新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

ザケローニ監督嫌いが見たW杯第一戦

2014-06-15 14:12:38 | コラム
遺憾ながら悪い予感が当たった敗戦だった:

コートジボアールがどの程度の力があるのかを事前に自分で見ていないので、テレビ中継で試合開始となった時点でどのように勝負の行方のカンが閃くかが言わば楽しみで、観戦を開始した。NHKの解説が岡田前監督と最も安心して聞いていられる福西だったのは良かった。

ピッチに出て行く前の11人の顔つきが硬いのが気になったが、どちらが勝つのかという何時も閃いてくるものが全くない、不思議な試合開始だった。ただ不安で不満だったのが(私が毛嫌いしている)ザケローニ監督は事もあろうに当方が低評価している大迫如きを最前線に使い、遠藤も(サプライズ)の大久保も外してきたことだった。大迫も後半に出してきた柿谷もまだ代表の名に値する次元に達していない補欠要員だ。

前半のコートジボアールはドログバを外してあったせいか「このティームには何のゲームプランもないし、如何なる形で点を取る気なのか」と本気で疑ったほど空っぽで、思想も学問もない身体能力だけのサッカーだった。その前半に本田が先に1点取ったのは非常に良いことで、相手の補欠集団の目が覚めないうちにもう1点取っておけば、勝てるかも知れないと閃いた。だが、結局は追加点を取れず、それが大きな敗因となったと思う。

我が方はほとんど全員が動きが悪く、中盤で余り当たってこないコートジボアール相手に得意の横と後ろのパス回しに専念し、岡崎が機敏に詰め上がって点を取る形を作れず、香川と本田の連携もなく、無思想の相手を崩しきれずに前半を終わってしまった。あんなことに終わるのだったら、最初から馴れた組織である遠藤、長谷部、香川、本田、岡崎を全員使っておけば良かったのではないか。疑問だらけの監督采配だった。

後半になって岡田が南アで使った本田を前に残して、香川と遠藤と大久保で支えていく形にした。だが、確か香川と長谷部を交替させていたのでは何とも中途半端な作戦だった。この形では、ドログバが入ってきた後は好きなように回されて、本田の「ワントップ」を活かすチャンスもなく、大久保も空回りの感があった。

我が代表のあのけだるそうな(緩慢な?)動きの原因は何だったのだろう。次回はもっと良く動けるように調整して貰わねばなるまいが、あの監督は何がやりたくて予選段階でそれほど存在価値がなかった連中を本番で使うのだろう。W杯が終わったら辞任するそうだから、まさか "After me, the deluge" (後は野となれ山となれ)なのではあるまいな。

W杯サッカーに思う

2014-06-15 08:19:11 | コラム
サッカーは"momentum"のスポーツだったのか:

以前にも申し上げたが、我が国の代表ティーム以外にはさして関心がないので、前回の決勝戦だったオランダとスペインが同じ組で、しかもいきなりぶつかるとは知らずに偶然に後半からテレビ中継を見た。後になって見た前半は互角だったと思った。

ここで試合の経過をお復習いすることはあるまい。だが、自分で「英国(UKと言うべきか)のアソシエーションフットボールは"momentum"(弾み)の競技ではない。アメリカ系のベースボール、バスケットボール、フットボール、ヴァレーボールにはその傾向が濃厚である」と主張してきたことが、W杯のオランダ(正しくは "Netherlands"または "Nederland")対スペインでは覆されたという気がした。

後半だけでオランダが4点も取って、スペインが為す術もなく世界的なGKがJリーグでもないような失態で失点するなどは「一度勝機を失って相手に弾みを付けさせて、試合の流れを支配されれば、前回の優勝ティームにまだ世界的な名手が残っていても大敗することがあり得るのだ」と痛感させられた。後半だけ見ていれば「サッカーも "momentum" の競技だったのか」と思わずにはいられなかった。

それにしても、アナウンサーが「香川と同じマンチェスター・ユナイテッド(MU)の」と何度か叫んだオランダのファン・ペルシー(Robin van Persie)という人は上手い。海外の選手にほとんど知識がない私は「MUのファン・ペルシーというのは上手いじゃないか」程度の認識から出発して「オランダ代表だった」というところまで到達していた。興味深かった点は、彼は私の目にはMUでやっているときより遙かに光ってたことだった。

ここまでには他の予選リーグの組でどのような流れで試合の帰趨が決まっていたか知らないが、各方面で守りが堅いと讃えていたギリシャがコロンビアに3対0で負けたのはイヤな情報だった。普通に考えれば、サッカーでは容易にこれほど点差は開かないものだ。要するに「コロンビアはそれほど図抜けて強い」のか、「巧みに弾みを引っ張り込んだのか」の何れかだろう。何れにせよ、我が代表には難敵だろう。

余談だが、1990年代に初めて来日したオランダの印刷・加工会社の社長さんのお手伝いをしたことがあった。その際に何の配慮もなく "Holland" という言葉を使ったら厳しい顔で叱責された。「我が国は "Netherlands" であって公式国名は "the Kingdom of the Netherlands" だ」と聞かされた。"Holland" が俗称であるとこの時に初めて知った。

