。

 実力が成せる・・・  『優勝』
 
 『高級牛肉500g』          嬉しいですね。

   夫のゴルフの腕は、”優勝は当たり前”と思わせる程に、安定した腕前である。


夫のゴルフの『技術』を習得するための30代40代の『並々ならぬ努力』を、妻の私は知っている。
 更に。
その修得した技術を向上するための50代以降の、夫の『平常心を保つ心の強さ』は、尊敬に値する。



一方。

   ダビデの子ソロモン
  
  『神の知恵』がそのうちにある、『知恵に満ちた賢明な心』の持ち主でした。
          列王記上 3章12&28節


  そのソロモンの『名声』を聞き、疑問をもって彼を試そうとして、
     シェバの女王はやってきた。

  
  その結果。
『あなたをイスラエルの王位につけることをお望みになったあなたの神、主はたたえられますように。
   主はとこしえにイスラエルを愛し、あなたを王とし、公正と正義を行わせているからです。』
 
      と。 シェバの女王はソロモン王の前に平伏した

            列王記上 10章1-9節

   
考えてみるに・・・

(夫の)『技術』 と (ソロモン王の)『知恵』とは、人の目には同じように見えても、全くの別物である。 ということです。


 『技術』は、神から与えられた強い意志を持って、『自らの努力』によって獲得するものである。
  一方。
 『知恵』は、神が選んだ者の手によって、イスラエル王国を揺るぎないものとするために、神がお与えになるものである。
                    列王記上 2章46-3章

                           
   私たちも、神からの『知恵』を頂くために、ソロモン王のように、『神の御旨』 に従順でありましょう! 


   『主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。』 箴言1章7節



そして。

今日は4月17日。復活節第三火曜日。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『イエスは群衆に言った。

「わたしの父が天からの真のパンをお与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」

   そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつも私たちにください」と言うと、

 イエスは言われた。

「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」』
                      ヨハネ福音書 6章30-35節


神は、
『すべての人の救い』を望んであられることを教えるために、御子イエス選び、世に遣わされました。
   神がなさることはすべて、『私たち人類の幸せ』 のためです。

イエスは
神から遣わされて、『神の望み=人類すべての人の救い』を実行するために、『愛』を示して下さいました。
神から遣わされた方であり、『神の愛』を示し私たちの模範となった方であり、イエスに私たちはついていくのです。



     『神の言葉=イエス』は、信じる人に、『糧』 として与えられる。
       そして。
  『イエスの体=イエス』は、それを食べる者に、『永遠の命』 が与えられるのです。



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の生涯続けていけるような得意技は何ですか? 
それは、努力する過程で、神が助けてくれて身につくようですよ。 お元気で!

人間ドック・・・『祝宴』 そして 『永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。』

2018-04-16 13:00:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
隔年行事の人間ドック。


 今日は結果発表日で・・・   『祝宴』

『赤飯と祝杯』

「ポリープがありましたので取り除きまして精密検査をします」と、大腸内視鏡検査後の医者の言葉でした。
    
  30代の若かりし頃の検査の折にも、ポリープ削除の経験はありました。
  でも。
  歳を重ねてた今、結果発表を緊張して待った。

結果発表の順番を待つ間に、考えました。
”問題なかった場合は、残された寿命をおろそかにはできない。神が与えて下さる使命に忠実に従おう。”
 と。

結果は・・・
大腸。胃。子宮。乳。脳。・・・すべてがクリア-でした。「2年後に又。」と医者。 ほっとしました。

とりあえず・・・
My書斎の窓から見える『満開の八重桜』を眺めながら…『祝宴』を開いた。 夫は今日は留守。
                          神に感謝!


