カタカナ語も英語の略式表現も使うな:
つい先日「マスコミが対象としているのは50歳台以上と20~30歳台のミーハー」という某テレビ局の幹部の率直な意見を紹介した。さらに、私が1990年から業界の専門誌に書かせて頂いたエッセーの連載では「カタカナ語を使って文章を書き且つ語る人は如何にもスマートで近代的な言葉遣いだと思っておられるのだろうが、そのような国語を無視するスマートさなど不要だ」と書いていた。即ち、私のカタカナ語排斥は前世紀から始まっていたのだと確認しておこう。
先ほども何処の局だったかで、洋菓子の新製品を試食したアナウンサーだったかが「クリーミーでモデストな味」と曰うのには、呆れる前に感心した。テレビで食べ物の味を表現する言葉はこの他に「フルーティ-」と「ジューシー」が三種のカタカナ語だと言えるだろう。日本語で言えないのかと怒る前に、かかるシナリオを作った局内の誰かの教養と品性を疑いたくなるが、それは誤りだろう。何分にも対象となっているのは私ではなくミーハーだったのだから。
"creamy" という言葉は確かに英語である。ジーニアス英和にある最も適切だと思う訳は「クリームの味がする」だと思う。単語を重視し英文和訳に力を注ぐ我が国の学校教育ではこうは教えていなかったようだ。"modest" には言葉を失う。こういう言葉を使って話すのは相当な上級者だ。第一「控え目な」とか「まあまあの」と英和にあるが、この形容詞は食品に使うものではないと思う。単語帳教育の成果?で「控え目な味」とでも言ったつもりだったのだろうが。
"fruity" は確かに "smelling or tasting strongly of fruit" と Oxford にはある。ジーニアスは「果物の味[におい]のする」とある。何故素直にこう言わないのだろう。"juicy" は「果物・肉などが汁(水分)の多い」となっている。ならば「水気(または汁気)のある」辺りで良くはないか。ここまでの三つは日本語で言っても何秒も時間をおしはしないだろう。彼等はそれほどカタカナ語を使って格好をつけてミーハーの人気を取ろうというのか。
この三巨頭以外で不思議なのが「対」という意味で "versus" を使うことである。しかも、それを略して "VS" と表記するか発音を「ブイ・エス」とするのは気に入らない。"v" は「ヴィー」であって「ブイ」ではない。偶にはこれを「バーサス」と言う者もいるがこれもおかしい。素直に「対」で何処が悪いのだろうか。「こんな簡単な言葉をカタカナ語にして国語を蔑ろにして恥ずかしくないのか」と言いたいが、そうは思っていないから平気でカタカナ語にするのだろう。お里が知れるぜ。
お里と言えば、"I am going to ~" や "I want to ~" を略して "I’m gonna ~." や "I wanna ~. と公式の席でも言われる大統領がおられる。どう言われようと大統領のお好きになされば良いのだ。だが、こういう言葉遣いが決して尊敬されるものではないと知らない人や、そうは教えられていない生徒や学生は「大統領も使っておられるからオッケーだろう」と誤解するのではと危惧する。
私はこういう言い方はしなかった。と言うよりも、そうする簡略な表現があると知ったのが遅かったからだ。私の考えは「こういう言葉で格好つけてしゃべる前に、キチンとした原型である "I am going to see my mother next week." であるとか "I want to buy a new pair of shoes." といった表現を使いこなせるようになってから、非公式な仲間内の会話ででも使えば良い」なのである。
念のため申し上げておくと、"gonna" も "wanna" もスペルチェックで引っかかるようだった。以前に指摘した "Me, too." も言うまでもなく駄目だった。良く覚えて置いて頂きたい。
外国語を覚える際には、どのような表現を自分が真似て然るべきかをチャンと教えて貰ってから出発する方が良いだろう。正調なアメリカ語やQueen’s accent以外にも種々の方言も訛もあれば、真似てはならない品格に乏しい表現もあるのだ。外国に行って初対面の方に向かって「おメ-に会えて良かったじゃん」などと間違っても言わないようにしたいものだ。だが、それを教えるのは何処の誰だろう。
