新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

ヨーロッパ化されたジャズ

2014-06-06 09:28:34 | コラム
穐吉敏子ジャズのヨーロッパ化を語る:

週刊文春 6月12日号の阿川佐和子の穐吉敏子との対談が私にとっては面白かった。1021回目だそうだが、時々私の好みに当たる人が出てくるので、注意はしている。

穐吉敏子は昭和20年代末期のジャズコンサート(略してジャズコン)が大人気の頃にコージーカルテットだったかで弾いているのを聴いた当時では珍しかったバップ系の女性のピアニストだった。その彼女がオスカー・ピーターソンに評価されてアメリカに行った辺りは鮮明に覚えている。正直に言って、凡人の私には何処がそれほど良いのかは解らないうちにアメリカに行ってしまったのだ。

しかし、今やアメリカで殿堂入りした大御所である。あの頃にアメリカに出て行っただけでも偉いものだと思っている間にチャーリー・マリアーノ(Charlie Mariano)と結婚して離婚し、ルー・タバキン(Lew Tabackin)と再婚してビッグバンドに進出した辺りから大いに評価されたのだった。彼女のアルバムはLP時代からでも買ったことがなく、CD時代になって漸く Concord盤を1枚入手しただけだ。

穐吉は「今ジャズと言われているのは主にヨーロピアン・ジャズなんですね。これはほとんどクラシックの言葉で綴られているという感じです。リズムも、スゥイングを嫌う傾向もあるし」と喝破している。「ナルホドねー」と感じ入っている。そうなった理由を「ヨーロッパとの交流もあるでしょうけれど、今はほとんどのプレーヤーが学校から出てきているんです。学校の先生はジャズの経験がない人が多い」と説明している。

私はリタイヤー後にあらためてジャズを聴くようになって、CDを買わざるを得なくなって、レコード店(CD店か?)で勧められるままにヨーロッパのジャズに手を出した。換言すれば、1950年代のジャズとは異なったクラシカルの素養がある白人のジャズである。その多くは澤野工房から出ていた比較的高価な盤だった。確かに綺麗な音楽であるが、スゥイングとは無縁だったと言えるだろう。極言すれば心地良く聞き流せる音楽だった。

しかし、アフリカ系アメリカ人の音楽ではなくなった感があるヨーロッパのジャズは綺麗なものだった。中でもロシア系のウラジミール・シャフラノフ(Vladimir Shafranov)の"Russian Lullaby"は未だにPCのBGMに屡々かけている綺麗な音楽であるが、ジャズかと訊かれれば考え込まざるを得ないだろう。何故こういう種類の音楽が流行るのかと考えたが、余り気に止めなかった。その理由が穐吉敏子の解説で一気に解った次第だ。

何れにせよ、私は良いと思う音楽ならば何でも聴こうという姿勢だから、パバロッティーのカンツオーネも喜んで聴くし、モーツアルトも心の平静を保てる、言わば精神安定剤だと思って、昨年までやらせた頂いていた海外ニュースの和訳で、訳が解らない文章に出会った時に重宝していた。今もモーツアルトを流しているが、この音楽では最も打てる(書く)速度が上がるのだ。

しかし、穐吉敏子をBGMにかけようとは思わない。多分聴いてしまって思考が止まってしまうだろうからだ。だが、モーツアルトならば滑らかに指が動くのだ。こんな事を言えばモーツアルトに叱られそうだ。