新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

キラキラネーム嫌いの弁

2014-06-01 17:21:39 | コラム
早慶戦では見かけなかったキラキラネーム:

6月1日に退屈しのぎと暑さ対策で家に籠もっており、偶然に野球の早慶戦を途中から見てしまった。当方の関心は勝負の行方よりも両校の学生たちにどれほどのキラキラネームがいるかにもあった。当方は些かこの摩訶不思議な名前に偏見を持っているので、天下の三大私立(今や東京理大を加えて四大私立というらしいが)の大学に子弟を送り込む家庭でも、流行に追われてあのような名前をつけるのかにも関心があったのだ。

しかし、勝負弱いはずの何シーズン振りだったかの優勝を目指す慶応が大健闘して、7回だったかに2点をリードした辺りから勝負の行方も気になって来たのだった。しかし、それでもしっかりと各打者の一球目辺りに掲示される姓名を注視していた。そして判明したことは、両大学の野球部にはそう断定出来る名前の持ち主がいなかったことだ。

高校野球界には呆れるほど「翔」一字、ないしは他の漢字と複合の名前の持ち主がいるが、そういう連中はこの両校の野球部には受け入れられなかった模様だ?尤も、慶応には慶応高校出身者が過半数のような感があったので「ナルホド」と、偏見の持ち主は妙に納得していたのだった。

ところで勝敗だが、当方が非常に高く評価している早稲田の各運動部の「絶対と言って良いほど試合を投げずに最後の最後まで食い下がり、遂には勝ってしまう」強さが(私はこれを「粘り強く」と称するのは失礼だと思う)本日は最後まで出てこなかったので、慶応が優勝する結果に終わった。

それにしても早稲田の監督は二連投になってもあれだけ投げて見せた「エース」とやらの有原を何故温存して、敗戦処理に使ったのだろう。明日があるかも知れないという屁理屈は成り立たないのではなかったのかな。

振り返ってみれば、当方は違う大学の出身なので早慶戦(慶早戦)は、両校が関東一部リーグで常に優勝を争っていた1950年代のサッカーのものしか見たことがなかった。その感覚から見ても、野球におけるあの試合の雰囲気は独特で(異常と言っても良いかも)、あの応援団の野球場のスタンドでしか出来ない応戦指導振りも熱が籠もっていて凄いと思う。だが、何故何処の大学でも高校で振り付けが同じなのかと、何時も不思議に思っている。

話が逸れたが、私はキラキラネームの流行が速やかに終わって欲しいと願っている昭和一桁の高齢者である。

日本人の英語力を論じれば

2014-06-01 14:05:29 | コラム
落合信彦氏がSAPIO 6月号に:

アメーバが以下のように紹介していました。「英語の資格試験の点数云々」はその通りだと思います。「欧米ではその人物の喋る英語で教養レヴェルを判断する」辺りは私が長年指摘し続けたこと。そうとは知らなかった方には新鮮でしょう。今頃取り立てて言うことでもないという気がしますが、良いこと(=私の持論と良く似たこと)も書いてあるので敢えてご紹介します。

>引用開始
グローバル時代の到来で英語を操る能力が必須と言われているにもかかわらず、日本人の多くは英語が苦手だ。国際ジャーナリストの落合信彦氏は、英語習得のために英語の資格試験の点数を稼いでも意味がないという。英語力をあげるために、日本人に必要なことについて落合氏が解説する。

 * * *
 グローバル化や国際競争力の強化が盛んに叫ばれているにもかかわらず、日本人は「英語」ができない。各種調査で日本人の英語力がアジア最低クラスにランクされる状況が続いている。その理由については「学校教育が悪い」「これまでは十分な内需があったので国内でビジネスをしていればよかった」といった分析がなされている。

 どれも本質的な議論ではない。日本人の英語力が低いのは、言葉を学ぶことを「楽しむ」姿勢が足りないからだと私は考えている。

 英語力を身につけようとする時に、日本では多くの人が資格試験の教科書を手に取る。ペーパーテストで良い点を取るための勉強では楽しくないし、高い点数が取れても実際に英語でコミュニケーションできるようにはならない。

「履歴書に点数を書くことが目的だからそれでいい」という人もいるようだが、よく考えてもらいたい。解答のあるペーパーテストなど、訓練すれば誰でも点数が取れるようになる。そんなものがキャリアを重ねていく上でアドヴァンテージになるはずがないだろう。日本には英語の資格試験が60種類以上あるというニュースがあったが、「英語力の低い資格試験大国」ではあまりに悲しい。

 私はアメリカの大学に留学するために、英語を必死で勉強した。今思い出してもそれはとても楽しい日々だった。

 私がアメリカ留学を決意したのは高校在学中のことだ。アメリカの大学であれば奨学金制度が発達しているから、母子家庭で私を育ててくれた母に負担をかけずに済むし、何よりも世界中から優秀な人材が集まるアメリカで様々なバックグラウンドの人間と議論すれば、自分がそれまでに触れたことのない知識や価値観を学べると思っていた。