そして。

今日は4月16日。復活節第三月曜日。

『今日の入祭唱』

   『主はよい牧者、羊を守り、群れのために命をささげられた。アレルヤ。』

 
 『夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い』             ミレー作品 
                  ミレー中期の代表作で、この頃より、ミレーの絵は美しさを追求し、穏やかになっていきます。


『今日の福音 イエスの御言葉』

    『イエスが五千人の人々に食べ物をお与えになった。
 
     その翌日、群衆は、イエスを探し求めてカファナウムに来た。

イエスは言われた。

「あなたがたがわたしを探しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。
朽ちる食べ物のためでなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。
   これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。」』

            ヨハネ福音書 6章22-29節


   イエスの下さった『パン』は、『イエスの人格』 を表す 『しるし』 です。

ところが。
群衆はイエスを捜していますが…イエスが誰であるかを考えず、ただ不思議なことをなさったイエスを捜しているのです。


   イエスが与える『パン』は、『朽ちることのないパン』=『永遠の命を与えるパン』 です

つまり。
イエスが要求なさるのは・・・
イエスがなさることにおいて『神の業』を見ること。『イエスは神から遣わされた方』と認めること。『イエスを信じる』こと。 です。


  イエスの下さる『パン』は、イエスが救い主である『しるし』です。

すなわち。
人々は、『命を与えるパン』=『愛をもたらすパン』=『イエス・キリスト』 を捜す必要があるのです。


  イエスが与える『パン』は、『神だけが与えることのできるパン』 なのです。


結論は。
イエスは、
『神からのパン』 を与えるために、 又 
『神が本当の父』『神は私たち一人一人を愛している父』『神は赦してくださる父』、 であることを教えるために、
     ・・・神からこの世に遣わされたのです。



私たちも、
イエスが望まれたように、
朽ちるパンのためではなく、『神から遣わされた方:イエス』を信じる『信仰』 が深くなるように働きましょう!祈りましょう!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人は願っても、体は弱っていきますよね。 でも、心だけはいつまでも強くいたいものですね。 お元気で!

試飲会・・・『百黙(一言)』 そして 『あなたがたに平和があるように。』

2018-04-15 10:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
近所のデパートで『試飲会』

 飲んでみました・・・   『百黙』
 
130年ぶりの新ブランド『百黙』。 動き出した菊正宗の、自称『冷酒で一番おいしい日本酒』

1886年以来・・・
130年間もの間、菊正宗酒造は、愛飲家たちに『辛口と言えばキクマサ』と言わしめ続けてたそうです。

時代の流れは・・・
食の多様性が進み、地方の酒蔵が造る『大吟醸』などの高級酒に人気が集まるようになりました。
それで。
『スーパーにも置いてある酒』のイメージを脱却するべく、『冷酒で一番おいしい日本酒』作りに取り組んだそうです。

  3種類の『百黙』を試飲中…諸々を聞かされました。


私が一番気になったのは、『百黙』の『名』の由来です。

   『百黙』とは、中国の言葉で、『百黙一言』のこと。
   100回の沈黙の後に、一回しゃべる。言葉を発する。


  『沈黙は金なり、雄弁は銀』 
よどみなく話せることも大事だが、黙るべきときを知ることは、もっと大事だ。
  『大切なのは話すことよりも聞くこと』 とも言われますよね。


そこで。新酒:『百黙」の『由来』を聞いてみました。


  これまでとは真逆の新しい造り、試行錯誤の連続の中で、新しい造りを極めていきました。
最高の材料、最高の技術で、最高のお酒を造る。でも、それは主張しないで、黙る。飲んで、感じてもらう。
   そんな菊正宗側の思いをくみ取って、『百黙』と名付けたそうです。
寡黙な人が発する一言は的確で、人に感銘を与える。 そんな意味の『百黙一言』という言葉に由来しているそうです。

皆様はいかがですか?
101回目でやっと言葉を発する人が、お好きですか? 尊敬に値する人ですか?


