原節子さんと水木しげる氏が亡くなった:
お二方とも90歳を超える高齢者で色々な意味で戦後の社会に貢献されたのであろう。そういう点では当方もご冥福をお祈り申し上げたい。だが、過去何日かのテレビと新聞のこの方々の訃報と追憶の採り上げ方には、如何に当方が昭和一桁の後半の生まれであっても、マスコミにあれほど「昔を懐かしめ」や「追悼せよ」と強いられても何ともしようがないのが遺憾だ。週刊文春と週刊新潮も、産経の花田紀凱の「週刊誌ウオッチング」に批評された特集を組んでいた。
考えてもご覧じろ。原節子さんは95歳で亡くなっていたし、実質的にかどうか知らないが引退されたのは1963年の今を去ること52年前ではないか。現在の出版社や新聞社やテレビ局の第一線で活動しておられる方々が原節子さんの映画をどれほど見たのだろうか。蹴球部の練習や試合の他に勉強もしていた当方が何とか時間をひねり出して「青い山脈」を見たのは1949年だった。感激したのは石坂洋次郎の原作であり、上野の音楽学校(現在の東京芸術大学)出の藤山一郎が歌った主題歌だった記憶がある。女優ではさして美人とは思えなかった杉葉子の方が未だに印象に残っている。
この年齢の私でさえこんなものなのに、仮令「それはお前がそういう道に暗かったからだ」と言われても、60年前のことを採り上げて「さー、回顧せよ」、「懐かしめ」、「大女優の死を悼め」と押し付けられても何ともならない。ましてや、今のITC化の時代に生まれ育った若者には「原節子って誰?」と言われそうに思えてならない。AKB48だのももいろクローバーZの時代にあって、原さんがどれほど有り難がられるだろうかとつい考えてしまう。
これは個人の好みだが、私は如何に「原節子さんが美しかったと懐かしめ」と聞かされても「山本富士子か高橋恵子を採りたいし、古くは花柳小菊が良かった」と思うので、申し訳ないが原節子さんは「パス」なのである。私はあの追悼振りはマスコミの内輪の出来事であり、視聴者や読者に向けるのは見当違いだと言いたいのだ。思うに、あれは彼らが指向する特定の層向けであって当方如きは対象外だと思う事にしている。
さて、水木しげる氏である。ここでも正直に言えば、この方のアニメというのか漫画と言うのかも知らぬが、私は一度も見ようと思ってテレビの前に座ったこともなく、ましてや出版されたものなどを触った記憶もない。それは好きとか嫌いとの議論を離れて「生まれ育った時代の違い」だと思っている。戦前からあった漫画で我が家で小学校の頃の私が読んでも良いと許可されたのは田河水泡の「のらくろ」と横山隆一の「ふくちゃん」だけだった記憶がある。読めと言われたのは活字で印刷された本に限定されていた時代だった。
そういう事情もあって水木しげるなる方が人気を誇っておられた時代が何時頃だったかも全く知らず、ましてや戦争体験がおありだったなどは今回初めて聞いた次第だ。恐らく(検索もかけずに言えば)「ゲゲゲの鬼太郎」等で人気を獲得された頃は我が家の子供たちがそこまでの漫画を読むほど成長していなかったのだろうし、大人気作家となられて活躍された時には、アメリカの会社に転身して世界で最も難しい対日輸出の仕事で寧日なかったので、アニメどころではなかったのではないかな。
これは言い訳をしているつもりもなければ、水木氏の評価と業績を云々しているものでもない。自分のいた世界とは全く無縁のところでの偉い方だったのだと言いたいだけだ。言葉を換えれば、マスコミが挙って「追悼せよ」乃至は「業績を称えよ」と仕向けている(熱心なるファンの)層には私はいなかったという意味だとご理解願いたい。
更に別な表現をすれば、嘗て某テレビ局の局長さんにある国際法学者の先生が「何で貴方たちはあのような低俗な番組ばかりを作るのか」と尋ねられた際に、その答えが「先生のような知識階級を対象にしていませんので」だったので納得したと伺ったことがある。また某有名広告宣伝会社の管理職に「何故あのような下らないCMばかり流すのか」とスポンサーの大手製造業の部長さんが訊かれた時の答えも「貴方のような方を狙ってCMを作っていませんので悪しからず」だったそうだ。
私が原節子さんや水木しげる氏の追悼番組に反応しないのは、光栄にも彼らの対象ではなかった層に属しているらしいと考えると、上記のように何のかのと言う方が間違っているのであって、ただ黙ってチャンネルを変えれば良いだけのことだったと思うようにしている。本件とは全く関係が無いことだが、あの頃に見た池部良は子供の目にも大根だと思えた記憶がある。
