新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

本日無事に退院

2015-12-16 15:44:12 | コラム
カテーテル検査が予定通り無事に終わり英語の勉強まで:

予定通りなどと言ってはいるが、それは飽くまで希望的観測であって、主治医の立場からは以前に7本も入れてあったstentが無事に定着しているかと、新たな狭窄が生じていないかを検査する為の検査であるのだ。数えてみるのも億劫なのでざっと記憶を辿って言えば、2006年1月16日の第一回目の発作以降カテーテル(英語の綴りは”catheter”であり、「カテーテル」は今では医学界では廃れた感が深いドイツ語読みだろう)を入れるのは10回目くらいになる。

だから馴れただろうと思われる向きもあるだろうが、毎回同意書の内容を可能ならば家族の付き添いの下に主治医から懇切丁寧に説明があって署名する手続きを踏んで行われる処置だ。念の為に申し添えておけば、造影剤が脳の血管にとんでしまう他の事故が起きる確率は2万分の1と聞かされる。私からは毎回のように「何卒19,999の方にお入れ下さい」とお願いしてきたものだった。因みに、循環器科の入院は去る6月以来のこと。随分長いこと来ていない感が合ったが・・・。

経験した方はお解りだろうが、自殺者がするような手首のところを切って3 mmの血管に直径約2 mmの管を入れるのだし、それを通して造影剤を流し込むのだから怖いと感じるのは普通だろう。「10回目だから」、「担当の医師をご信頼申し上げているから怖くない」など言うほど私には「馴れ」も「度胸」もない。昨日も台の上に上がって処置の準備をして頂いている間に係の看護師さんに、つい「何度やっても恐怖感があります」と失礼なことを言ってしまった。

検査は実質的には40分ほどで終わり、主治医から「問題なきにしも非ずですが大丈夫です」との診断を聞かされて解放された。先ずは「目出度し、目出度し」だった。車椅子で看護師さんに病室まで送って貰い「結果や如何に」と待っていた家内と再会の運びとなった。毎回思うのだが、カテーテル検査を担当される先生方は学校の成績もさぞかし優秀だったのだろうが、あのような管を心臓の近くまで血管の中を通されるのは頭脳の明晰さもさることながら、相当な器用さと度胸と慣れを要求されるのではないかと考えさせられてしまう。毎回血管の中をカテーテルがズンズンと通過していくのが実感できるのも何となく恐ろしいような気がするのだが。

国立国際医療研究センター病院(NCGM)は「国際」の名称となっている以上、外来や会計のところで外国人を見かけることがある。今回は暫くぶりに4人部屋を割り当てられたので初めて外国人、それも中国人の若者と同室になった。「暫くぶり」という理由は千患者?万来で、循環器科は特に高齢者で繁昌を極め、2月と6月の心不全で緊急入院となった際には個室しか空きがなく、有無を言わされずに高額な負担となる差額ベッドしか受け入れて頂けなかったのだった。

看護師さんに訊けばNCGMは今月は特にインドやバングラデシュやフィリピン等の外国の患者が多く、国際色豊かで少し困ることがあるとのことだった。事実、我が同室の中国人は余り日本語を理解せず、主治医も看護師さんも難渋しておられた。また、矢張り中国人は病院内の取り決めを理解していないのか聞かされていなかったのが、大音声で携帯電話で話し合うは、タブレット端末を使ってヴォリュームを下げずに中国語のドラマなのかニュースか知る由もないが何かを見ている有様だった。

特に見舞いに来た奥方は電話で1時間以上も話し続けて、隣のベッドの不整脈と糖尿病に苦しんでおられた高齢の患者さんに「迷惑だ」と注意された途端に「済みません」と室外に出て行ったのは意外な展開だった。彼らの場合は「言ってやれば解る」のであって、思い切って注意する度胸もも必要なのかと解った次第だった。彼は訊けば青島の出身だそうで、先程同時に退院していったが、「再見」(「ツァイチェン」かな?)と言ってにこやかに別れた。

今朝は口髭を蓄えて歩行器で歩いてきた高齢と見える患者が”The Japan Times”をサロンで読んでいたので、何気なく「ここでそんな新聞が手に入るのか」と尋ねるとフィリピン人だった。そこで結局は英語での雑談が始まってしまった。彼は30年も日本、それも直ぐ目の前の戸山団地に日本人の奥方と暮らしているミュージシャンであると名乗った。非常の博学多識で我が国の景気論や「COP21の合意など無意味である。中国のように人民が未だに石炭を焚いて暖をとっているような国がある以上い改善は望めない」と力説した。

更に当方の「アメリカの自動車世界では排気ガスを制限するには、あれほどの膨大な数のが排気ガス代邦題の車が走っている以上無理では」との説にも賛成で、この二大排気ガス国が積極的に改革をする以前に本気になって改善しないと、日本も大気が汚染される危険性が高い」と力説した。彼は電気ベースを演奏しヴォーカルも担当するのだそうだが「音楽はジャズやクラシカルやポップスのどれが好きだというのではなく、良い音楽はジャズだろうとカンツオーネだろうと何だろうと採り上げてきた」とも語った。

彼が力説した点は所謂”There goes an old saying that practice makes perfect.”ではなく”Constant practice makes it perfect.”で人は何歳になっても絶えず練習を欠かしてはならない。そうでないと衰えるだけであり神のみ旨に反する」ので、「人は何歳になって収入を得る仕事を探して続ける努力が肝腎」とまで語ってくれた。まさか、病院でフィリピン人に人生訓を説かれるとは思ってなかったが、貴重な忘れかけていた英語の訓練が出来たのは予期しなかった収穫だった。「人は何歳になって勉強である」とは、恰も大学の頃の神父様の教授たちに再会したような気分を味わった朝の一時だった。