そして。

今日は4月15日。復活節第三主日。

『今日の集会祈願』

『救いの源である神よ、
あなたは御子キリストの復活によって、全世界を罪と死の支配から解放してくださいました。

 
『復活したキリスト』              今朝は、我が教会ではなく、お隣の教会のミサに与かりました。

『あなたに呼ばれ、一つの民とされたわたしたちを御言葉によって強め、主を証しする者にしてください。』


 お隣教会の祭壇の正面は、十字架でなく、『復活のキリスト』の絵が描かれています。
 とても珍しく、なじみが薄く、自分の信仰を問われ、訪れる度に度肝を抜かされます。刺激を受けます。
   そのお姿は、手も足もあり、肉も骨もあります。


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『二人の弟子が、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を、弟子たちに話していると、
         イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、

  
  『復活し弟子たちの真ん中に現れたイエス』

     「あなたがたに平和があるように」 と言われた。

  彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。

  「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。
私の手や足を見なさい。まさしく私だ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるように、私にはそれがある。」


  こう言って、イエスは手と足をお見せになった。
そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。


「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。
また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。

  「エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。」
            ルカ福音書 24章35-48節


    イエスは、弟子たちの真ん中に、復活して現れた時、
まず、一番に、『あなたがたに平和があるように。』 とおっしゃいました。

次に、まだ信仰の弱い弟子たちを叱ることなく、彼らの心を開いてくださいます。

    イエスは、百黙することなく、愛する弟子たちに、話し続けます。


    イエスが語る『聖書の言葉』を通して、
弟子たちは、 イエスは生きておられるとの『信仰』が出来、イエスを突然見ることができるようになりました。
私たちも、イエスは今も生きておられるとの『信仰』を持ち、イエスを心の目で、見ることができるのです。


更に。

 イエスは、百黙することなく、次に、弟子たちや私たちを励まし、世に派遣するために、話します。

 「エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。」 と。

    沢山をお話になるキリストは、いつも私たちと一緒におられます!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は百黙タイプですか? イエスのように優しい言葉を沢山話されるタイプですか? お元気で! 

旧訳聖書完読・・・『マラソンの3年半』 そして 『神の御言葉は正しく、その御業はすべて真実。』

2018-04-14 17:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
4月14日。土曜日。聖書通読・聖書100週間の日。


 嬉しく喜びに満たされ・・・  『旧約聖書 完読日』
 
                                 8人

使徒パウロは語りました。

 『わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。
 
       今や、義の栄冠 を受けるばかりです。』

 
    『主の栄冠』
              テモテヘの手紙Ⅱ 3-7


  『義の栄冠』を受ける。
この『希望』は、苦しい戦いの中で、信仰を守り続ける者だけが、持つものです



聖パウロは、
『義の栄冠』の『希望』を…宣教の日々で捕えられ、近く死刑になることを覚悟した獄中から、弟子のテモテに書き送りました。

旧約聖書を今日完読した8人も、
神の姿を追い求めて、3年半の長いマラソンをしているような努力の日々の後に、今日、
     『義の栄冠』 = 『信仰の確信の喜び』  頂きました。


    一人ではできない『旧訳聖書完読』を、仲間と共に成し遂げました。
    旧訳聖書を読み進むうちに…次第に訓練されて、『御言葉』に対する心が開かれ、
歴史を通して語られる『神の言葉』をききとることができるようになり、語られる『神の啓示と発展と流れ』を把握できました。

   今日の仲間は仕事を持つ方が多く、
毎週の集会は難しく、隔週の集会として、二年で終了予定が、『3年半の長きマラソン』となりました。

   今日、周りの人々 そして 聖霊の協力を頂き、3年半のマラソンを完走できました! 
       感謝!感謝!  嬉しい!嬉しい!


次回から、今度は、『キリストの御言葉』を追い求めて、『新約聖書通読:二年間のマラソン』 の始まりです。 ファイト! 

