新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

サッカーを考えると

2014-06-02 08:18:10 | コラム
矢張りサッカーは狩猟民族のゲームだなと痛感した:

1日に偶然にBSフジでUEFA(ヨーロッパサッカー協会連合)の女子のクラブ選手権の試合を何の予備知識もなく、しかも途中から見た。クラブである以上、寄せ集めの一国の代表間の試合よりも遙かに凄いサッカーで、「狩猟民族のゲームだなー」とひたすら感心しながら見てしまった。何が凄いのかと言って当たり方が怪我など眼中にないと思っているらしい尋常ではない激しさだし、ボールの扱いも素晴らしいし、キック力も凄いし、シュートへの執念などはJリーグや間もなくW杯に出場する代表などは見習って欲しいと言いたいほど集中していた。

特に二連覇したと聞いたドイツのヴォルフスブルクが2:0から後半だけで4点も取って4:3で勝った闘争心などは到底「フェアープレー賞」を貰ってしまう我が国の代表には望むべくもないのではと疑いたくなった。それほど凄まじいという意味だ、念のため。負けてしまった方にはブラジルのエースだと聞こえた得点の感覚が図抜けていた上手いFWがいたが、あそこまでの能力と闘争心を導き出す背景には何があるのかと、思わず考え込んでしまった。

我が国からも大儀見を始め多くの女子の代表選手が欧州のリーグに出て行っているが、あの場で揉まれて鍛えられれば世界の凄さを十二分に認識出来て、当たりというか当たられても強くなるだろうし、闘争心の表現力も向上し、技術的にも進歩する訳だと納得出来た。要するに「農耕民族的なフェアーさ」からの脱却が焦点だなと、今頃になって見えてきた凄い試合だった。

一方目前に迫った男子のW杯だが、NHKでは過去の我が代表の試合振りのヴィデオを見せてくれていた。その一部だった1998年に初めて出たパリでの大会でクロアチアに負けた試合の後半を見る機会があった。中心選手は中田英、井原、城、川口等だった。私にとっては非常に懐かしい古き良き時代の世界に通用しにくいサッカーだったが、現在の代表との質的な違いを見出させてくれた結構な見物だった。

全くの余談だが、スポーツ関連のマスコミは何故あの岡野雅行を「野人」として未だに褒め称えるのだろう。彼は確かにW杯出場を決定づけるシュートを良く前に上がってつめて決めた功績はあるが、サッカーの技術は並以下で足が速いだけのものだと、私は低評価している。彼はこの敗戦でも後半に交代選手として出たが、私の目には役に立っていなかったとしか見えなかった。

では当時と今とは何処が違ってきたかといえば、当時はフィールド一杯に選手が広がって(現在との比較でも)長目のパスを蹴って攻め上がる形で、古い表現では「縦一発」で相手ディフェンスの裏を衝いてバックスを追い抜こうという素朴なスタイルだった。現代表のように細かいパス交換をして手数が多く、しかも責任逃れのパスさえ織り込むような見てくれだけにしか過ぎない攻め方ではなかった。相手もその形に見えた。

私の目には最も大きな違いは、現代表は「責任逃れどころか、隙さえあれば、いや暇さえあれば後ろ向きのパスを惜しみなく蹴って相手に守りの態勢を固める余裕を与えてしまう後方への広範囲な展開をする」点にあった。16年前のサッカーはチャンスがあれば大きく前に蹴って攻め上がることしか脳裏になかったようで、バックパスは切羽詰まった時のためにあったようで、潔い攻め上がりが主体で、言うなれば気持ちが良いサッカーだった。

それが12年ほど前からは潔い後ろ向きのパスを連発するサッカーに移行し、W杯優勝後に育ってきた(女子のサッカーの裾野が広がった後に)女子選手たちは何故かバックパス連発の形になってしまった。「なってしまった」と言ったが、それが良いか悪いかではなく「時代の変化」と見えたからだ。だが、その変化の結果が男子の場合にどのように出るかは、間もなくブラジルで始まるW杯の予選リーグの成績で判明するだろう。

私の目には「時代の変化と球扱いの技術の進歩が、折角ここまで攻め上がったが、態勢我に利あらずであるから、もう一度後ろに戻して組み立て直そうと考えるようになったのだ」と見える。だが、縦一発にも良さがあったのだから、後ろ向きパス一辺倒は如何なものかと思ってしまう。このW杯終了後に(やっと?)退任すると発表された監督さんは「後ろ向きパスを奨励されたのだろうか」と、一寸うかがってみたい気がするのだが。