新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

J League Championship Finals

2015-12-06 08:02:46 | コラム
昨夜も最後までテレビ観戦してしまった:

この広島サンフレッチェ対ガンバ大阪の決勝戦の2戦目の試合はガンバが4点取るか2点以上の差をつけて勝たない限り優勝はないくらいは心得ていたので、先ず広島の優位は動かないと解っていても、熱心に?最後まで見てしまったのだった。観戦に広島まで来ていたハリルホジッチ監督は「双方に(連戦の)疲れが見えた」と曰ったようだったが、私の目には余り「ここで目に物見せてやろう」とか「何としても勝って見せよう」といったよう闘志や激しい動きや当たりがなかったと見えた。

その理由の一つに昨夜の主審だった西村雄一にあると思っている。テレビ中継風には、彼はW杯でも吹いた我が国が誇るプロの名審判でであるとなっている。だが、そこは「フェアープレー」を勝敗よりも優先するかの如くに見えることすらある我が国のスポーツ界の審判なので、実にルールに忠実に細かく反則を取っている性格である。選手たちもその点は心得ていただろうし、第一戦目の呉宰碩のレッドカードの退場があったのだから、慎重を期したのではなかったかと疑っていた。

「疲れ」云々は兎も角、広島も大阪も日本風に綺麗にパスを回しつつ相手の隙を狙うサッカーをやってはいたが、サンフレッチェは0対2にさえならねば良いのだから堅実に守り、最後までガンバに2点目を取る隙を与えなかった。これは、長谷川監督が何故ここでも役に立っていたとは思えない長沢を先発に使い、より突破力もありサッカーが上手いパトリックを後半になって出してくるのかが解らなかった。あれではサンフレッチェに「安心して守って下さい」と語りかけているのと同じに見えた。

ガンバのエース的存在の宇佐美は結果的には点を取れない試合が続いた事を詫びていた由だが、彼自身が後方に下がりすぎていたし、彼の力だけで守備陣を突破させないようにサンフレッチェが守っていたのだから、仕方があるまい。それに遠藤保仁からは極めつけのようなパスがそれほど出てこないようにと言うか、出させないように広島が守っていたような気がする。広島の森保監督は「前半が受けすぎた」と回顧したが、1点だけで守り切ったところで勝利は決まったとみていた。

何度も同じことを言うが、広島には遠藤や今野のような代表経験豊富な際だった存在がいない。佐藤寿人はJリーグでこそ沢山の点を取るが、代表ではそうは行かなかった負の実績がある。またテレビ解説的には後半から入って来た浅野や柏のような良い働きをする補欠がいる。だが、敢えて言えば「彼らはJリーグの水準での優秀な補欠であっても・・・」となってしまうのだ。即ち、当方が長年批判する「そのレベルで勝てるように仕上がっている」甲子園野球の問題点と似ている気がしてならない。

遅くなったが、長いリーグ戦を勝ち抜き、また短期決戦をも制した広島サンフレッチェを褒めておかねばなるまい。間違いなく浦和レッズやガンバ大阪よりもJリーグ的に纏まっており、選手の質にもバラツキがなかったのが特徴だし、優れた補欠を何人も置いている構成も評価せねばなるまい。だが、彼等が何時までも「優れた補欠」に安住しないようなところまで持っていくべきだとも言いたい。解りやすく言えば「外国人相手でも通用するまでに」の意味だ。

余談に入ろう。サンフレッチェに「ドウグラス」と呼ばれるブラジル人がいる。まさかと思って何とか背中のアルファベット表記を見れば”Douglas”ではないか。これは英語では「ダグラス」の発音であり、更にこの後に”Fir”をつけて”Douglas fir”とすれば「米松」のことで、W社の大主力樹種で我が国に大量にお買い上げ賜ったいた製材品の木である。予期しなかったところで、昔懐かしい気分を味合わせて貰った次第だった。