   『実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。』
          ローマの信徒への手紙 10-17


そして。

今日は4月14日。復活節第二土曜日。

『今日の入祭唱』

『神の民よ、御手のわざを告げ知らせよ。
神はあなたがたを、暗やみの中から驚くべき光に招き入れてくださった。』
           ペテロの手紙Ⅰ 2-9

『今日の答唱詩篇』

『神の御言葉は正しく、その御業はすべて真実。』 詩篇 33-4

   信仰によって詩編を唱える人は、
今日も、真実そのものであり忠実そのものであり、永遠、無限、全能の主なる神を、たたえます。
         感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私事…今朝は、速歩でなく、ゆっくりペースですが走れました マラソン再起可能かな!
皆様…新年度、何に挑戦なさいますか? 栄冠目指して頑張りましょう! お元気で!

父母の思い出・・・『あやめ』 そして 『人間から出たものなら自滅し、神から出たものなら滅ぼせない。』

2018-04-13 20:53:09 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
父母が懐かしい。子は親に似る。

  「庭に沢山咲いたので・・・」と   『あやめ』
  
  友人がお持ち下さった。            
    父が書いた掛け軸の前に飾りました。

考えてみるに・・・
私が『あやめ』をこんなに大切に思うのは、春の父母の庭でいっぱいに咲いていたからかもしれない。

   父母は、黙々と、庭仕事が好きでした。毎年咲く花々を大切にしていた。
    花好き父母に似た私。懐かしい故郷も父母も私の心の中にある。

友人宅の『あやめ』を見ながら、父母のこと、神のこと、自然のこと、等等、考えた一日でした。


そして。

今日は4月13日。復活節第二金曜日。

『今日の集会祈願』

『聖なる父よ、
あなたは、ひとり子の十字架の死によって、わたしたちを悪の支配から救い出してくださいました。
キリストに従う者が、復活の恵みにあずかることができますように。』


『今日の第一朗読 ファリサイ派に属するガマリエルの言葉』

『ファリサイ派に属するガマリエルは議員たちにこう言った。

「イスラエルの人たち、使徒たちの取り扱いは慎重にしなさい。あの者たちから手を引きなさい。ほっておくがよい。
あの計画や行動が人間から出たものなら自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。」

それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、
   最高院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、

 
 『神殿で教える12歳のイエス』

   メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。』
      使徒言行録 5章34-42節


キリストの復活後・・・
『福音』は、使徒たちによって伝えられるようになりました。
『神の救いの計画』は、聖霊の導きによって徐々に実現し、広まり、『聖霊による新しい時代』に入ったのです。

それは、使徒たちに対する迫害の始まりでもありました。
同時に、異邦人の間にも『種』がまかれるように、福音が異邦人にも伝えられるようになっていきました。



     『あの計画や行動が人間から出たものなら自滅するだろうし、
      神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。』


キリスト者を迫害していた人々が、
目が開かれ、ナザレのイエスこそ待ち望んでいた神から遣わされたメシアであると、認めるようになっていくのです。


   今理解できないことは、
否定するのではなく、聖母マリアがそうであったように思い巡らしながら、黙々と、真実が証しされるのを待つのですね。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今週も色々の事件がありました。穏やかな週末でありますように。 お元気で!

連日の聖書勉強会。 そして 『神の子を信じる人は、永遠の命を得ている。』

2018-04-12 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日・4月12日は、月一回の、2時~4時、『地区集会』。
キリスト者もそうでない人も、地域の人が集まって、信仰の分かち合いをする。


まずは・・・   『近況報告会』
 
2時からの始まりを待てなくて…1時過ぎには集まり始めます。 今日は10人。

 一か月ぶりの集会なので、親しき仲間の中で、心が開いて、話しが弾みます。


次に・・・    『信仰のわかち合会い』
 
   聖書の一部を読んで…各自の信仰宣言が始まるのです。

幼児洗礼者、成人洗礼者、道を探している者、…それぞれの考え方に、刺激が与えられます。


 今日も、
 信仰は、一人ではなく、お人と共に育てられるもの、と痛感しました。

 『実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。』
          ローマの信徒への手紙 10-17

