マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

復活節第二火曜日・・・『大いなる力をもって主キリストの復活を証しする。』

2018-04-10 05:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日は4月10日。復活節第二火曜日。

『今日の集会祈願』

『全能の神よ、わたしたちを世に遣わしてください。
復活された主・キリストを証しする者となり、復活の喜びをすべての人と合かち合うことができますように。』


最初に。
  キリストは、人類の罪の償いと永遠の命の確保のために、ご自分の命を捧げてくださいました。

     

次に。
   私たちが、主の復活の喜びを全世界に知らせる『証し人』となり、
     
     主・キリストへ恩返しをする番がきました

キリストによって、『罪の赦し』と 御父が用意下さる『永遠の国・命』が保障されたのですから!



『今日の第一朗読 使徒たちの宣教 そして 信徒の宣教』

『信じた人の群れは、
心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだという者はなく、すべてを共有していた。

使徒たちは、
大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好かれていた。

   信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。
 

土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ちより、使徒たちの足もとに置き、
   そのお金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。

キプロス島生まれのヨセフも、
持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。
         使徒言行録 4章32-37節

つまり。

  『キリストの証し人』 = 『神の愛の証し人』 でもあるということです。


初代教会では。

使徒たちを中心とした共同体は、
パンを裂き(ミサ聖祭を行い)、共に皆で祈り、イエスの教えに従って…『心も思いも一つ』にしていました。
共同体は、財産も共有し、助け合い…『神に信頼した生活』を送りました。

   
『信者の共同体』は、心も思いも一つにし&すべてを共有することで、『神の証し人』になりました。
   『弟子たち』は、聖霊の導くままに宣教活動をすることで、『神の証し人』になったのです。



   『新しい生き方』を始めた共同体は、周りの人々から好意を頂きました


『証し人』とは、キリストに倣って、『愛』の心から、自分の大切なものを、人々に配る人なのですね。
  イエスは、一番大事な『我が命』を人類の前に差し出して、『愛の証し人』となったのです。



私たちも、人の必要としているもの=優しい言葉、水、宿、服、金、等等=を、人々と分かち合って・・・
    『神の愛の証し人』となりましょう!


イエスは、生前、おっしゃいました。

『さあ、わたしの父に祝福された人たち、
  天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。

お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
    裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。


   はっきり言っておく。
 
 『子供を祝福するイエス』

 わたしの兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
              マタイ福音書 25章35-40節

  
  『キリストの証し人』 になるとは・・・
      ①神がすべての人の救いを望んでおられること。
 
②キリストは人の助けを必要とする方たちの中におられ、今はそんな人々の中にキリストの姿を見ることができること

 そんな『事実』を、私たちの言動によって、人々に知らせることなのです。


 私たちの福音宣教によって、
 まだキリストを知らない人達がキリストを知ることができますように、お祈りいたします。


『今日の奉納祈願』

『聖なる主よ、主の過越しの神秘に感謝をこめてあずかります。
 この救いの力がいつもわたしたちのうちに働き、永遠の喜びの源になりますように。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
永遠の喜びの源とは何でしょう? 愛ですよね。いつも互いに愛し合って喜んでいましょう! お元気で!
 

一泊の九州旅行初日・・・『グルメ三昧』。 そして 『おとめが身ごもって、男の子を産む。』

2018-04-10 00:25:27 | 娘と娘家族
一泊二日の、「いつも世話になっている御礼です」と、娘夫婦からの『招待旅行』です。

出発です。

   4月7日。15時15分。   『東京 ⇒ 福岡』
   
                                    於:ラウンジ

       娘と孫娘と共に ⇒ 婿殿と孫息子の待つ九州へ。

一気に。
九州・福岡 ⇒ 本州・下関へ。

初日の『目的』は、日本一美味い寿司処を捜して、『グルメ三昧』


  『刺身』
  
 萩の雲丹…口の中でとろける。

   太平洋と日本海の魚が同時に楽しめる下関です。

  『焼き物』
 
 炙りで味が活きる。

   山口といえば…オバマ氏もプーチン氏も楽しんだ酒処。

     
      『東洋美人』                  『雁木』
  
      萩。純米吟醸。                 岩国。純米無濾過。

   酒なくして人生なし。ですよね。大好き。


   『岩塩』
 
 海底から引き揚げたままのざらざらの表面を、柚子でこする。色の違いは採集場所の違い。
    マイルドの塩香が魚味を引き立たせる。


  『白魚の踊り食い』
 
 『ピチピチと踊るように動き回る白魚』     透明な体の小魚で食用に漁獲される。

 踊り食いの作法。
①口に含み…踊る小魚を口いっぱいで感じる。  ②祈る…『お命を有難く頂戴いたします』
③歯を合わせる…歯がはさんだ躍る白魚を感じる。 ④飲み込む…『御馳走様でした』



