新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月5日 その2 マスコミの押し付けに辟易

2015-12-05 16:35:07 | コラム
原節子さんと水木しげる氏が亡くなった:

お二方とも90歳を超える高齢者で色々な意味で戦後の社会に貢献されたのであろう。そういう点では当方もご冥福をお祈り申し上げたい。だが、過去何日かのテレビと新聞のこの方々の訃報と追憶の採り上げ方には、如何に当方が昭和一桁の後半の生まれであっても、マスコミにあれほど「昔を懐かしめ」や「追悼せよ」と強いられても何ともしようがないのが遺憾だ。週刊文春と週刊新潮も、産経の花田紀凱の「週刊誌ウオッチング」に批評された特集を組んでいた。

考えてもご覧じろ。原節子さんは95歳で亡くなっていたし、実質的にかどうか知らないが引退されたのは1963年の今を去ること52年前ではないか。現在の出版社や新聞社やテレビ局の第一線で活動しておられる方々が原節子さんの映画をどれほど見たのだろうか。蹴球部の練習や試合の他に勉強もしていた当方が何とか時間をひねり出して「青い山脈」を見たのは1949年だった。感激したのは石坂洋次郎の原作であり、上野の音楽学校(現在の東京芸術大学)出の藤山一郎が歌った主題歌だった記憶がある。女優ではさして美人とは思えなかった杉葉子の方が未だに印象に残っている。

この年齢の私でさえこんなものなのに、仮令「それはお前がそういう道に暗かったからだ」と言われても、60年前のことを採り上げて「さー、回顧せよ」、「懐かしめ」、「大女優の死を悼め」と押し付けられても何ともならない。ましてや、今のITC化の時代に生まれ育った若者には「原節子って誰?」と言われそうに思えてならない。AKB48だのももいろクローバーZの時代にあって、原さんがどれほど有り難がられるだろうかとつい考えてしまう。

これは個人の好みだが、私は如何に「原節子さんが美しかったと懐かしめ」と聞かされても「山本富士子か高橋恵子を採りたいし、古くは花柳小菊が良かった」と思うので、申し訳ないが原節子さんは「パス」なのである。私はあの追悼振りはマスコミの内輪の出来事であり、視聴者や読者に向けるのは見当違いだと言いたいのだ。思うに、あれは彼らが指向する特定の層向けであって当方如きは対象外だと思う事にしている。

さて、水木しげる氏である。ここでも正直に言えば、この方のアニメというのか漫画と言うのかも知らぬが、私は一度も見ようと思ってテレビの前に座ったこともなく、ましてや出版されたものなどを触った記憶もない。それは好きとか嫌いとの議論を離れて「生まれ育った時代の違い」だと思っている。戦前からあった漫画で我が家で小学校の頃の私が読んでも良いと許可されたのは田河水泡の「のらくろ」と横山隆一の「ふくちゃん」だけだった記憶がある。読めと言われたのは活字で印刷された本に限定されていた時代だった。

そういう事情もあって水木しげるなる方が人気を誇っておられた時代が何時頃だったかも全く知らず、ましてや戦争体験がおありだったなどは今回初めて聞いた次第だ。恐らく(検索もかけずに言えば)「ゲゲゲの鬼太郎」等で人気を獲得された頃は我が家の子供たちがそこまでの漫画を読むほど成長していなかったのだろうし、大人気作家となられて活躍された時には、アメリカの会社に転身して世界で最も難しい対日輸出の仕事で寧日なかったので、アニメどころではなかったのではないかな。

これは言い訳をしているつもりもなければ、水木氏の評価と業績を云々しているものでもない。自分のいた世界とは全く無縁のところでの偉い方だったのだと言いたいだけだ。言葉を換えれば、マスコミが挙って「追悼せよ」乃至は「業績を称えよ」と仕向けている(熱心なるファンの)層には私はいなかったという意味だとご理解願いたい。

更に別な表現をすれば、嘗て某テレビ局の局長さんにある国際法学者の先生が「何で貴方たちはあのような低俗な番組ばかりを作るのか」と尋ねられた際に、その答えが「先生のような知識階級を対象にしていませんので」だったので納得したと伺ったことがある。また某有名広告宣伝会社の管理職に「何故あのような下らないCMばかり流すのか」とスポンサーの大手製造業の部長さんが訊かれた時の答えも「貴方のような方を狙ってCMを作っていませんので悪しからず」だったそうだ。

私が原節子さんや水木しげる氏の追悼番組に反応しないのは、光栄にも彼らの対象ではなかった層に属しているらしいと考えると、上記のように何のかのと言う方が間違っているのであって、ただ黙ってチャンネルを変えれば良いだけのことだったと思うようにしている。本件とは全く関係が無いことだが、あの頃に見た池部良は子供の目にも大根だと思えた記憶がある。


15年11月の新宿区の人口

2015-12-05 07:54:13 | コラム
最近3年間で最大の月間の人口増加だった:

11月に新宿区の人口は少なくとも過去3年間で最大となる1,924人の激増で334,428人と対前月比で0.57%となっていた。手元にある資料で見れば、14年5月に1,640人、15年4月に1,169人と10月の1,241人と1,000人台の増加があったと解るが、それをも上回っていたのが印象的だった。そこには日本人が919人、外国人が1,005人も増えていた背景があった。

先月はここ新宿区内の「イスラム横丁」の賑わいを採り上げたが、外国人の対前月比で2.7%にも達する増加を支えていたのは明らかに韓国人ではなく、ここを訪れるイスラム教国の人たちと中国人であると思わざるを得ない大久保百人町界隈の変貌振りである。

この横丁を訪れるイスラム教徒が新宿区内に住んでいるのか否かを知る由もないが、中国語で話している若者たちが急増しつつある傾向は変わらず、個人的には増加する異教徒たちと同様に無形の薄気味悪さを感じさせられるのは何故だろう。

新宿区役所の“広報新宿”の15年12月5日号によれば、15年11月の外国人は上記の1,005人の増加で38,866人に達し2.7%増で、邦人は295,382人と対前月比で0.3%の伸び率を超えていたのだった。

世帯数は対月比で1,445の増加で210,174に達し対前月比で0.7%増となっていた。これでは世帯当たりの人数は1.58人であり、前月の1.59人から変化していなかったことが解る。外国人は狭い部屋に何人も暮らしているとの報道もあるが、それはどうやら新宿内のことではないようだ。

Koreatownの存在は最早話題として採り上げるのは適切ではないかも知れない。前回も指摘した通りで、その活気が薄れて静かになって来たというよりも、普通の街になりつつあると表現する方が正確だろう。その反面、上記のように大久保通りでも何処でも明らかに中国とアジア系の若者が増え続けているのは間違いあるまい。

15年11月の人口に占める日本人の比率は88.37%で10月の88.6%、9月の88.7%と対比すれば誤差の範囲内とも言えそうな減少だった。なお、8月は88.65%だったので、ここ4ヶ月間は88%台で実質的に変動していなかった。外国人の比率は11.6%で10月の11.7%からは低下したが9月の11.25%よりは高かった。因みに8月は11.34%だった。


参考資料:“広報新宿” 15年12月5日号