つい先日「マスコミが対象としているのは50歳台以上と20~30歳台のミーハー」という某テレビ局の幹部の率直な意見を紹介した。さらに、私が1990年から業界の専門誌に書かせて頂いたエッセーの連載では「カタカナ語を使って文章を書き且つ語る人は如何にもスマートで近代的な言葉遣いだと思っておられるのだろうが、そのような国語を無視するスマートさなど不要だ」と書いていた。即ち、私のカタカナ語排斥は前世紀から始まっていたのだと確認しておこう。
先ほども何処の局だったかで、洋菓子の新製品を試食したアナウンサーだったかが「クリーミーでモデストな味」と曰うのには、呆れる前に感心した。テレビで食べ物の味を表現する言葉はこの他に「フルーティ-」と「ジューシー」が三種のカタカナ語だと言えるだろう。日本語で言えないのかと怒る前に、かかるシナリオを作った局内の誰かの教養と品性を疑いたくなるが、それは誤りだろう。何分にも対象となっているのは私ではなくミーハーだったのだから。
"creamy" という言葉は確かに英語である。ジーニアス英和にある最も適切だと思う訳は「クリームの味がする」だと思う。単語を重視し英文和訳に力を注ぐ我が国の学校教育ではこうは教えていなかったようだ。"modest" には言葉を失う。こういう言葉を使って話すのは相当な上級者だ。第一「控え目な」とか「まあまあの」と英和にあるが、この形容詞は食品に使うものではないと思う。単語帳教育の成果?で「控え目な味」とでも言ったつもりだったのだろうが。
"fruity" は確かに "smelling or tasting strongly of fruit" と Oxford にはある。ジーニアスは「果物の味[におい]のする」とある。何故素直にこう言わないのだろう。"juicy" は「果物・肉などが汁(水分)の多い」となっている。ならば「水気(または汁気)のある」辺りで良くはないか。ここまでの三つは日本語で言っても何秒も時間をおしはしないだろう。彼等はそれほどカタカナ語を使って格好をつけてミーハーの人気を取ろうというのか。
この三巨頭以外で不思議なのが「対」という意味で "versus" を使うことである。しかも、それを略して "VS" と表記するか発音を「ブイ・エス」とするのは気に入らない。"v" は「ヴィー」であって「ブイ」ではない。偶にはこれを「バーサス」と言う者もいるがこれもおかしい。素直に「対」で何処が悪いのだろうか。「こんな簡単な言葉をカタカナ語にして国語を蔑ろにして恥ずかしくないのか」と言いたいが、そうは思っていないから平気でカタカナ語にするのだろう。お里が知れるぜ。
お里と言えば、"I am going to ~" や "I want to ~" を略して "I’m gonna ~." や "I wanna ~. と公式の席でも言われる大統領がおられる。どう言われようと大統領のお好きになされば良いのだ。だが、こういう言葉遣いが決して尊敬されるものではないと知らない人や、そうは教えられていない生徒や学生は「大統領も使っておられるからオッケーだろう」と誤解するのではと危惧する。
私はこういう言い方はしなかった。と言うよりも、そうする簡略な表現があると知ったのが遅かったからだ。私の考えは「こういう言葉で格好つけてしゃべる前に、キチンとした原型である "I am going to see my mother next week." であるとか "I want to buy a new pair of shoes." といった表現を使いこなせるようになってから、非公式な仲間内の会話ででも使えば良い」なのである。
念のため申し上げておくと、"gonna" も "wanna" もスペルチェックで引っかかるようだった。以前に指摘した "Me, too." も言うまでもなく駄目だった。良く覚えて置いて頂きたい。
外国語を覚える際には、どのような表現を自分が真似て然るべきかをチャンと教えて貰ってから出発する方が良いだろう。正調なアメリカ語やQueen’s accent以外にも種々の方言も訛もあれば、真似てはならない品格に乏しい表現もあるのだ。外国に行って初対面の方に向かって「おメ-に会えて良かったじゃん」などと間違っても言わないようにしたいものだ。だが、それを教えるのは何処の誰だろう。