お二方とも90歳を超える高齢者で色々な意味で戦後の社会に貢献されたのであろう。そういう点では当方もご冥福をお祈り申し上げたい。だが、過去何日かのテレビと新聞のこの方々の訃報と追憶の採り上げ方には、如何に当方が昭和一桁の後半の生まれであっても、マスコミにあれほど「昔を懐かしめ」や「追悼せよ」と強いられても何ともしようがないのが遺憾だ。週刊文春と週刊新潮も、産経の花田紀凱の「週刊誌ウオッチング」に批評された特集を組んでいた。
考えてもご覧じろ。原節子さんは95歳で亡くなっていたし、実質的にかどうか知らないが引退されたのは1963年の今を去ること52年前ではないか。現在の出版社や新聞社やテレビ局の第一線で活動しておられる方々が原節子さんの映画をどれほど見たのだろうか。蹴球部の練習や試合の他に勉強もしていた当方が何とか時間をひねり出して「青い山脈」を見たのは1949年だった。感激したのは石坂洋次郎の原作であり、上野の音楽学校(現在の東京芸術大学)出の藤山一郎が歌った主題歌だった記憶がある。女優ではさして美人とは思えなかった杉葉子の方が未だに印象に残っている。
この年齢の私でさえこんなものなのに、仮令「それはお前がそういう道に暗かったからだ」と言われても、60年前のことを採り上げて「さー、回顧せよ」、「懐かしめ」、「大女優の死を悼め」と押し付けられても何ともならない。ましてや、今のITC化の時代に生まれ育った若者には「原節子って誰?」と言われそうに思えてならない。AKB48だのももいろクローバーZの時代にあって、原さんがどれほど有り難がられるだろうかとつい考えてしまう。
これは個人の好みだが、私は如何に「原節子さんが美しかったと懐かしめ」と聞かされても「山本富士子か高橋恵子を採りたいし、古くは花柳小菊が良かった」と思うので、申し訳ないが原節子さんは「パス」なのである。私はあの追悼振りはマスコミの内輪の出来事であり、視聴者や読者に向けるのは見当違いだと言いたいのだ。思うに、あれは彼らが指向する特定の層向けであって当方如きは対象外だと思う事にしている。
さて、水木しげる氏である。ここでも正直に言えば、この方のアニメというのか漫画と言うのかも知らぬが、私は一度も見ようと思ってテレビの前に座ったこともなく、ましてや出版されたものなどを触った記憶もない。それは好きとか嫌いとの議論を離れて「生まれ育った時代の違い」だと思っている。戦前からあった漫画で我が家で小学校の頃の私が読んでも良いと許可されたのは田河水泡の「のらくろ」と横山隆一の「ふくちゃん」だけだった記憶がある。読めと言われたのは活字で印刷された本に限定されていた時代だった。
そういう事情もあって水木しげるなる方が人気を誇っておられた時代が何時頃だったかも全く知らず、ましてや戦争体験がおありだったなどは今回初めて聞いた次第だ。恐らく(検索もかけずに言えば)「ゲゲゲの鬼太郎」等で人気を獲得された頃は我が家の子供たちがそこまでの漫画を読むほど成長していなかったのだろうし、大人気作家となられて活躍された時には、アメリカの会社に転身して世界で最も難しい対日輸出の仕事で寧日なかったので、アニメどころではなかったのではないかな。
これは言い訳をしているつもりもなければ、水木氏の評価と業績を云々しているものでもない。自分のいた世界とは全く無縁のところでの偉い方だったのだと言いたいだけだ。言葉を換えれば、マスコミが挙って「追悼せよ」乃至は「業績を称えよ」と仕向けている(熱心なるファンの)層には私はいなかったという意味だとご理解願いたい。
更に別な表現をすれば、嘗て某テレビ局の局長さんにある国際法学者の先生が「何で貴方たちはあのような低俗な番組ばかりを作るのか」と尋ねられた際に、その答えが「先生のような知識階級を対象にしていませんので」だったので納得したと伺ったことがある。また某有名広告宣伝会社の管理職に「何故あのような下らないCMばかり流すのか」とスポンサーの大手製造業の部長さんが訊かれた時の答えも「貴方のような方を狙ってCMを作っていませんので悪しからず」だったそうだ。
私が原節子さんや水木しげる氏の追悼番組に反応しないのは、光栄にも彼らの対象ではなかった層に属しているらしいと考えると、上記のように何のかのと言う方が間違っているのであって、ただ黙ってチャンネルを変えれば良いだけのことだったと思うようにしている。本件とは全く関係が無いことだが、あの頃に見た池部良は子供の目にも大根だと思えた記憶がある。