 私は期待に胸を膨らませて、英語の習得に全力を尽くした。

 まずやったのが、「辞書を覚える」ことだった。『ロジェッツ・スィソーラス(Roget’s Thesaurus)』という類語辞典を買い、内容をまるまる書き取って暗記していった。これはどんな言葉を学ぶ時でも通用する上達の鉄則だが、類語を数多く覚えることで表現の幅が広がる。豊富な語彙はコミュニケーションを楽しむ上で必要不可欠なものだ。

 2ページ分の辞書の記述を5回ノートに書き写したところで、そのページを破り捨てるというのが私のやり方だった。スィソーラスは1500円くらいだったので、非常にもったいなかった(当時、私がやっていたトラック運送の助手のアルバイトの月給が数千円だった)。だからこそ必死になって覚えた。

 この学習スタイルのお陰でアメリカに留学した時、私の語彙力はネイティヴ・スピーカーの同級生を上回っていて、物怖じすることなく彼らと議論することができた。

 先ほどペーパーテストの点数にこだわるべきではないと指摘したが、「会話が大事で、グラマー(文法)は重要ではない」といった主張にも私は同意しない。欧米ではその人物の喋る英語で教養レヴェルを判断する。正確なグラマーで話しているか、直接的過ぎる言い回しをしていないか、といったことは大切で、それに加えて同じ単語ばかり使っていないか(語彙は豊富か)という点もポイントになる。

 面倒だと諦めるのは簡単だが、きちんとした英語を身につければ教養のある人物と知的な会話を楽しめる。それほど刺激的な目標は他にないだろう。これから英語の勉強を始める人にはぜひスィソーラスを読み込んでもらいたい。

 映画館にも通った。まだ大らかな時代で観客の入れ替えなどはなく、毎週日曜日に朝から晩まで同じ映画を繰り返し観た。鉛筆の先に小さな電球をつけて、聞き取れたセリフを片っ端からノートに書いていき、会話を丸暗記した。そうすることで耳も鍛えられるし、会話の機微もわかってきた。
>引用終わる。

真一文字



労働力不足の解消のための移民受け入れは

2014-06-01 10:18:46 | コラム
私は移民ではなく異民問題かと思っている:

以下は、これまでに何度も述べてきたYM氏の受け売りだと言われそうな説だ。それは、アメリカのIvy Leagueの8大学やそれに準じるような優れた州立大学には全世界から留学生が押し寄せているそうだ。その中で最も特徴的な現象が中国と韓国からの留学生の場合には、その家族から留学生ヴィザを取得した者が出てことを奇貨として、一家全員が移住してきてしまう現象だそうだ。

そして、言わばアメリカにとっての問題点は「違法か合法かを無視して一家全体が定住してしまうという副産物が発生すること」だそうだ。ここで私が敢えて言うまでもないが、その国々では訪れた先の外国の法律などは余り気にかけずに、言わば自分たちが法律だとでも思っているかのように勝手に自国にいるかの如くに振る舞う傾向があるそうだ。

しかも、これも言うまでもないことで、移ってきた先の先進工業国の方が住みやすく暮らしやすいのは当然だし、居住する地域の選択を誤らねば安全(セキュリティーではないよ、"securityは「セキュアラティー」の方が正確だ)も保証されている。

単純反復労働を引き受けてくれる労働力を諸外国から受け入れて、労働力不足の解消を図ることという見た目の良いコインの裏側には、上記のように招いていなかったはずのお客様が付いてくる危険性(私はこういう場合に可能性という言葉を使うのは誤りだと信じている)が高い。このおまけの問題だけではなく、本来招き入れた労働力が起こした問題については、今更ここに何も述べる必要はないだろう。一例を挙げれば、嘗てLAではアフリカ系住民と大闘争を起こしたではないか。

具体的に言えば、ここ百人町大久保界隈の表通りに起きている現象そのものも芳しくないが、そこで商業活動を営む連中が住んでいる地区(裏通りであり、他所から来た人たちは行かないだろうアパート地帯の意味)を歩いてみれば、異民問題の上っ面だけでも解るだろうか。これまでに彼等はマスコミを賑わすような問題を起こしていない。だから居ても良いって言う問題ではないと言いたい。

ここまででは何を言いたいのかは解らないと言われるならば、いっそのことカリフォルニア州まで飛んでLAのKoreatownなり、サンフランシスコのChina Townでも視察してくるか、ドイツとトルコ人の問題でも検索してみればどうか。アメリカに行けば折角作って貰ったマニュアルが読めない現場の組合員も居たぜ。

海外の事情を知ることも重要かも知れないが、先日引用した我が国の「さとり世代」と揶揄されている若者の勤労意欲を呼び覚ますことも極めて重要でなはないか。現在の政治家も官僚も教育者も身内に「さとり世代」を抱えておられる方もおられるのではないのか。おられなければ、現実の世界ももう少し自分で調査に回られては如何か。

官公庁と企業が出す統計や報告書だけをとっくりと見ていても、現実にいくらかな近付くだろうが、それは所詮は過去に何が起きていたかを示すだけのことで、そこから近未来やその先の将来が見えてくる訳ではないのだ。労働力不足の解消とは、外国からでも数だけ集めれば済む問題ではないのだと言いたい。