新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月17日 その3 サンフレッチェ広島の善戦健闘に思う

2015-12-17 15:03:55 | コラム
矢張り単独ティームの方が良くはないか:


昨16日のサンフレッチェ広島対アルゼンチンのリバープレートのFIFAクラブW杯のサッカーは、結構見る者を楽しませたというか(勝利の?)期待を抱かせただろう熱戦だった。だが、リバープレートの高いボールの支配率が示したように、私は広島の善戦健闘が目立った立派な試合振りだったと称えたい気がする。特に前半には何度も広島が先取点を取るかと思わせた展開があったので興味は一入だった。

あそこで取れなかったのが広島の実力で相手が一枚も二枚も上だったと思うのは間違いか。試合の展開はマスコミ報道でも詳しいのでここに私が触れる必要もあるまい。あの試合を見て痛感したことを2点挙げておこう。

代表ティームの問題点:
第一は私の持論に近い説で「寄せ集めの日本代表ティームよりも、広島ほど粒が揃って良く纏めてあるところを単独で日本代表として出した方が世界に出ても強いのではないか」との疑問の答えにもなっていたサンフレッチェの出来を褒めておきたい。

それでは不満だかうまくないのではと言いたい向きには、「野球の都市対抗のように予選敗退したティームの中からこれと思う者を代表とするティームの弱点と思わせるポジションに補強する手法は如何か」と問い掛けてみたい。だが、これは現実には余り効果があるかとも思えない。それはサンフレッチェは傑出して上手い者がいる訳でもなく、得点王を何度も取った佐藤寿人をスタメンから筈ような粒ぞろいだから。これと思わせるアナはないと見るからだ。

では代表選手の中で広島に急に入れて効果が挙がりそうな者が何人いるのかだ。私には香川か長谷部か既に外された遠藤くらいしか思い当たらない。新鋭で将来性を買えば武藤くらいは入れて置いても良いかも知れないと考える程度だ。彼らは実は周りが上手い外国では上手く見えるが、代表ティームに入れると周りの凡庸な者たちと同化してしまうという弱さがあるので、サンフレッチェに入れてどれほど効果が出るかは疑問に思えてならない。

嘗て関東大学フットボールで関西大学選抜との試合に備えて、当時全盛時代だった日大フェニックスの篠竹監督(故人)率いる選抜ティームが日大のグラウンドで練習をしているのを見学したことがあった。練習の相手はフェニックス史上最強を誇った二軍だった。ところが攻守共に選抜ティームは二軍に軽くあしらわれてしまって手も足も出なかった。すると篠竹監督曰く「彼ら二軍は365日文字通り同じ釜の飯を食って鍛え合っている。その彼等に如何に各大学の精鋭と雖も寄せ集めでは勝てる訳がない」と。

私はこの篠竹説には一理も二理もあると思って承っていた。当時全日本を2連覇中のフェニックスでは二軍選手と雖も他の大学に行けば皆一軍級の集まりであり、それが本当に一年三百六十日以上も一緒に篠竹流の猛練習を積んでいるのだから強くて当然という篠竹氏独特の持論の展開であった。私はそれと同じ感覚でサンフレッチェを論じているのだ。森保監督も4年の任期中で3回もJリーグを制覇した実績があるではないか。その彼と寄せ集めを指揮せざるを得ないハリルホジッチ氏と比べるのは?という気もするが。


ティームの弱点が提起する問題:
次はあの残念な失点となった「GK林の捕球し損ない」を採り上げたい。解説をしていた元全日本監督の岡田武史は即刻「捕りに言ったな」と一言。当にその通りで、あの上がった球をあの密集となった中で捕球に行ったのはGK・林の未熟さを表す致命的な失策。彼はその後では同様な場面でパンチングで逃れて見せたが時既に遅しだった。私はあのGKには危なさを感じていたが、あの前の二試合ではそれを杞憂に終わらせてくれていた。