  『シャトーブリアンのウニ乗せ』
 
 肉と雲丹の衝撃のマッチング。ほっぺが落ちる。

  贅の極みです。知らない世界に向き合います。今日は、娘夫婦の人生の転機の記念です。



  『にぎりトロ』
 
 にぎりは匠の芸術品です。

師匠は銀座に店を出し、その後を受け継いだ匠・板前さん。美しい包丁さばきが人柄をも映します。


  『にぎり炙り鯖』
 
 
 カウンター9席。机席2席。
 客の酒や話が進む時は姿を消し、注文が出そうなタイミングで姿を見せる、板前さんです。


今日は、私への御礼の席でもあり、私の誕生祝の席でもありました。 感謝!感謝!

皆様! 私の九州旅行初日:『グルメ三昧』お粗末様でした。 ありがとうございました。



そして。

今日は4月9日。 『神のお告げ 祭日』

『今日は、神の御ひとり子の受肉と、
それを知らせる天使の言葉を信仰を持って受け入れたマリアの承諾を思い起こす祭日である。』

  
  『受胎告知』  
                           
見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。
      神が共におられるからだ。』

             『今日の第一朗読 イザヤの預言』 イザヤ書7-14

  預言者イザヤが、若い王・アハズに告げた『インマヌエルの預言』は・・・
    アハズ王の後継者となる子供のことでありました。
後の時代の人々が、ダビデの子孫から出るはずの『メシアの到来』を告げる言葉として受け取るようになりました。
    イエス・キリストの誕生。恵みの時代の始まり。の預言となりました。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
三代=親と子供と孫=で一つ事を一緒に楽しむ時期は、長いようで短いかもしれない。
与えられた『運命』を、聖マリアのように思い巡らしながら、大切にしたいものですね。 お元気で!

復活節第二主日・・・『八日の後、イエスが来て真ん中に立った。』・・・『信じる者になりなさい。』

2018-04-08 09:30:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
今日は4月8日。復活節第二主日。

今日は、復活後の『イエスの五度目の出現』です。

一度目の出現。

受難後の週の初めの日の明け方。マグダラのマリアともう一人のマリアに現れました。
  
 『開け方、婦人たちが墓の中のイエスを見に行くと、イエスは復活されもう墓の中にはいませんでした。
     天使が婦人たちに伝えます。
 
 「あの方は復活し、ここにはおられない。先にガリラヤに行かれ、そこでお目にかかれる。」と。

  婦人たちは、喜び、弟子たちに知らせるために走って行くと、
  イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので
 
   婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。


  イエスは言われた。
「恐れることはない。行って、私の兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこで私に会うことになる。」
           マタイ福音書 28章1-10節

  イエスが、最初に現れたのは、母でも弟子でもなく、女性の前でした。
    それは、女性こそ信仰の先駆者であったと認める、イエスの優しさではないでしょうか。 


二度目の出現。
受難後の週の初めの日。エルサレムから60スタディオン(11㎞強)離れたエマオという村に向かう二人の弟子に現れました。


  『二人の弟子が、エマオに向かって歩きながら、一切の出来事について話しあっていた。
  話しあい論じ合っていると、イエス御自身が近づいてきて、一緒に歩き始められた。

 
 『エマオへの道』 

    しかし、二人の目は遮られていたので、イエスだとは分からなかった。

 イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。
 一人のクレオパという人が答えた。
 「エルサレムに滞在していながら、この数日で起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」
 イエスが、「どんなことですか」と言われた。


  そこで、イエスは言われた。
 「ああ、物分りが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、
   メシアはこういう苦しみを受けて、栄光にはあいるはずではなかったのか。」

  そして、
 モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。』

                 ルカ福音書 24章13-35節

   復活したイエスは、弟子たちと共に、エマオまで歩きます。
      イエスは、弟子たちに現れ、復活を確認させるのです。



三度目の出現。
受難後の週の二日目。エマオへ向かっていた二人から話しを聞いていた使徒たちの真ん中に現れれました。


  『エルサレムに戻った二人の弟子は、道で起こったことや、パンを裂いてくださった時にイエスだと分かった次第を話した。
  こいうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、