昨日は、信仰を求める方3人とキリスト者2人の、『聖書を読む会』
今日は、地区の皆様と、信仰の分かち合いの、『地区集会』
明日と明後日は、聖書通読の、『聖書100週間の会』

4日連続の聖書勉強会となりました。聖書漬です。仲間は日々違うので、連続も又良しですね。



そして。

今日は4月12日。復活節第二木曜日。

『今日の福音 使徒ヨハネの言葉』

『上から来られる方は、見た事、聞いたことを証しされる。
 
その証しを受け入れる者は、神があ真実であることを確認したことになる。

神がお遣わしになった方は、神の言葉を話される。御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた。

御子を信じる人は永遠の命を得ている。』

   ヨハネ福音書 3章31-36節


使徒ヨハネは、
主の復活から5~60年がたつ間に、教会共同体と共に経験を重ねながら思い巡らしてきた
   『主イエスの受難』 『主の復活』について、書きました。


   イエスは、わたしたち人間に、『見えない神』を現し示します。
    又。
イエスは、真の命をもたらす『神の言葉』です。『光』であり『人間となった神』です。


  そんな神の子イエスを信じる人は、『永遠の命』を得ているのです。



『今日の拝領祈願』

『全能永遠の神よ、
 あなたは御子キリストの復活によって、私たちに永遠の命を与えてくださいます。
 この秘跡の恵みを豊かに注ぎ、救いの糧で強めてください。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様もいろいろのお集まりにお出になることと存じます。明日への力が頂けると嬉しいですね。 お元気で!
  

一泊の九州旅行二日目・・・『下関歴史散策・教育ツアー』

2018-04-10 19:11:23 | 娘と娘家族
一泊二日の、「いつも世話になっている御礼です」と、娘夫婦からの『招待旅行』。
    一日目に続いての二日目です。


今日の『目的』は、関門海峡辺りの散策で、『関門海峡の歴史研究』です。


4月8日。日曜日。午前9時。
始まりです。


 スタートは・・・   『唐戸市場』
  
 
    山口といえば・・『フグ』

 

  『魚河岸』
  唐戸、金沢、函館、我が地元の明石。 それぞれの特長がありますね。


 まずは・・・    『腹ごしらえ』
 
『すし屋』が並びます。

私たちも・・・  『ふぐから揚げ と ふぐ汁 と にぎり』
 

 驚くほどに活気に満ちています。
 早朝から、用意された机と椅子で、多くの観光客と一緒に・・・。『交流の場』となっています。 
 店の人も楽しみ、客も楽しむ。 気持ちのやり取りが楽しい。 


いよいよ。


散策の始まりは・・・    『関門海峡』
 
                               美しい!!

 今日の『目的』は・・・
 机上の勉強を、現地の散策体験で、立体化させることです。 理解度が深まります。

 孫娘が五年生になり、地理や歴史の勉強が始まりました。山口と北九州いっぱいでてきました。 
   学んだことを、実体験させ、『肉』としていくのです。
  
 今日は、ママが考えて、工業地域としての宇部と八幡。源平で壇ノ浦。明治維新の長州。実地体験です。



    『壇ノ浦コースト』 日本史の節目を刻む 『関門海峡』 です。

西へ東へと、一日に四回、その流れの向きを変える開門海峡。
狭い所では、西岸の幅は700mあまりで、潮流の速度は最高18㎞にもなります。
瀬戸内海の入り口に位置する地理的条件から、昔も今も交通の要衝で、日本の歴史の節目を刻む舞台となっています。     