同様に1970年に英連合王国から出張してこられた大手製紙会社の輸出担当マネージャーにも "England" と言ってお説教された。その内容は「我が国は "the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland" であって、"England"ではない。これからは "UK" と言え」だった。正直なところ、ここまで言われたのには驚かされた。彼等が自国の名称に誇りをお持ちなのだと解釈した。

私が嫌う国語を乱すカタカナ語と造語 #4

2014-06-15 07:05:17 | コラム
英文法も用法の過ちも無視した例:

私がこれまで観察してきたところでは、英語をカタカナ語化する過程で日本語の文法というか日本語の語順に準拠または固執し、英文法を等閑視する傾向がその特徴であることを発見した。批判めいたことを言えば、折角学校教育の英語では文法を重要視して教えられてきた効果が挙がっていなかったのである。私は「文法は後天的に言語を分析したもので、学問的に教えるとかえってそれに縛られて、上手く活用または運用出来なくなる点が原因だったのではないか」と思っている。だが、国語の文法には自信がないどころか、ほとんど覚えていない。嗚呼。

私は英文法を重んじる教育を受けたお陰で、何人かの同僚に(こと英文法については)「お前は学者だから」と揶揄された経験があった。

*コイントス flip (toss) a coin、
解説)これは造語に良くある日本語の語順に従っている例である。即ち、目的語が先に出ている。新しい言葉を作り上げる時に日本語の文法を尊重し且つ束縛されて英語の方は無視して言葉を作って解りやすくしてきた傾向があると解釈している。
このコイントスだが、実際に見るか経験した限りでは "toss"(トス)よりも "flip" (フリップ)を使う人が多かった。"toss" でも「通じる」だろうが。1980年代のことだったか、ノースウエスト航空(現 Delta)とシアトル空港で座席の予約の有無で争った事があった。その際に責任者と称する人物がそれならば「決着を付けるために "Let’s flip a coin. と賭け事に用に言いだして驚かせてくれた。この時は明らかに先方の事務処理に手落ちがあったので、「謝ったら許してやる」と試しに言ってみた。だが、彼ら「謝らない文化国」の民は断固として拒否し、コイントスにしようと言い出したのだ。矢張りアメリカ人は凄い。
「では応じようじゃないか」と切り返すと、流石に諦めて予約があったことを実質的に認めた。思うに「日本人がこれほど戦ってくるとは予想もしていなかった」のだろう。ここでの教訓は「アメリカ人を絶対に妥協してはならない」となる。

*タイピン   tie bar、
解説)これは文法無視の例でだけではないが、言葉の誤用としても良いくらいの珍妙な言葉であるので採録した。"tiepin"=ネクタイピン(アメリカでは "stickpin" というらしい)なるものを最後に見たのは1951年=昭和26年12月だった。これはネクタイの結び目にさすピン飾りのことで、宝石があしらってあったりしていた。そんな物を21世紀の今日何処かで見たことがある人がいたらお目にかかりたい。あのアクセサリーの本当の名称は tie bar" =タイバーである。
これは遺憾ながら「タイピン」が戸籍を得ていて広く通用していると思う。洋品店等の専門店ですら間違いに気付いていないのが凄いと思う。ネクタイ関連で他には "tie clip(clasp)" と "tie tack" がある。後者はピンをネクタイの表から通してワイシャツの裏側で止める形の物である。これの使用者も年々減少していると思う。

*バレンタインデイ  Saint Valentine’s Day、
解説)これは私好みの造語である。ここにも英文法無視がある。元の言葉の謂われは兎も角、"Saint" が省略され、所有格の”s”が飛ばされてしまっている。所有格と複数の観念が日本語にないためか、造語かカタカナ語にする過程で、この "s" は複数を表す場合も含めて、省略されていることがほとんどで特徴でもある。この点が英文法の理解度不足を表しているような点が残念であり且つ面白いのだが。話は逸れるが、レディーファースト="Ladies first" もその例で単数にしてしまったし、"a" の読み方を誤ってしまった。仮名書きすれば「レィディース・ファースト」が英語に近いか。

*アイスコーヒー iced coffee、
解説)余談から入ろう。1962年に初めて大阪に行って「レイコ」と言われて何のことか解らなかったが「アイスコーヒー」だった。ここにも矢張り文法無視があり 、"ice" の後に付くべき過去分詞の "ed" が省略されてしまった。「氷コーヒー」などあるのだろうか。この場合には過去分詞にして形容詞で使っていることを理解すべきだ。カタカナ語化する過程では概ね過去分詞化する作業が省かれるのが特徴だと思う。またまた余談だが、アメリカの野球場内の売り子(vendor)は冷たいビールを "ice cold beer" と叫んで売っている。ここでは過去分詞でなくて良いのだ。