 
    「あなたがたに平和があるように」と言われた。

  彼らは恐れおののき、亡霊を見ていると思った。 そこでイエスは言われた。
  「なぜうろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。
  触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたが見ているとおり、わたしにはそれがある。」

  こう言って、イエスは手と足をお見せになった。
 
  彼らが喜びのあまり信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。
  そこで焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。』

                    ルカ福音書 24章35-48節

   復活したイエスは、人の目には見えなくても・・・
     共同体の中に共にいて下さり、力強く働いていて下さるのです。


四度目の出現。
受難後の週の既に世が明けた頃、ベリアス湖畔で、漁をする弟子たちに現われました。


 『その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。

シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、6人の弟子たちも、「私たちも一緒に行こう」と言った。
しかし、その夜は何もとれなかった。 

  既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。
  だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。

イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは「ありません」と答えた。

イエスは言われた。「船の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」
そこで、網を打ってみると、魚があまりにも多くて、もはや網を引き上げることができなかった。
 

  イエスの愛しておられたあの弟子がペテロに「主だ」と言った。
シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって海に飛び込んだ。

イエスが、「今とった魚を何匹か持ってきなさい」と、「さあ来て、朝の食事をしなさい」と言われた。

  弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。
      主であることを知っていたからである。
   復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である

        ヨハネ福音書 21章1-14節

   
   主は、栄光を帯びて来られるのです。
     イエスは、教会の中にも、世の中にも、宇宙の中にも存在するのです。                     


そして。

五度目の出現。
受難後の週の初めの日から八日の後。前回の使徒に現れた時にいなかった弟子・トマスも含む12人の使徒の真ん中に現れました。


『今日の福音 イエスの御言葉』

『十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。
「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、
 わたしは決して信じない。」


さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸には鍵がかけてあったのに、
イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

それから、トマスに言われた。
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。」


 『疑うトマス』                   Brugghen作品。
  
    「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 イエスはトマスに言われた。
   「わたしを見たから信じたのか。見ないで信じる人は幸いである。」
               ヨハネ福音書 20章19-31節

   イエスの復活を疑うトマスは、『疑う者たち』の代表といえますね。

 『真理』は一つです。
『イエスの過越しは成し遂げられ、神の子羊のいけにえによって、神と人類の間に『新しい契約』が成立した。』


  復活なさって、神の座に戻られたイエス。
出現の度に、『兄弟たち』とか『子たち』と呼びかけ、
再会の度に、『おはよう』と『あなたがたに平安があるように』と、優しく御挨拶して下さることに、感動です。
  神の身でありながら・・・。有難いですね。私たちも、お人に対していつも、かくありたいものですね。


『今日の叙唱』

『聖なる父よ、
過越しの子羊キリストが捧げられたこのとき、感謝と喜びに満ちあふれてあなたをたたえます。
キリストは死からの復活によって罪を打ち破り、倒れていた世界を立て直し、新しい命をわたしたちにお与えになります。
 全世界は復活の喜びに満ち、すべての天使はあなたの栄光をたたえ終わりなく歌います。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
信仰とは、見えぬものの存在を信じることです。愛を信じ合う。素敵なことですよね。 お元気で!

都心の発見・・・『団子屋』 そして 『ほかのだれによっても、救いは得られません。』

2018-04-06 16:30:00 | 娘と娘家族
今日は4月6日。金曜日。 東京5日目。

春一番?風の強い一日…今日は娘と孫娘と私と女三人だけ、パパと孫息子は九州で、女子会の一日です。
   
  都会のど真ん中・・・   『団子屋』
  
  『心をいやす風景』      おじさん一人で、昔ながらの団子を作る。


個人商店の魅力とは何だろう。

大型スーパーやデパートやチェーン店にはない、昔ながらの『手作りの味』ではないだろうか?
おふくろの味、一軒家の持つぬくもり、店主との会話、がある。 『心の通い合い』であろう。

都心の中…「あんをつけて新しいあんもちを作るね」と、白いエプロンがけのおじさんが作る『団子屋』がありました。



そして。

今日は、復活の金曜日。

『今日の集会祈願』

『全能永遠の神よ、あなたは御子キリストの死と復活によって、和解の恵みを与えてくださいました。
信仰をもって祝うこの神秘が、日々の生活に実りをもたらすものとなりますように。』