だが、欠陥というかそのティームの弱点は「ここぞ」という時にしか現れないのが勝負の怖さである。それは大きな勝負を経験したことことがある者にしか読めない、解らないものである。我が高校が国体の決勝戦で負けた時の1点もGKが取らずにパンチングに逃れていれば何の問題もなかったと今だから言える高い球だった。監督さんは「それまでにそういう必要がある危ない場面がなかったので、GKにパンチングを教えていなかった自分の失敗。済まなかった」と試合終了後に我々に詫びられたようなことすらあった。

森保監督はGKの経験者ではないだろうし、彼が林を指導された訳でもあるまいから、林がそこまで来る前の段階での指導者が不行き届きだったのか、広島のGKのコーチの指導が至らなかったのかと考えている。勝負の怖さと微妙さとはそんなものだと、私は今でも考えている。だが、南米の強豪国の代表選手で固めたリバープレートとあそこまでやって見せたサンフレッチェ広島の選手たちと森保監督には心から経緯を表したい。

余談かも知れないが「リバープレート」はアルゼンチンのクラブではあるが”River Plate”と英語のような表記となっていて、以前はスペイン語式には「リーベル・プレート」と言われていた。それが何時の間にかカタカナ表記では「リヴァー・プレイト」ではなく「リバープレート」とするのがマスコミの流儀となった。アナウンサーは「沿岸にあるクラブで」と言っていたが、それならば”riverside”の筈だ。”river plate”は「川底」だろう。カタカナ表記には何時も怪しげなものが多いようだ。


12月17日 その2 引退の考察

2015-12-17 09:04:08 | コラム
惜しまれる澤穂希の引退:

私は我が国のマスコミの有名選手であろうと芸人だろうと誰だろうと「引退」の表明を騒ぎ立てるのだが、これは私の好みではない。お辞めになるのは本来はその人の自主的な判断によるべきものだと思うし、それを一大事のように伝えるのには何となく違和感を覚えるのだ。中には(プロ野球等では、でも良いが)マスコミが辞めざるを得ないように仕組んだのではないかと疑う例もある。余計なお世話だと思わせる。

そこで澤さんだ。私は不勉強だったし、日米間を頻繁に往復する勤務の都合もあって長年お世話になったサッカー界を等閑にしてフットボールに神経を集中してきた時期が長かったので、女子のサッカー界の事情にも疎く澤穂希という15歳から日本代表に入っていた人がいることすら知らなかった。だが、11月にも参加した昭和23年の福岡国体で優勝し損なったメンバーが集まる会がフットサルを楽しんでいた頃に、慶応大学の女子フットサル部に9対0で翻弄されて女子のサッカー界の上手さとスピードを初めて認識出来たことがあった。

そして4年前になるのか、あのW杯で優勝した女子代表のサッカーの上手さには一方ならぬ敬意を表するようになった。特に澤さんのあの決勝戦での宮間のCK(敢えてコーナー・キックとも表記する)の低い球をアウトサイドで合わせてシュートを決めたあの上手さとキッカーとの連携は考えても見なかった妙技で、あの場であのプレーを出せる為には日頃から余程の練習を重ねて息を合わせる素地が出来上がっていたのだろうと、唯々感心するのみだった。あれ一つだけを採っても彼女が如何に偉大なのかが解る。

しかし、如何に名手であっても「歳月人を待たず」であり、何時かは辞める時が来るものであるのは、自分自身がW社を辞める年が来て何と言って表現すべきかも解らなかった感覚にとらわれたのは忘れられない。大得意先の人事・勤労の大御所の元常務さんには「それは時には不公平だし適切ではなくとも、年齢を適用するのは止むを得ないこと」と言って頂けたのが忘れられない。

因みに、W社の日本法人では日本である以上定年制があるのだ。また、アメリカの文化には年齢(性別・国籍)で人を差別できない規制があるので「定年制」などあり得ないのだ。

