新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月28日 その2 佐伯啓思・京都大学名誉教授は言う

2015-12-28 09:01:00 | コラム
精神の余裕失った日本:

今朝の産経の一面に佐伯名誉教授が掲題の論文を掲載しておられた。その内容には異論も何もないと思って拝読した。私はこの「余裕を失った」という指摘に、直接の関係はないと思うが、自分自身のことで思うところというか反省かまたは回顧するものがあった。

それは1972年8月に全く思いもかけなかった偶然の積み重ねから17年もお世話になった日本の会社を辞めさせて貰って、アメリカの会社に転身した後での22年半の間のことである。それは何度も述べてきたことで「アメリカの(大手の)会社とはあのようなものだ(文化と思考体系が全く異なる世界)と事前に承知していたら転身などしなかっただろう」ということの中身を具体的に解説しようということになるだろうか。

「企業社会の文化が全く異なる」との事実が本当に解るまでには10年近くを要していた。解ったことの一つに"job security"がある。(断わっておくが"security"の発音は断じて「セキュリティー」ではない)これは、いつ何時如何なる理由で職を失うかは全く予測がつかない世界にいるという意味である。これも何度も指摘したことで、ヘンリー・フォードは社長だったアイアコッカを解任した後でその腹心の副社長をも"I don't like you."という極めて解りやすい理由で電話で解雇した。アメリカの企業社会ではこのように職の安全は確保しにくいものなのである。簡単に言えば「自分の身は自分で守る。周りにいる他人のことまで顧みる余裕などありえない」世界で、ここに「余裕」が関係してくるのだ。

"Job security"とは如何なることかを説明する興味深い事例がある。我が同僚に"Technical services manager"という職名を持った者がいた。彼の仕事はありていに言えば「苦情処理係」でアメリカの労働力が引き起こす頻発する品質問題の解決と、極めが細かい苦情を言われる我が国のお客様との対応」がその内容だった。彼は実に多忙で、何とオーストラリアに出張中に我が国で発生したクレームで「彼を呼んで話し合いたい」との客先の厳しいご要望で夜間のフライトで飛んできて問題解決の後に再び夜行で飛んで帰ったこともあったほど。

彼はある時真顔で言ったものだった。「この仕事は非常に大変だ。工場と労働組合員には常に品質改善と向上に最善の努力を」と言い聞かせている。だが、改善はまだ道半ばだ。これでは会社にとっても事業部にとっても良いことではない」と。誠に尤もだった。だが、彼は言葉を継いで「しかし、もし日本で苦情が発生しなくなってしまえば、俺の仕事がなくなる危険性がある。即ち、苦情の発生は皮肉にも"job security"に貢献してくれているのだ」とまで言った。「こういう考え方が出来るのがアメリカなのだ」では言い過ぎかもしれないが、職の安全とはここまで考えることすらあると思って例に挙げた次第だ。

22年半を思い起こせば、我が国の「一丸となってやり抜こう、成功しよう、業績を上げよう」という世界とは異質の、個人が主体となって各人の能力と実力で仕事をして目標を達成せねばならない世界である以上、他人の援助や協力に依存することなど頭から考えない方が無難である。飽くまでも自分に与えられた課題("job description")を確実にこなし、その間にそれ以上の何かを積み上げていって初めて評価の俎上に乗る世界なのである。我が国ように同期入社の者たちとの競争はあり得ないが、与えられた課題を達成し上司の評価を得られないと生存出来ないか、昇給も何も望めない世界なのである。

即ち、生存競争というよりも「生存のために、職の確保のため」に最善の努力をするのであり、周囲を見回すとか他人を助ける余裕など出てこない世界だった。会社そのものが個人の力で成り立っているかの感が深く、我が国でよく言われる「ティームワーク」のような観念は極めて希薄で各人の個人技をいかに活かしていくかが重要な点だった。部下の教育のようにわが国では上に立つ者の重要な責務はアメリカにはなく、私は指導されたこともなく職務内容記述書にも他人の教育などとは一言も書かれたことはなかった。これは「自分さえ良ければ良い」ということではなく、「自分に与えられた課題だけは最低現完全にやって置け。それが雇用の継続のためになる」であると思っていた。