そして。

『今日の第一朗読 使徒たちの宣教』

『その日、
ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。
二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので彼らはいらだち、
二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。
 既に日暮れだったからである。
しかし、
二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった。

次の日、
議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった。
大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族が集まった。

そして、使徒たちを真ん中に立たせて、
 「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問した。

 
 『鎖をつながれたまま、尋問を受けるペテロとヨハネ』

   そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。
「民の議員、また長老の方々、 今日わたしたちが取り調べを受けているのは、
 病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、
   あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。


    この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、
あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。

    ほかのだれによっても、救いは得られません。
わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」

       使徒言行録 4章1-12節


今日は、
世の中には、色々の人がいると知らされました。


聖霊に満たされて、ユダヤ人の最高権力者たちを前に、堂々たる演説をするペテロとヨハネ。
ペテロとヨハネの『イエスの復活』の宣教を聞きいらだち
    二人ををとらえて牢屋に入れた、祭司たちと神殿守衛長とサドカイ派の人々。

ペテロとヨハネの『イエスの復活』の宣教を聞き、信じた五千人ほどの男。
足が不自由で歩けず、神殿前で物乞いをしていた時にペテロとヨハネに癒され、躍りながら神を讃美する男。
捕えられ牢屋に入れられたペテロとヨハネを取り巻き、尋問をする、議員や長老や律法学者たちや大祭司一族。


世の中には、同じ宣教を聞き同じ秘跡を見ても・・・
   信じる人と信じない人、感心を持つ人持たない人、いらだつ人、色々の人に分かれます。


     色々の人の『違いの要因』は何でしょうか。

 一度は『イエスを知らない』と言って、イエスさまを否認し見捨てたペトロ。
   いったい何があったのか? 何がペトロを変えたのか?
聖霊にゆだね、聖霊の働きを信頼して、自分の思いを捨て、聖霊が語らせるままに、語ったのです
   『痛悔』と『回心』が、ペテロを変えたのです。

   
ペテロは、力強く、説教しました。
『救い』は、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、『イエス・キリストの名による』ものです。
  わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。


    私たちは、信じるか信じないか。 人は色々ですね。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私の『都心の発見』も今日までです。お付き合いくださいましてありがとうございました。
穏やかで楽しい週末をお過ごしください。 私は一泊の九州旅行です。 お元気で!

都心の発見・・・『スクランブル交差点』 そして 『あなたがたはこれらのことの証人となる。』

2018-04-05 14:45:00 | 娘と娘家族
今日は4月5日。木曜日。 東京4日目。

心嬉しい一日…今日は、渋谷駅・『ハチ公』前で婿殿と孫息子と待ち合わせました。
   
  喧噪のど真ん中・・・   『渋谷駅前・スクランブル交差点』
   
 『観光客受けする風景』      イースター休暇を利用しての観光客だろうか。多い。

都心の魅力とは何だろう。

青年期や活動期の年代の人には、将来を夢見る場所が要る。そんな心躍る場所ではなかろうか?
前進と躍動と刺激と競争心がうごめく 『都心』:『世の場所』であろう。

都心の中…『忠犬ハチ公』と一緒に写真に納まるため、欧米からの老若男女観光客が長い順番待ちの列を作る『デートスポット』がありました。



そして。

今日は、復活の木曜日。

『今日の集会祈願』

『いつくしみ深い父よ、あなたは諸国の民をご自分の元に集めてくださいます。
洗礼の泉で新たに生まれた人々が、同じ信仰に結ばれ、同じ愛に生きることができますように。』


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『エルサレムに戻った二人の弟子は、道で起こったことや、パンを裂いて下さった時にイエスだと分かった次第を話した。

こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち

 
 『復活して弟子たちの前に現れたイエス』

 「あなたがたに平和があるように」と言われた。

弟子たちが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。
そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って彼らの前で食べられた。

イエスは言われた。
「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。
これこそ、まだああなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」


そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。

『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。
また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。
エルサレムから始めて、あなたがたはそれらのことの証人となる。」』
 ルカ福音書 25章35-48節