私は昨年辺りの澤さんの扱われる方とプレー振りを見ていて「この類い希なる名手も辞めねばならない時期が迫ったか。その『時』の決め方は非常に難しいだろう」と思っていた。また何処かBSだったと思う対談で「辞めた後に指導者になる気はない」と言ったのも聞いていた。また彼女は結婚もしたし、マスコミ報道では経済的にも後顧の憂いがないとあったので、引け時を模索しているのだろうとは察しがついた。

ここで、既に故人になられたジムで知り合った自営の会社の社長さんに言われたことを再び紹介したい。その頃の私はW社をリタイヤーしてはいたが別途に収入がある仕事を続けさせて頂いて(「頂いて」はイヤな言い回しだが、これが世間様の決まりのようなので敢えて使うのだ)いる身だった。彼は「間違っても『引退します』等と言うなよ。引退するなどと言うのは思い上がりだ。あんたが使えるか使えないかは先様がお決めになること。その見極めを誤ると醜態だと思えよ」と言って諭してくれた。

彼の目には私が「仕事」というか「職」に恋々としており、勤め人の殻を未だ引きずっているのが明らかに見えたというのだった。非常に「重く受け止めて」有り難く承ったものだった。これと澤さんと同日に論ずる気など毛頭ないが、澤さんが今後の身の振り方をどのように決めるかには大いなる関心がある。それは運命などいうものは、何時如何なる時に如何なる形で自分に向かって来るかなどは全く予想が出来ない性質だから言うのだ。


透明な歳月の光

2015-12-17 08:58:44 | コラム
曽野綾子さんは言う:

私は産経に曾野さんが毎週水曜日に連載しておられるこのコラムは毎回欠かさず読んでいる。16日には「高齢化と企業倫理退廃の二重苦」と題されたものも「如何にも聖心のご出身でビジネスの世界とは無縁だったカトリックの精神に満ちた曾野さんらしい」と思って読んだ。特に私が同感だと思ったのは終わりの2文節で、敢えて引用すると

「それなのに、粉飾決算を何年も見逃し、建物の強度をごまかし、血液製剤まで信用できないものにした。はっきりと言うと彼らは、日本人の未来を大きく傷つけたという意味で「国賊」と言うべきだ。

そういう会社はつぶすべきだと私は考える。それによって運命を狂わせられる従業員は気の毒だが、彼らの現場の事情を知りながら、告発もせずにいたという道義的な責任を負わねばならないだろう」

となっている。考えようにもよるだろうが誠に胸がすくような曾野さんらしい厳しい表現である。槍玉に挙がった会社が何処を指すのかは自明の理だろう。マスコミにはスポンサー様ではあるこのような企業を、曾野さんのように真っ向から批判できないのは私は当然だろうと思っている。歴代の社長経験者が何らかの役職を離れたくらいで済む案件ではないし、謝罪会見とやらを開いて下請けの担当者を非難するような言辞を弄する辺りは論外だろうと思っている。

私が常に引用し続けて来た某大手紙パ企業の私と同年の社長経験者がいみじくも言われた「経営者の劣化」が曾野さんが挙げられた会社にも遺憾ながら余りにも解りやすい形で現れているのではないかと思うのだ。アメリカのような資本主義の国ならば彼ら経営担当者は「株主代表訴訟」で苦しめられているはずだろうと思う。だが、我が国では私は寡聞にしてこのような訴訟の例を余り聞いた記憶がない。精々曾野さんのような具体的に会社名を挙げていない筆誅程度で終わりだ。

実は、この曾野さんのコラムの下に美濃吉の社長・佐竹力総氏が”食文化を成長エンジンに」と題されて「経済は文化の僕(シモベ)である」私はこの言葉が好きです。以下略”と述べておられた。その僕が劣化しては文化も発展しなくなるのではと懸念させられるような偶然?かと思って読んだ次第。経営者よ、奮起せよ。