新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

海外旅行の危険性の補足

2014-06-14 08:10:35 | コラム
海外での危険回避の方法:

昨13日には商社マンと定例の懇談会がありました。その際に彼とこの件でお互いの経験を回顧しました。彼は1990年代にブラジル出張の経験があって現地の治安状態は当時でも危ないものがあったと言っていました。彼も我が同胞の問題点は「海外でも我が国と同程度の安全性がある」と思い込んでいることにある」と指摘。「海外慣れしている彼ですから無事に切り抜けたのだ」というのが結論でした。

私は1970年(アメリカの会社に転身以前です)に初めての海外出張の二番目の訪問国でフィリピンに行って、現地の取引先にかの歓楽街というかキャバレー街 Roxas boulevard のキャバレーに案内されました。その際にクロークに「firearms(ピストルの意)を持っている者はここで預けろ」と掲示されていて、言わばぶっ魂消ました。預けないで知らん顔で持って入られたらどうなるのでしょうか。

転身後の1970年代後半、サンフランシスコの Holiday Inn China Town では、一緒に来てくれた商社の駐在員が「先日ここでチェックイン中の日本人がフロントデスクのカウンターの上に、バーバリのコート何気なく置いて宿泊カードに記入し終わってみれば、消えていました」と。さらにエレベーターに行くとページボーイが「先日、ここでお客様が射殺された事件が」と言って弾痕を指さしました。このホテルに泊まったのはこれが最初で最後。この China Town には現地人は先ず入っていきません。

私は何年か後に一度だけ車で通り抜けただけ。行かなければ無事です。即ち「君子危うきに近寄らず」の大原則を守ることでしょう。

私は何処の国を旅行中でも、空港等の公共の場でブリーフケースを下に置く時は、必ず両足の間に厳重に挟んでいました。1993年10月にジョージア州アトランタで、NYから来てくれた商社の駐在員さんが道を誤って黒人街の中に車を入れた時の何とも言えないこわーい雰囲気には車内にいた全員が縮み上がり、急遽バックで脱出。その怖さを肌で感じたから救われたのでしょうが、解らなかったらどんな目に遭ったか。あの頃のレンタカーにはGPS等なかったので、地図を見ていて失敗したのです。

こういうことは経験してみないと解らないのが怖いですね。

話は違う余計なことですが、何事に付けても中国には真っ向から言うべき事を言って封じ込めておかないと、これから先に何を仕掛けてくるかの意図が見えている気がするので薄気味悪いのですが。ずっと以前に "imminent crisis" という題名の映画ありました。"imminent" を「今にも起こりそうそう」と訳すと、イヤな予感がする気がします。考え過ぎでしょうか。

FIFA主催W杯に思う

2014-06-14 07:34:35 | コラム
日本の審判の判定の基準は:

昨13日からW杯が始まって開幕試合のブラジル対クロアチアの中継があった。実は当方には日程にさしたる関心がなく、早朝から目が覚めてテレ朝のアメリカのゴルフ中継にウンザリさせられてフジにすると、この試合が出てきたので見てしまった。この試合の審判3人が全員日本人だとテレビが感激せよと言わんばかりに報じていたが、良く考えなくても解ることで中立の地域の国から選ばれたのだろう。この話題を敢えて文化の範疇に入れてみた理由は後で述べる。

私は我が国の審判の判定は世界的に見ても公平だと見なされているのだと思ったいた。それは他国には必ずしも公平・正確ではない審判がいたということを立証しているとも思うのだが。しかも、解りやすく言えば「下手」な審判もいる。西村雄一氏は下手ではあるまい。

私の懸念は「この真面目すぎて細かい反則も許さない我が国の審判の方々の判定が何処かで問題にされるのではないかということと、我が国の審判は試合の演出者ではなく、飽くまでも厳正に裁く判事のような気概があること。時には、その真剣さと規則に忠実な姿勢が欧米の諸国には煙たがられるのではないか」というところにあった。

ところで試合だが、私は1対1で前半を見終わったところで「クロアチアさん、ここまでこれほど楽しませて頂いて有難う。ご苦労様でした」と言って、そこまでで見るのを止めてしまった。理由は簡単で、画面には "possession" (フットボールでは "time of possession" と時間で表示される、念のため)として表示された数値が70%方ブラジルで、如何に小粒な者ばかりの集団でも、クロアチアが勝てる相手ではないと見切ったからだ。

前半の西村主審の判定の基準は私には寧ろ抑え気味で、間違いなく公平且つ正確に反則を取っていたと思う。これならば穏やかに試合が進行していくと、やや希望的観測を入れていた。ところが後半の半ば過ぎに念のためにフジにするとトウ・キックのシュートでブラジルが3点目を取っていて、アナウンサーが 「PKもあった」と叫んでいた。しかし、PKを取られた場面を見ていないので、それが問題になったとは知る由もなかった。

後からニュースなどで何度かその判定の場面を見た。これは得意の表現である「(サッカー)文化の違いだ」で片付けられるかも知れないが、負けた方は相当凝ってくるだろうなと思わせられる、我が国では通用する規則に忠実な判定だなと思った。苦情を言いたい気持ちは解らないでもないが、クロアチアの監督の批判は言い過ぎだと言いたい。だが、狩猟民族なら言うだろう。だが、そういう判定でも「負けた方が弱いのだ」くらいは承知しているだろう。

ブラジルだが、我が国のマスコミが優勝候補と囃し立てるのは解るが、上記のように小粒だが粒が揃った者を集めてあって凄いとは思わせられたが、日韓合同開催の頃と比べれば他の国の水準が上がってブラジルに迫ってきたので、あれではこれから先は苦戦するのではと思った。「クロアチアは決して引いて守っていたのではなく、好機至れば攻め込んでやろうという一歩も引かない戦法だったので、手こずっているようでは」という意味だ。

西村雄一氏の真摯な姿勢での判定をあれほどマスコミが採り上げて騒ぎ立てたのでは、FIFAはこれから先は使いにくくなるだろうし、勘ぐれば「欧米諸国は文化の違う国の審判を早い時点で忌避する姿勢でも見せようとするのかな」なのだった。私は西村氏には「フェアープレー」の精神を見た気がした。