新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月25日 その2 岸田外相28日訪韓

2015-12-25 13:06:28 | コラム
慰安婦問題の行く手に変化の兆し:

産経には「妥結意欲探る」との見出しが一面に打ってあった。総理もその気になっておられるだけの背景があるとか。それ自体は大変結構なことかと思うのだが、何分にも韓国側の交渉相手はあの世界遺産登録の際に煮え湯を飲まされた札付きのユン外務大臣では、如何なる姦計を裏に秘めているか等解ったものではないと思ってしまうのだ。産経の加藤前支局長の無罪判決を韓国の対日姿勢の変化と読めないこともないがだが、事はそう簡単に運ぶのだろうか。韓国内の挺特協(だったか?)のような過激な勢力を朴大統領以下がどのように抑えて行くのだろうかも、大いに疑問に感じざるを得ない。ではあっても、確かにこの長年の日韓間わだかまる課題を年内に解決の方向に導けるのであれば歓迎すべきだとは考えられる。

私は過大な期待はしないまでも、岸田外相の手腕に一定以上の希望的観測は許されると思うし、また期待したいのだが、読者諸賢は如何お考えだろうか。

カタカナ語論

2015-12-25 07:42:17 | コラム
カタカナ語談義か「いっそのこと全部英語に」:

昨24日に中学(旧制であるが)以来の級友と電話で語り合った際に、当方の持論であるカタカナ語語排斥も話題に上った。彼はどちらかと言えば私の排斥論は行き過ぎではないかという論者だったが、否定にまでは至っていない。昨日は当方が指摘した「本来はその濫用を指摘して是正する側にあって欲しい国会議員までが嬉々として?カタカナ語を使っているのは誠に嘆かわしいことではないのか」との点では意見が一致したのだった。彼も言うのだが、彼らは「何かあのようなカタカナ語を言葉の中に入れることで恰好が良いとか、英語に精通しているかのごとくに聞こえるのではという錯覚に囚われていないかと思う」と。賛成だ。

私が90年頃に述べていたことだが、確かに当時では話の中にカタカナ語を取り入れることが何か近代的であるとか、スマートに聞こえるとか、知的水準の高さを示すような感覚があったのではないだろうか。だが、現在では漢字文化の破壊の破壊というか、小難しい漢字とその熟語を避けて何でもカタカナ語を当てはめてしまうような傾向が顕著であるという見方でも意見は一致した。この傾向は決して歓迎すべきものではあるまい。彼は「それほど英語が使いたいのならば、いっそのこと全部英語で話せば良いのでは」とやや厳しい冗句でこの話題を締めくくった。

彼は銀行のOBで海外駐在の経験もあり、中学・高校を通じて成績優秀で英語とは何であるかを良く解っている。その彼でさえも赴任先のアメリカで当初に最も苦しめられたのは「聞き取り」だったと述懐していた。即ち、話す方は何とか纏めて理解させることは出来たが、アメリカ独特のアクセントに耳が慣れて聞き取れるようになるまでには相当の期間を要したとのことだった。その原因は私が知り限りというか接触してきた多くの駐在員が嘆いていたことで、我が国の学校教育で教えられた発音(とアクセントや抑揚)の違いが最大の原因の一つである。

彼と語り合ったのだが、「我が国の英語の教員の方々は歴代の(先任の)先生に教えられた伝統的な日本式発音で育ってこられた以上、教えられる方もその発音で育ったのだから、アメリカないしはUK式等のnative speakerたちの発音についていけないのは仕方がないだろう」といった形で「聞き取り」の難しさの案件を締めくくった。彼はこちらから相手に解って貰えるような表現が出来ると「そこまで言えるのだったら、英語が理解出来るのだろうと思われて、どんどん話しかけられることがあって大変だった」とも回顧していた。これも理解できる問題点だ。

もしも、どこかで誰かが唱えている「英語教育を通じて多くの国際人を養成」などとするのならば、ここに彼と語り合ってきたような問題点をどのように解消していくかだと思う。だが、何度も指摘してきたことで「Native speaker尊重に走るあまりに、その外国人の英語がどのような品格と教養を示すかを峻別出来る方々が肝腎の行政機関にどれほどいるかもまた問題ではないかと、私からは述べておいたのだった。このようにカタカナ語から始まって結局は「英語とその教育論」になっていたのだった。