新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

女性の活用を掲げる安倍内閣に思う

2014-06-28 15:52:57 | コラム
安倍総理の方針に疑問あり:

偶には安倍総理の方針に「疑問あり」と申し立てても罰は当たるまいと思う。その第一は「20万人の外国人労働者の導入」で、これには既に何度か激しく異議申し立てを行ったので、ここでは採り上げない。今回は「女性の活用」で、何でも「一社毎に取締役中の女性の比率を申告させるようにされる」とかだ。

私は「現状以上に企業社会を中心に女性の力を有効に活用していこう」というのが基本理念であれば何ら異議はない。女性には男性には望めない素晴らしい能力があって、それを活かしていくのならば大変結構なことだからだ。私は194年1月にリタイヤーするまでに12年間、1人の秘書と共に仕事をしてその女性の能力の素晴らしさにどれほど助けられ、啓蒙され、学習させて貰ったことか。20年が過ぎた今でも彼女には感謝しかない。

アメリカの事業部の本部にも、他の事業部にも「素晴らしい」を通り越して「凄い能力がある女性たちだ」と痛感させられた人たちとは数多く出会った。女性たちの中にはマネージャーの称号を持つ一定上の範囲の難しい職務を任された担当者もいれば、その有能な女性たちを統括し、その部の部長職にあった者もいた。

私には「それぞれの事業本部内では総責任者である Vice president and general manager が上記のような女性たちに、安心して仕事を任せている」と見えた。特に我が事業部で「受注、生産計画、製品の在庫管理、輸送計画、工場との連絡、世界各国の営業所との連絡等」を女性2人に完全に任せ(うち1人はマネージャーのタイトルを持っている)、我々のように出先である東京でも信頼しきっていた。VP&GMも一切日常業務には介入しなかった。

ここで注目して頂きたいことは、ここに言う2人の女性は一寸お考え頂けば解ることで、言うなれば膨大な範囲の一刻も手抜きを許さない絶え間なく反復する業務を昼夜の別なく遅滞なく進行させているのだ。2人が担当する範囲を売上高でにすれば当時でも500億円を下回ることはなかっただろう。しかも、彼女らには部下どころかアシスタントも何も一切いないのである。この辺りがアメリカの企業での女性の力と能力の活用の上手さであると思う。

もっと解りやすく言えば、彼女たちには我が国の組織で言う「係長」、「課長」、「部長代理」、「部長」のような階級を表す手当を貰える称号は与えず、精々 manager 止まりである。この肩書きには手当も何もないのだ。しかし、実績次第で毎年の査定の際に十分に評価されて、恐らく自分で「リタイヤーする」と名乗り出るまで毎年給与は十分に増え続けていくだろう。

また、中にはある人数以上の組織を任される人も出てくるだろうし、現に女性ばかりの部で統括責任者だったうるさ型のmanagerもいた。確かに、Vice presidentに昇進していた女性も勿論いた。

私が以上のようなアメリカの組織での女性の活用法に見出すことは「地位を与えるというか管理職に任じられることもあるが、実際には彼女たちの持つ能力を全面的に活かす仕事で、男性のようにやや妥協しやすい嫌いがある者には到底追い続けられないかも知れない切れ目がない仕事を確実にやり抜いていける女性の能力の素晴らしさを活かし、さらに禄を以て報いる方式を採っている場合が多い」のである。

勿論、個人には差があるし、各人が目指しているところにも当然のように違いがあるので、野心的な女性にも数多く出会った。そして彼女らはあの生存競争激しきアメリカのビジネス社会で男性に混じって競争するのを厭わなかった。そういう生き方を選択する女性もいる。その意欲をどう活かすかは、会社の上司であり、組織の力の有無である。

長い導入部になったが、言いたかったことは「我が国のように一斉に新卒で入社して同期の者たちと言わば切磋琢磨して、段階的に昇進し、何時の日か課長に昇進し、さらに部長という形で『部下を率いて率先垂範し、後進を育て、周囲と調和して(常に根回しを忘れることなく)と言ったような組織の長になるべく日夜努力する世界』では、アメリカのような女性の能力を活かしていくのに最善か」という思いを禁じ得ない。

安倍総理は我が国有数の鉄鋼会社に勤務の経験はおありだと聞くが、アメリカのような「個」と「個性」を重視し且つその中で女性を活かしていく文化があることを何処までご承知なのかということだ。我が国で「地位を与えずとも禄を以て報いる」という精神が何処まで受け入れられるかだろうが、女性の力を活かす場合に「地位を目指させるのか=管理職に任ずる」のを究極の目標に掲げるのか、給与面の待遇を良くするのか、その辺りに考慮と配慮と検討の余地があると思う。