早慶戦では見かけなかったキラキラネーム:
6月1日に退屈しのぎと暑さ対策で家に籠もっており、偶然に野球の早慶戦を途中から見てしまった。当方の関心は勝負の行方よりも両校の学生たちにどれほどのキラキラネームがいるかにもあった。当方は些かこの摩訶不思議な名前に偏見を持っているので、天下の三大私立(今や東京理大を加えて四大私立というらしいが)の大学に子弟を送り込む家庭でも、流行に追われてあのような名前をつけるのかにも関心があったのだ。
しかし、勝負弱いはずの何シーズン振りだったかの優勝を目指す慶応が大健闘して、7回だったかに2点をリードした辺りから勝負の行方も気になって来たのだった。しかし、それでもしっかりと各打者の一球目辺りに掲示される姓名を注視していた。そして判明したことは、両大学の野球部にはそう断定出来る名前の持ち主がいなかったことだ。
高校野球界には呆れるほど「翔」一字、ないしは他の漢字と複合の名前の持ち主がいるが、そういう連中はこの両校の野球部には受け入れられなかった模様だ?尤も、慶応には慶応高校出身者が過半数のような感があったので「ナルホド」と、偏見の持ち主は妙に納得していたのだった。
ところで勝敗だが、当方が非常に高く評価している早稲田の各運動部の「絶対と言って良いほど試合を投げずに最後の最後まで食い下がり、遂には勝ってしまう」強さが(私はこれを「粘り強く」と称するのは失礼だと思う)本日は最後まで出てこなかったので、慶応が優勝する結果に終わった。
それにしても早稲田の監督は二連投になってもあれだけ投げて見せた「エース」とやらの有原を何故温存して、敗戦処理に使ったのだろう。明日があるかも知れないという屁理屈は成り立たないのではなかったのかな。
振り返ってみれば、当方は違う大学の出身なので早慶戦(慶早戦)は、両校が関東一部リーグで常に優勝を争っていた1950年代のサッカーのものしか見たことがなかった。その感覚から見ても、野球におけるあの試合の雰囲気は独特で(異常と言っても良いかも)、あの応援団の野球場のスタンドでしか出来ない応戦指導振りも熱が籠もっていて凄いと思う。だが、何故何処の大学でも高校で振り付けが同じなのかと、何時も不思議に思っている。
話が逸れたが、私はキラキラネームの流行が速やかに終わって欲しいと願っている昭和一桁の高齢者である。
6月1日に退屈しのぎと暑さ対策で家に籠もっており、偶然に野球の早慶戦を途中から見てしまった。当方の関心は勝負の行方よりも両校の学生たちにどれほどのキラキラネームがいるかにもあった。当方は些かこの摩訶不思議な名前に偏見を持っているので、天下の三大私立(今や東京理大を加えて四大私立というらしいが)の大学に子弟を送り込む家庭でも、流行に追われてあのような名前をつけるのかにも関心があったのだ。
しかし、勝負弱いはずの何シーズン振りだったかの優勝を目指す慶応が大健闘して、7回だったかに2点をリードした辺りから勝負の行方も気になって来たのだった。しかし、それでもしっかりと各打者の一球目辺りに掲示される姓名を注視していた。そして判明したことは、両大学の野球部にはそう断定出来る名前の持ち主がいなかったことだ。
高校野球界には呆れるほど「翔」一字、ないしは他の漢字と複合の名前の持ち主がいるが、そういう連中はこの両校の野球部には受け入れられなかった模様だ?尤も、慶応には慶応高校出身者が過半数のような感があったので「ナルホド」と、偏見の持ち主は妙に納得していたのだった。
ところで勝敗だが、当方が非常に高く評価している早稲田の各運動部の「絶対と言って良いほど試合を投げずに最後の最後まで食い下がり、遂には勝ってしまう」強さが(私はこれを「粘り強く」と称するのは失礼だと思う)本日は最後まで出てこなかったので、慶応が優勝する結果に終わった。
それにしても早稲田の監督は二連投になってもあれだけ投げて見せた「エース」とやらの有原を何故温存して、敗戦処理に使ったのだろう。明日があるかも知れないという屁理屈は成り立たないのではなかったのかな。
振り返ってみれば、当方は違う大学の出身なので早慶戦(慶早戦)は、両校が関東一部リーグで常に優勝を争っていた1950年代のサッカーのものしか見たことがなかった。その感覚から見ても、野球におけるあの試合の雰囲気は独特で(異常と言っても良いかも)、あの応援団の野球場のスタンドでしか出来ない応戦指導振りも熱が籠もっていて凄いと思う。だが、何故何処の大学でも高校で振り付けが同じなのかと、何時も不思議に思っている。
話が逸れたが、私はキラキラネームの流行が速やかに終わって欲しいと願っている昭和一桁の高齢者である。