  
   『証人となる』
ある事柄の『証し人』となるということは、その事柄を目で確かめているか、その事柄の真理を確信しているか、でなければならない。


キリストは、
ご自身の『受難と死と復活』の事実を、弟子たちがその『証人』となることを、望まれました。
そのために。
弟子たちが、いかなる反対や逆境に遭おうとも、揺るぎない『確固とした信仰』を持つことを、望まれました。

   弟子たちは証人となる   

キリストは、弟子たちを『キリストの証人』として派遣するために、彼らのまだ弱い信仰を『堅固な信仰』としました。
  ・・・その方法は
   ①弟子達の前に『復活した体』で現れました。②弟子達の前で『焼いた魚』を食べました。
   ③キリスト・メシアについて書かれた『聖書の言葉』を述べて、弟子たちに『御言葉』の事実を確信させました。



    ①『事実』を目で確かめる。 ②聖書に書かれた『神の御言葉』を確かめ、再確認する。
       信仰確信のための『必要事項』ですね。



しかし。
キリストは言われました。

 『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』 ヨハネ福音書120-29


そして。

私たち・キリストの御昇天後に選ばれたキリスト者は、『見ずして信じた幸い者』です。
堅固な信仰を持って…『キリストの証人』としての使命を果たしましょう!


『今日の拝領唱』

『神の民よ、御手のわざを告げ知らせよ。神はあなたがたを、暗闇の中から驚くべき先に招き入れて下さった。アレルヤ。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
死去した飼い主の帰りを、東京・渋谷駅の前で約10年間のあいだ待ち続けたという犬・ハチ。
私たちも、縁あって関わりのできた人たちと、互いに忠実な人生を送りたいものですね。 お元気で! 

都心の発見・・・『日常の日々』 そして 『わたしは金や銀は持っていないが、持っているものをあげよう。』

2018-04-04 16:00:00 | 娘と娘家族
今日は4月4日。 東京3日目。

穏やかな一日…今日は、葉桜になった桜街道を孫息子と走ってみた

   ほっとします・・・   『変わらぬ日常』
   
 『心をいやす風景』          日々の練習 。     


人の幸せとは何だろう。

喧騒から静寂に戻る時、心に平安が戻る。そんな『日常』が確保されていることが『幸せ』ではなかろうか?
派手さもない。大きな変化もない。それらに代わって、『笑い』と『安心』がある。

都心の中…変化し続ける世界情勢を映し出す喧噪の町とは正反対の、変わらぬ『人の営み』が繰り返される『家庭』がありました。


そして。

今日は、復活の水曜日。

『今日の集会祈願』

『聖なる父よ、あなたは、御子キリストによって新しい希望を世にお与えになりました。
主の復活を祝うわたしたちが、永遠の喜びへの道を力強く進むことができますように。』


『今日の第一朗読 使徒たちの宣教』

『ペテロとヨハネが、午後三時のお祈りの時に神殿へ上って行った。
すると、
生まれながらに足の不自由な男が、神殿の境内に入る人に施しを乞うために、運ばれてきた。

   彼はペテロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。

  
 『跛者の治癒』       マゾリーノ作品

  ペテロは、ヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。

その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペテロは言った。

「わたしは金や銀は持っていないが、持っているものをあげよう。
ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」


そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。
すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、踊り上がってたち、歩き出した。』

        使徒言行録 3章1-10節


     『跛者の治癒』 は 『イエス・キリストの名によって』、起こったことです。
     聖霊の働きが、イエスの使徒を通じて、驚くべき『わざ』 となったことです。



イエスの生涯の中で、
弟子を育てることは、『収穫は多いが働き手が少ない』と言われ、最も重要な仕事のうちのひとつでした。



     『イエスの弟子たちの養成』マルコ福音書 3章13-15節

まず。これと思う十二人を呼び寄せ、任命し、使徒と名付けられた。

次に。使徒の養成です。
 
   ①ご自分のそばに置く。
     ・・・ご自分が病気を直したり悪霊を追い出したりする『お手本』を見せて学ばせました
   悪霊を追い出し、あらゆる患いをいやす追い出す、権能を授ける。
   ③宣教のため派遣する。 

養成後。

イエスさまは、
必要な力を与えた弟子たちを、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えるように、派遣されたのです。
    

 
では・・・

私たちキリスト者も、イエスの弟子の一人です。
イエス様を必要とされている方の元に、イエス様から派遣されていくのです。

  そのために・・・私たちも養成されねばなりません。

   まず、 『聖書』を読み、イエスのおそばを離れることなく、イエスから学びます。 
   次に、 『祈り』を続け、神の権能を頂くのです。
   そして、『愛』を持って、『神の国』を証ししながら、宣教するのです。



    『自分の力』を見つめるのではなく、『イエスの力』を信じる時・・・
    私たちも、使徒ペテロと同様に、イエスの協力者となれるのです。 ならねばならないのです。
                   頑張りましょう! ファイト!



