新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

新国立競技場建設案に思う

2015-12-20 14:59:55 | コラム
見当違いがありはしないか新国立競技場の建設案:

昨日辺りからマスコミがA・Bの2案の応募があったと報じ始め、何とかいう委員会が検討というか審査を開始したと聞かされている。何処の局だったか失念したが、その2案の絵を見せて意見を聞く街頭インタビューを放映していた。昨日、全く知らなかったが、愚息も別の局のインタビューを受けて、Xリーグのフットボールのコーチ等の長年の競技者の経験からかなり厳しいことを言ったのだそうだが、実際の放映ではきついことを言ったところは削除されたのは予想通りだったと笑っていた。

そこで、サッカー出身者で、長年アメリカでも多くの野球場とフットボール場で沢山の試合を観戦してきた経験からも「競技場とは如何にあるべきか」を彼と語り合ってみた、親子だからという訳でもないがほぼ同意見だった。先ずはそもそも委員会なるものを構成している連中がスポーツを経験した実績ある者たちを集めているのは何か勘違いをしているのではないかと思う。マスコミはしきりに「競技者にとってやりやすい競技場を」と言い募るが、私はそれがおかしいと思うのだ。

即ち、競技者のことを考慮するのは確かに理屈は通るが、観覧する人たちのことに対する配慮が我が国の競技場では欠落している場合が多いと、私は痛感している。それは既に何度か指摘してきたことでもあるが、観客席の勾配が緩すぎて上の方の席になると、遥か彼方でサッカーなり何なりの試合が進んでいて、詳しく見て楽しもうと思っても極めて見にくいのである。その点はアメリカの競技場では十分に配慮された設計になっていて、何処の席に座っても遠巻きに試合を見させられるという不満足がなかった。問いかけたいことは、あの2案の提出グループはその点を考えてあるのかという点だ。アメリカ等の他国の設備から学習したのかということだ。

次に何時でも気になるのは、我が国では設計者が何時でも「多目的」競技者にしたがることだ。また「アメリカか」と言われるだろうが、かの国ではまずほとんどがその競技の専用になっていることを指摘しておきたい。その点は狭い国土に大金を投じて競技場を作る以上色々な試合ができるようにしたいのだろう。だが、結果として観客、というか私のようにサッカーやフットボールを全体を俯瞰的に見られる上の方の席に座ると、それこそ遥か彼方で試合が行われているために、冷静に観戦を楽しめなくなってしまうのだ。これは看過してもらいたくない点だ。

そういうことは競技者には容易に解ることではないはずだと思うのだが、何故か有名な元選手を委員に加えるのはおかしくないか。現に彼らは一様に「競技いやすいものを」と望んでいると言う。それでは観客不在だ。率直に言えば「暴論だ」と言われるのを覚悟で言う。それは「陸上競技用のトラックはつけて欲しくないのだ。付けたければトラック種目の決勝戦用にでも融通が聞くような設計、例えば観客席を可動式にすれば良いのだ、というようなことだ。

フィールドだけではなく、建物の中とそれに付帯する設備というか備品にも触れておきたい。それは競技場先進国・アメリカではスタンドの下の建物の中には救急医療用にレントゲン写真が撮れる設備が当然のようにあるし、病院に近い設備を備えているところすらある。ところが、先進工業国である我が国では現在進行中のFIFAクラブW杯のサッカーの競技場でも、負傷者を戦時中すら想起させる「担架」を持ち込んで人力で運んでいる始末だ。恥ずかしい。野球場では救援投手が何とかカーに乗って出てくるのに、サッカーやラグビーでは前世紀の遺物しか置いていないとは。新国立競技場完成の暁には世界のトヨタ自動車にでもお願いして、アメリカ式の首や足を固定する設備がある専用のカートを作ってもえば如何か。これが私が考える「競技者のため」の配慮だ。

この点を補足して敢えて言えば、審査委員に一般人の熟練した(?)観客の代表者の参加を考えておくべきだったのではないかということ。今日までの議論をマスコミ報道からのみ判断すれば、競技場の外観であるとか収容人数のような点ばかりに神経が集中していて、「見る人」か「見に来てくださる人」への配慮が不十分だと思うが如何。私はこれらの点を「委員の方々の勘違い」と指摘しているのだ。余談だが、我が国ではフットボール系の所謂"Contact sports"ではテイームの専属の外科を主とする医師だけではなく、内科や脳外科等の多くの科の医師に当然のように臨場してもらっているのが、アメリカの常識だとも聞いたことがある。それは最近アメリカで非常に注意が払われている「脳震盪」のような深刻なケースが多発しているとの背景もある。