*テーマミュージックまたはソング  theme music or song、
解説)言うまでもないが "thema" はドイツ語で "theme" (仮名書きすれば「スィーム」が近いか)が英語である。それを英語と組み合わせて新しい言葉を創造した点が素晴らしいと思う。先人に拍手。テーマパーク等というのもあった。

*ノートパソコン notebook computer、
解説)「パソコン」が 言うまでもなく "personal computer(=PC)" でそれを短縮したものだが、行きがけの駄賃にと "notebook" までも短縮してしまった。そして戸籍まで与えるところに凄味がある。

*ケースバイケース depending on each case or "It all depends."、
解説)これなども文法無視以外に誤用の最たるものとして良いだろう。記憶にある限りでは1950年代初めにすでに使われていた。"case by case" では「一件ごとに」になってしまうのだ。英文和訳の勉強も効果を発揮していなかった。それでも誰も気が付かずに「時と場合によって(異なる)」の意味で多くの人が使っている。英語圏の人との「英会話」の中で使わないように気を付けて欲しいものだ。この表現を正しく使って実際にアメリカ人が書いた文章をみたのは2008年の5月が最初だった。それなのに前世紀中にカタカナ語化されているのは不思議という以外無い。

*アットマーク at sign、
解説)勿論「@マーク」のことである。本当は "sign" である。野球では本来は "signal" だったものが「サイン」としてカタカナ語化され誤用されている。ここではマークにその座を奪われていた。"sign" は「しるし」か「兆候」か「標識」または「看板」だと思う。

*サイン signature or autograph、
解説)これはかなり微妙な言葉だと思う「署名する」の意味ならば "sign" が動詞である。署名は "signature" で、自筆でした署名を "autograph" と言うのだと思う。私は "sign" を感覚的に動詞と捉えているので、「サインしてください」と願うならば「サイン」というのはおかしい気がするのだが。英語は面倒くさい。直ぐ上の例では "sign" が「兆し」か「看板」であるのに。野球で捕手が出すものを「サイン」と言っているのは "signal" のことだと聞いている。そうでしょう、まさかキャッチャーがピッチャーに署名を送らないでしょう!


*ジャグジー Jacuzzi、

解説)奇怪である!本当は読んで字の如しで「ジャクージ」と発音するのである。確か人に名前(名字だ、念のため)だった。何でこれが「ジャグジー」になり、戸籍まで獲得したのだろうか?まさか、韓国語のように前の言葉に影響されて「ク」が濁音になったのか。誤読という欄を設けなければならないか?こういう誤読の例にグラフィティーがある。"graffiti" は「グラフィーティー」という発音だが、誰かが導入時点でイタリア語のアクセントの位置を変えて和製英語にしてしまった。

*ホッチキス stapler、
解説)"Hotchkiss" はこの器具を考案した人の上の名前(=苗字、念のため)である。「英会話」の中でこんな風に言っても通じないので、ご注意を。なお、英語では "stapler" である。

*プッシュホン push-button phone、
解説)ボタンの掛け違いでボタンを飛ばしてしまった。思うに「プッシュ・バトゥン・フォーン」が言いにくかったのであろう?文法の誤りに入れるべきではなかったか?

*コンセント socket or outlet、
解説)英語に"consent" という言葉があるが、それは主に「同意」として使われていると思う。どうしてこうなったのだろう?

*コインランドリー coin-operated laundry or Laundromat、
解説)多分、真ん中の "operated" が難しいとの判断が働いたので省いたのであろう。何によって運転出来るかを示す言葉がないので文法的に誤りとした。国立国際医療研究センターの地下にあるコインランドリー室の看板には "Laundromat" とある。流石に国立である。「硬貨の洗濯」では意味としても文法的にもおかしくはないか。

*コインロッカー coin-operated locker、
解説)ここでも "operated" が嫌われた。上記と同じ過ちだ。「硬貨ロッカー」では意味をなさない。思うにこれでは長すぎるので、単に "locker" だけでも通じると判断したのか。それでも解ってくれるのが、我が同胞の優れたところだ。因みに「電池式」は"battery-powered" で良いようだが、幸いなことに「電池洗濯機」も「電池ロッカー」もなかった。

*フロント front desk or reception、
解説)最も古典的なな和製英語の一つ。「フロント」では意味をなさない。言葉の誤用に入れるべきだったか。「フロントで会いましょう」と外国人に言ったら、ホテルの前で待っていたという落ちになる。私は "reception" (リセプション)という表現を聞くことが多かったと思う。現にその表示がされているホテルが多かった。

*クライアント client、
解説)クライエントと発音するのではないかな?発音記号だってそうなっている。誤読に分類すべきだったかも。この方は個人の客で、"customer" とすると複数形にする前に集団のような感覚で捉えていた。

*プレゼンテーター presenter、
解説)文法的におかしく、みっともない造語である。"presentation"(=プリーゼンティション)という言葉がある。屡々プレゼンと言われているあれだ。ここにまた得意の "er" をつけたまでは良かったが、語幹を誤認してしまったのが敗因。困ったことに、芸人の世界以外にもかなり多くのこの言葉の愛好者がいる。

この項終わり

続く)