今日は4月10日。復活節第二火曜日。
『今日の集会祈願』
『全能の神よ、わたしたちを世に遣わしてください。
復活された主・キリストを証しする者となり、復活の喜びをすべての人と合かち合うことができますように。』
最初に。
キリストは、人類の罪の償いと永遠の命の確保のために、ご自分の命を捧げてくださいました。

次に。
私たちが、主の復活の喜びを全世界に知らせる『証し人』となり、

主・キリストへ恩返しをする番がきました。
キリストによって、『罪の赦し』と 御父が用意下さる『永遠の国・命』が保障されたのですから!
『今日の第一朗読 使徒たちの宣教 そして 信徒の宣教』
『信じた人の群れは、
心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだという者はなく、すべてを共有していた。
使徒たちは、
大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好かれていた。
信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。

土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ちより、使徒たちの足もとに置き、
そのお金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。
キプロス島生まれのヨセフも、
持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。』
使徒言行録 4章32-37節
つまり。
『キリストの証し人』 = 『神の愛の証し人』 でもあるということです。
初代教会では。
使徒たちを中心とした共同体は、
パンを裂き(ミサ聖祭を行い)、共に皆で祈り、イエスの教えに従って…『心も思いも一つ』にしていました。
共同体は、財産も共有し、助け合い…『神に信頼した生活』を送りました。
『信者の共同体』は、心も思いも一つにし&すべてを共有することで、『神の証し人』になりました。
『弟子たち』は、聖霊の導くままに宣教活動をすることで、『神の証し人』になったのです。
『新しい生き方』を始めた共同体は、周りの人々から好意を頂きました。
『証し人』とは、キリストに倣って、『愛』の心から、自分の大切なものを、人々に配る人なのですね。
イエスは、一番大事な『我が命』を人類の前に差し出して、『愛の証し人』となったのです。
私たちも、人の必要としているもの=優しい言葉、水、宿、服、金、等等=を、人々と分かち合って・・・
『神の愛の証し人』となりましょう!
イエスは、生前、おっしゃいました。
『さあ、わたしの父に祝福された人たち、
天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。
はっきり言っておく。

『子供を祝福するイエス』
わたしの兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
マタイ福音書 25章35-40節
『キリストの証し人』 になるとは・・・
①神がすべての人の救いを望んでおられること。

②キリストは人の助けを必要とする方たちの中におられ、今はそんな人々の中にキリストの姿を見ることができること。
そんな『事実』を、私たちの言動によって、人々に知らせることなのです。
私たちの福音宣教によって、
まだキリストを知らない人達がキリストを知ることができますように、お祈りいたします。
『今日の奉納祈願』
『聖なる主よ、主の過越しの神秘に感謝をこめてあずかります。
この救いの力がいつもわたしたちのうちに働き、永遠の喜びの源になりますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
永遠の喜びの源とは何でしょう? 愛ですよね。いつも互いに愛し合って喜んでいましょう! お元気で!
『今日の集会祈願』
『全能の神よ、わたしたちを世に遣わしてください。
復活された主・キリストを証しする者となり、復活の喜びをすべての人と合かち合うことができますように。』
最初に。
キリストは、人類の罪の償いと永遠の命の確保のために、ご自分の命を捧げてくださいました。

次に。
私たちが、主の復活の喜びを全世界に知らせる『証し人』となり、

主・キリストへ恩返しをする番がきました。
キリストによって、『罪の赦し』と 御父が用意下さる『永遠の国・命』が保障されたのですから!
『今日の第一朗読 使徒たちの宣教 そして 信徒の宣教』
『信じた人の群れは、
心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだという者はなく、すべてを共有していた。
使徒たちは、
大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好かれていた。
信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。

土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ちより、使徒たちの足もとに置き、
そのお金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。
キプロス島生まれのヨセフも、
持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。』
使徒言行録 4章32-37節
つまり。
『キリストの証し人』 = 『神の愛の証し人』 でもあるということです。
初代教会では。
使徒たちを中心とした共同体は、


『信者の共同体』は、心も思いも一つにし&すべてを共有することで、『神の証し人』になりました。
『弟子たち』は、聖霊の導くままに宣教活動をすることで、『神の証し人』になったのです。
『新しい生き方』を始めた共同体は、周りの人々から好意を頂きました。
『証し人』とは、キリストに倣って、『愛』の心から、自分の大切なものを、人々に配る人なのですね。
イエスは、一番大事な『我が命』を人類の前に差し出して、『愛の証し人』となったのです。
私たちも、人の必要としているもの=優しい言葉、水、宿、服、金、等等=を、人々と分かち合って・・・
『神の愛の証し人』となりましょう!
イエスは、生前、おっしゃいました。
『さあ、わたしの父に祝福された人たち、
天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。
はっきり言っておく。

『子供を祝福するイエス』
わたしの兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
マタイ福音書 25章35-40節
『キリストの証し人』 になるとは・・・
①神がすべての人の救いを望んでおられること。

②キリストは人の助けを必要とする方たちの中におられ、今はそんな人々の中にキリストの姿を見ることができること。
そんな『事実』を、私たちの言動によって、人々に知らせることなのです。
私たちの福音宣教によって、
まだキリストを知らない人達がキリストを知ることができますように、お祈りいたします。
『今日の奉納祈願』
『聖なる主よ、主の過越しの神秘に感謝をこめてあずかります。
この救いの力がいつもわたしたちのうちに働き、永遠の喜びの源になりますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
永遠の喜びの源とは何でしょう? 愛ですよね。いつも互いに愛し合って喜んでいましょう! お元気で!