新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アジア系アメリカ人との会話

2015-12-09 08:29:12 | コラム
アメリカの英語は中西部のアクセントが標準だ:

去る7日に冷や汗をかきながらアジア系アメリカ人と語り合った中から、記憶を辿って順序不同で内容を再現してみよう。因みに、彼は発音通りに綴れば(phonetically spelled等と言うが)”Kan”と名乗ったが、それが名字か名前かは敢えて尋ねなかった。即ち名字だったならば「菅」なのか「姜」なのか判断出来なかった。彼は大学を出た後で5年ほど銀行勤務の経験があるとか。

アメリカの標準語は:
私の年来の主張は「ワシントン州から南下してカリフォルニア州にいたる西海岸の諸州の発音というかアクセントが標準」である。これは嘗てW社の東京に駐在していたワシントン大学のMBAであるBJ氏から聞き、20数年に及ぶアメリカでの経験で正しい説だと信じているからだ。ところが、Kan氏は中西部(Mid west)のそれが基準であると心得ていると主張。NY生まれの彼は中西部の中心地、シカゴには行ったことがないが、偏りがないあの地区のアクセントこそ正調と述べていたのは面白かった。

意見が噛み合わなかったがそれはそれとして、アメリカ東海岸の「無闇に早口で、今話している言葉が終わらないうちに次ぎの言葉を喋っている」と西海岸で揶揄する東海岸(”back east”等とも言うが)の英語を採り上げた。事実彼はアジア系には珍しい早口で出生地が何処かを証明していた気がする。私は我が国の英語教育ではアメリカの地域別の訛やロンドンのCockneyや、オーストラリアとニュージーランドの英語独特の訛すら教えていないようだから、東海岸の訛等を理解することは至難の業だろうと言って置いた。

次には南部の歌うが如くただようが如きゆっくりした訛に話が移った。私は嘗て飛行機の中で隣り合ったスタンフォードのMBAと名乗った香港駐在の若きアメリカの精鋭に「クリントン大統領の南部訛は好ましくない」と言った際に「外国人の貴方が良くぞ言ってくれた。我々は決して彼の訛を誇りには思っていないのだから」と言って握手を求められた自慢話も披露した。ゆっくりと話しているのならば聞き取りやすいだろうと思うのは大間違いで、同じアメリカ人でも南部に行けば話が解らないことは屡々あると言っていたが、これは経験上でも当にその通り。結論としてはお互いに正調と信じているアクセントを守ろうとなった。

我が国の企業社会の文化:
彼は英語教師をやっているとは言ったが、コンサルタント業も引き受けているようだった。彼曰く「日本の会社に行くと年功序列制があると聞いているが、実務に関する発言をするのは役職者ではないことが多い。また、偉い人が何か言わない限り全員が沈黙を守ってる理由は段々解ってきたとは言え、自分の意見を堂々と表明する人が少ないのはアメリカとの違いだ」と。要するにやり辛いのだということのようだった。

これぞ私が最も得手とする分野なので、これを語り出すと最短でも90分を要すると断った上で、「日米間の企業社会における文化と思考体系の違い論」を極めて手短に彼が理解しようとすまいと一気に語ってみた。思うに汗が出たのがこの辺りだったのだろう。彼も「自国の文化を認識出来ずに他国の文化を論ずべきではない」と主張したのは大いに我が意を得た次第。

我が国の優れた点:
短時間に良くぞこれだけ語り合ったと思うが、我が国の治安の良さ、人の親切さ、食べ物の上手さ、街の清潔さが素晴らしいという話になった。これは多くのアメリカ人が初めて日本に来て礼賛することだ。私からはアメリカの良さに言及する前に診察に呼び出されて会話は終わった。遺憾ながら、東海岸出身の彼にはWeyerhaeuserというビッグネームは認識されていなかった。矢張り紙パルプ・森林事業会社は最早有名ではないらしい。