しかし、今となっては言えるjことだが、そういう生存のための最善の努力が絶対に必要なのは本社機構の中に入って本社勤務となって生じることで、日本の事務所に駐在している以上、そこまでの危機感というか切迫感はなかった。だが、日本の会社では経験しなかった「ストレス」には苦しめられたと思う。兎に角、精神的にも物理的にも余裕がなく、常に当日やり残したか仕損じたことがないようにするだけが精一杯で、我が国の中で何が起きているか等には疎いことなど当たり前のようだった。俗っぽい例を挙げれば、流行歌手などは何処の誰が当たっているかは知らないし、司馬遼太郎などという作家は退職後にその存在を知ったほどだった。これ即ち、「心の余裕を失った生活だったか」と反省する次第だが、幸いにも"job security"には恵まれて、満61歳で「フル・リタイヤーメント」となった次第だった。

だが、今になっても病の連続で、真の心の余裕にはまだ恵まれていない。

澤穂希は見事な出来だった

2015-12-28 07:26:41 | コラム
皇后杯女子サッカー決勝戦:

昨日のINAC神戸対アルビレックス新潟の皇后杯女子サッカー決勝戦は、開始前から「これが最後の公式戦となる澤穂希が点を取って勝つというよく出来たシナリオのような形になりはしないか」との閃きがあった。そうなれば如何にもマスコミ好みの筋書きのようだが、澤の実力を以てすれば不可能でもないかとの希望的観測の類だった。

その観測は兎も角、試合はなかなか内容が充実した見応えがあるものだった。神戸は全日本代表を11人中9人も並べるいわば強力な布陣だったのに対して、新潟には当方が知る名前は上尾野辺(こんな字だったか?)が一人だけ。ではあっても新潟は攻守ともに寄せが早く出足が良く、神戸のパス回しを簡単には許さず積極的な試合を展開したので、前半には寧ろ神戸よりも多く得点になりそうな形を作って見せていた。私の閃きでは、「神戸が何らかの形で勝つ」となっていて、その勝ちを決める得点を果たして本当に澤がとるのだろうという辺りが興味と関心の焦点だった。

それにしても新潟の守りは見事だった。あれほどの顔ぶれを並べた神戸についに流れの中から点を取らせなかったのは称賛に値するだろう。だが、「あわや」というところまで攻め上がって行きながら取り切れなかったところが実力の限界で、たとえコーナーキックからでも澤が決勝点を取ってしまった辺りに紙一重とでも表現したい実力の差があったと、私は冷静に見ていた。

以前から指摘し続けてきたことで、女子のサッカーの方が(男子よりも?)基本に忠実でトラッピングでもストッピングでも失敗が少なく球扱いが正確でパスの緩急も巧みに使い分ける技術を持っているように見えた。澤が決めた川澄の9回目か8回目だったかのコーナーキックも、あの正確に彼女の頭に合わせたキックが狙い通りだったのであれば、その正確さはまさに宮間級である。即ち、あのドイツのW杯で宮間・澤のコンビで決めて見せたプレーにも匹敵する見事なものだった。澤が決めるかもしれないとは考えてはいたが、本当にそうして見せた澤の実力には敬意を表する次第だ。

現在の澤のサッカーを見ていると、間違いなくティームの中心選手なのだが、その重点を攻める方よりも全体の流れの中で自分が何をすべきかを広く見渡していると思って観察していた。その動きはフットボールでいう「フリーセーフティー」のようなもので、危機となりそうなところを素早く見抜いて(事前に読み切って)そこに駆けつけて芽を摘んでしまう動きは余人を以て替え難いものがあると思う。あのような感覚を備えたサッカー選手が男女ともに、これから出てくるかどうかは私には疑問に感じさせてくれた存在だった。

今を去ること67年も前に全国大会の決勝戦で負けた経験を持つ者としては、何時でも如何なる競技種目でも全国大会というか全日本の決勝戦を見て、勝者が喜ぶ様子を見ていると「どれほど嬉しいものだろうか」と彼らの心中とそこに至るまでの労苦を思う時に不覚にも落涙することがある。特に80歳を超えた高齢者ともなれば昨日の澤と神戸の選手たちの気持ちを察すると、通俗的な言い方になるが「目頭が熱くなってきた」のだった。澤と神戸の勝利を称え、新潟の善戦健闘を労って終わる。