そこは・・・ 『源義経 - 平知盛 壇ノ浦合戦 処』
 
   源義経                        平知盛                      

  寿永4年(1185年)3月24日。
平知盛を大将とした平家。 源義経ひきいる源氏。この壇ノ浦を舞台に合戦をしました。

当初は平家が優勢でしたが、潮の流れが変わり始めると、源氏が勢いを盛り返し、平家は追い詰められました。

  最期を覚悟した知盛が、その旨を一門に伝えると・・・
 
 『安徳天皇御入水之処』

     二位の尼は、当時八歳の安徳天皇を抱いて入水。
     知盛も、後を追って海峡に身を投じ、平家一門は滅亡。


  日本の政治は、貴族から幕府による『武家政治』へと、移行していきました。



ボランティアによる・・・    『紙芝居』
 
 美しい開聞海峡の 『安徳天皇御入水之処』で、その歴史を語ります。


次は。
孫息子と二人で、手をつないで歩こうと計画していた・・・

   『関門トンネル ウォーク』
   

冒険スタート・・・ 
 
 『山口側 スタートライン』  

  今日は、4人で歩きます。


 
 『山口県 から 福岡県 堺線』

 『関門トンネル』

本州と九州を結ぶ大動脈。延長3481,4km。 上に車道。その下に人道(人や自転車通路)。
昭和12年(1937年)計画…21年の歳月後…昭和33年(1958年)完成。


20分ほど歩いて・・・   

   到着。    『九州最北端』
 

   そこは・・・    『和布刈神社』
 

  雄大な   『関門橋』
 

  歴史を見守ってきた  『荒波』
 

  海峡の中に・・・   『巌流島』 が見えます。
 

12時。
昼食。

 唐津名物・・・  『瓦そば』
  
 『関港駅 地ビール』   近くにビール工場がありました。

明治10年。『西南の役』において、
熊本城を囲む薩軍の兵士たちは、長い合戦の合間に瓦を用いて、野草や肉などを焼いて食べたという古老の話から、
     数十年を経過した『日本瓦』を用い、
豊かな茶そば、牛肉、錦糸卵、海苔、もみじおろし、レモンを配し、『瓦そば』と名付け供しました。

もう一つ。

 唐津名物・・・   『ひつまぶし』
 
 おいしいね。

ゆっくりと、九州再北端:『関門海峡 観潮歩道道』を、楽しみました。


本州へ戻る・・・   『関門連絡船』
 

   大波をかぶりながら・・・
 
 関門海峡を満喫です。 


本州に戻りました。
再び。


『安徳天皇』を偲んで・・・  『赤間神宮』
 

今から800年前。
『源平の合戦』の船上で、「京都に帰りたい」と泣く八歳の安徳天皇を、
「海の中にも竜宮がありますよ」とお慰めして、その胸に抱いて入水した二位の尼。


     『海の竜宮』=『赤間神宮』 が奉納されました。
 

赤間神宮の横に・・・   『安徳天皇阿弥陀寺陵』
 
  
壇ノ浦に御入水の後、御尊体を奉じて、御廟所が造営され、明治維新を経て、現在の『御陵』となりました。


『御陵』のおそば近く・・・   『平家一門の墓』
 
  『14名の墓』   安徳天皇をお守りします。


 『壇ノ浦』を眺める・・・   『赤間神宮』
 

    美しさの中に、歴史の流れ や 歴史に翻弄された人々を、偲びました。


更に。
山口・長州は、『明治維新』の歴史の節目の土地です。



高台に・・・   『高杉晋作 像』
 

   幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。
奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付け、歴史の節目を築きました。



像から眺める・・・     『関門海峡』    
 
 今は、海峡を眺めながら・・・『世の平安』を祈る高杉晋作です。


午後5時半。

  今日の『目的』=『歴史勉強ツワー』の終了です。大成功!楽しかった!

目標を目指して行動することは楽しさ倍増でした。 感謝!感謝!
孫たちの経験が、「できる!」という信念になればと願うおばあちゃんです。


18時57分発。   『新山口駅 ⇒ 新神戸駅』
 

    孫達は飛行機で東京へ。 『一泊の九州旅行』 の終了です。 27664歩。

   皆様、御一緒に楽しんで頂けましたか。長々とお付き合いいただき感謝申し上げます


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
旅の季節となってまいりましたね。未知の世界に踏み込んでみましょう。 お元気で!