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
小2年の孫息子が、『幸せは足るを知ること』と習ってきました。そうですね。 お元気で!

都心の発見・・・『市立花の公園横の教会』 そして 『悔い改めなさい。めいめいイエス・キリストの名によって洗礼を受けなさい。』

2018-04-03 13:00:00 | 娘と娘家族
今日は4月3日。 東京2日目。

穏やかな一日…今日もグリーンロードを一人で走る

   ほっとします・・・   『キリスト改革派教会』
   
 『心をいやす風景』     市立・『花の公園』横に立つ教会。


教会が市民に果たす役割とは何だろう。
聖霊に満たされた教会の席に座る時、心に平安が訪れる。そんな『席』を用意することではなかろうか?
大きな活動もいらない。楽しみの場所である必要もない。それらはどれも『世の場所』であろう。

都心の中…午後の散歩をする母子が、大変な一日を終えた仕事帰りの働き人が、いやされる席が用意された教会がありました。


そして。

今日は、復活の火曜日。

『今日の集会祈願』

『聖なる父よ、
あなたは、御ひとり子の復活によって、私たちに救いをもたらしてくださいました。
あなたの民にいつも恵みを注ぎ、神の子の自由と喜びのうちに歩ませてください。』


そして。

『今日の第一朗読 使徒ペトロの言葉』

『五旬祭の日にペトロはユダヤア人たちに言った。
 
 『話しをするペトロ』

「イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。
あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」


人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの弟子たちに、
  「兄弟たち、わたしたちはどうしたら良いのですか」と言った。


すると、ペテロは彼らに言った。
「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。
   そうすれば、賜物して聖霊を受けます。


この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、
つまり、
私たちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられている者なのです。」


ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。』
              使徒言行録 2章36-41節


ユダヤ人ほど、『救い主・メシア』を待ち望む国民はいなかった、ことでしょう。
ペテロと弟子たちは、そんなメシアを待ち望む人々やその場にいる人々に向かって、『イエス・メシア』を証ししました。

『実に信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。』
          ローマの信徒への手紙 10章14~21節 

信仰というのは、
まず信じることから始まるものではないのです。信じるためには、まず聞かなくてはならないというのです。

     『信仰は聞くことから始まる』
  信仰は、自分からではなく、他者の声を聞くことから始まるということです。



 私たちは、他者の声に耳を傾けているだろうか? 自分の思いを消して、他者の思いを聞いているだろうか?


他者の声を聞くということは、
なんと言っても自分を超えた方の声、人間を超えたかたの声、を聞くということであります。
つまり、『神の言葉』を聞くということであります。
  
  
     今を生きる私たちは、『聖書』から『神の言葉』を聞くのです。


『今日の拝領唱』

『あなた方は、キリストとともに復活したのであるから、上にあるものをもとめよ。そこには、キリストが神の右の座に着いておられる。』
   コロサイの信徒への手紙 3-1~2

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
新年度のスタートがうまく始まったことと存じ、お喜び申し上げます。
更に、良き継続のために、一人静かな席に座って、癒されて新たなエネルギーに満たされるお時間がありますように! お元気で!

都心の発見・・・『民家の中の畑』 そして 『恐れることはない。そこでわたしに会うことになる。』

2018-04-02 13:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日は4月2日。 東京入り初日。

暖かな一日…桜街道を一人で走る

   ほっとします・・・   『民家の中の畑』
 
『心をいやす風景』

私の心がいやされる要因は何だろう。
昔と変わらぬ風景? 野菜の緑色? 単に、都会の中に都会ではないから?  どれも私の心に語りかける要因です。

都心の中…まだ畑も残っていて、自転車道沿いには、取れたての野菜を販売する店もありました。

  
そして。

今日は復活の月曜日。

『二日前・主の復活の日の福音 若者・天使の御言葉』

『週の初めの朝早く、3人の婦人たちはイエスに油を塗るために、日が出るとすぐに墓に行った。
墓の中に入ると、白い服を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。

  若者(天使)は言った。
     驚くことはない。あの方は復活なさって、ここにはおられない。
 
 さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。
『あの方は、なたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」
                マルコ福音書 16章1-7節

続いて。

『今日の福音 イエスの御言葉』

婦人たちは恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
すると、
  イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、
   
 婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。

イエスは言われた。
恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。
   そこでわたしに会うことになる。」

     マタイ福音書 28章8-15節


私が、『イエス様にお会いする時』、どうするでしょうか。

婦人たちは、近寄り、足を抱き、その前にひれ伏しました。 
ペテロは、イエスの前にひれ伏し、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言いました。
   ・・・『イエスの威厳と力』を目のあたりにしたとき 、自分の惨めさに、気づいたのです。
イザヤも、ペテロと同様に、ひれ伏し、「わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者」と言いました。
   ・・・『神の栄光』を見て、神の前に出ることなど出来ない者であることを、思い知らされました。


私は、『驚くことはない』『恐れることはない』の『お言葉』を忘れることなく…天国でお目にかかる時に恥ずかしさで顔を隠すようなことだけはないようにと願っています。お目にかかれる日をとても楽しみにしています。


イエスは、なぜ? 伝道や奉仕の活動の始めりを、ガリラヤに定められたのでしょうか。

イエス様は、復活後、エルサレムを離れ、ご自分が宣教を始められた地・ガリラヤに、弟子たちを集めます。
弟子たちは、イエスの伝道活動を引き継ぎ、イエス同様に、ガリラヤから伝道活動をはじめることとなります。
私は、『都会の中の畑』に癒されました。

イエスも弟子たちも、『都心から離れた場所』を大切になさいました。そこに『神の国』の秘密があるはずです。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の新年度の始まりの今日はいかがでしたか?素敵な出遭いがありましたか? お元気で!



亭主の好きな赤烏帽子・・・『野球開幕戦』 そして 『あなたがたは、上にるものを求めなさい。』

2018-04-01 19:36:48 | 日々のこと。 世界のこと。
今日は4月1日。主日。

三日前から。
今年も始まりました・・・   『プロ野球開幕戦』
 
 『我がチーム』         3連勝なった!

    亭主の好きな赤烏帽子。
夫は、今年も、連勝のためなおさらに、テレビの前を離れません。 
私も、亭主の好きな何とやら・・・ 今年も、テレビの前、夫の横、に陣取っています。

   穏やかな主日です。 感謝!感謝! これでいいのだ!


そして。

今日は、昨夜の『復活の聖なる徹夜祭』に続き、『復活の主日』。

『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉』

『皆さん、
あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。
    そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。

  
  『三位一体』 受難後に帰天なさったキリストを迎えた御父と聖霊でしょうか?

  上にあるものに心を留め、地上にあるものに心を引かれないようにしなさい。

あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。
あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストの栄光に包まれて現れるでしょう。』

        使徒パウロのコロサイの教会への手紙 3章1-4節


信仰を持つことは、安易な人生を送るためではない、キリストの思いと一体の人生を送ることなのですね。

    主キリストの十字架と復活によって、すべての罪と闇の力は滅ぼされました。

その恩恵を受け、洗礼を受けた私たちは、
キリストと共に死んで葬られ、キリストと共に墓から立ち上がり、闇の世界から光の世界に移され、
古い人を脱ぎ捨て、復活されたキリストを自分の身に着けたのです。

同様に。

洗礼によってキリストと結ばれ、一つの体になったキリスト者の共同体も、
キリストによって、キリストと共に、復活した者として生きることになったのです。

新しい者となったキリスト者は、
この地上のものを求めず、キリストと同じ心で、上にあるものを求める人生を送ることが一番の幸せなのですね。
    人生の本当の幸せのために、大切な人生を送りましょう! ファイト!

『奉納祈願』

『いつくしみ深い神よ、復活祭の喜びに満たされて、この供えものをささげます。
御子の救いのわざによって教会が新たにされ、強められますように。』

『拝領祈願』

『恵み豊かな神よ、あなたの教会をいつもお守りください。
教会が、御子キリストの死と復活の神秘によって新たにされ、復活の栄光に達することができますように。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
穏やかな良い季節になりました。主の復活も有難いことです。 穏やかで感謝の日々をお送りください。 
4月1日…入学。入社。新学期。等等。新しい年の幕開け。素敵な新年になりますように、お祈り申し上げます。 
お元気で!