新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月6日はフットボール観戦の日

2015-12-07 07:57:27 | コラム
歴史ある日大対関学の宿敵同士の試合を観に川崎へ:

長年のフットボール(観戦)愛好者としては、まさか川崎でこの試合がシーズン終了後のこの時期に公式戦で開催されるのを見る機会が訪れるとは思っても見なかった。日大フェニックスの熱烈な応援者である法学部のST教授でさえ「まさか」と思われて12月6日には別の予定を入れておられたほどだったと伺っていた。即ち、もしも両校が相まみえるとすれば、常識的には甲子園ボウルしかあり得ないことを意味するからだ。

昨6日の試合は「東京ボウル」と名付けられた関東・関西の一部リーグで2位となった者同士が対戦する企画で、良く考えなくても解ることでこのボウルゲームに出場することは余り名誉ではない感が深いのだ。フットボール界の事情をご承知の方には滅多に見る機会がない両雄の対決とあれば見逃す手はあるまいと思っても不思議ではない。故に私も愚息の力を借りて、その昔はロッテがホームグラウンドにしていたボロ球場が市によって改装された富士通スタジアム川崎に出向いたのだった。

スタジアムまで到着してみれば隣接された市営の駐車場は「満車」の電光掲示板が輝いて何時入れるかも解らない盛況ぶり。そこで慌てた当方は13:30の試合開始に間に合わせようと切符売り場(と言っても東大の学生数人が場外に机を置いて手渡して売っているのだ)に駆けつけて兎に角指定席券(¥2,300)を購入した。駐車出来たのがその約20分後。入場して解ったことは確認もせずに買った指定席券は関学の応援席だったのは粗忽の産物。

駐車場には入れるまでの間に眺めていた限りでは後から後から大勢の人が押し寄せてきていたし、遠目に見ることが出来たスタスタンドはかなり埋まっていたので日大フェニックス対関学ファイターズの対決か如何に人気が高いかが解ったのは、斯道奨励の為には結構なことだっただろう。その昔の川崎スタジアムを知る者にはフットボールとサッカー専用の人工芝の競技場に生まれ変わっていたのは良かったが、照明灯が野球時代のままの方角に向いていたのは笑えた。

さて、試合である。結果を先に言えば第4クオーターの終盤2分台まで9対17とリードされていたフェニックスが、TD(タッチダウン)で6点を取った後のTFP(トライ・フォー・ポイント)にキックによる1点ではなく2点となるパス攻撃を選択して成功、17対17と同点に持ち込み、ファイターズの最後の攻撃を押さえ込んでしまった。劇的と言えば劇的かも知れないが、往年のと言うか何と言うか仕上がりが良い年の両校を知る者から見れば、東西で2位に終わってしまっただけのことはあると思わずにはいられない不出来な試合だったのは少し残念だった。

フェニックスは20数年前のことになってしまった故篠竹監督の下にライスボウル(=日本選手権)を三連覇した頃とは指導者も変わりフットボールの内容も時代と共に変化したので、往年の強すぎたし反則もしないフェニックスではなくなっていた感を禁じ得なかった。ファイターズも昨年フェニックスを55対10と圧倒した強さがなりを潜め「これが本当の関学の強さ」の成功と「あれが関学が犯すミスか?」と目をを疑うような失態が出たり入ったりで「これでは立命館に勝てなかった訳だ」と納得せさるを得なかった。

ではあっても、第4クオーターにフェニックスが見せた言わば意地の2ポイント・コンヴァージョン等は中々スリルがあったし、フェニックスも時々は「これぞフェニックス」と形容したいようなパス攻撃も見せてくれたので、ほぼ満席に近かったスタンドを湧かせていたのは結構なことだった。フェニックスの3番をつけた守りの主役がアメリカ人だったのも時代の移り変わりを痛感させてくれた。

我々が座ったのは関西学院大学の応援席だったので、周りは関西弁が飛び交うかと期待?していたが、意外にも隣席の高齢者お二方は関東の言葉でファイターズの出来・不出来を批判されつつも懸命に応援しておられた。フットボールにはかなり詳しい方たちだったが、使っておられた言葉は業界のそれではなかったことから考えれば明らかにフットボール経験者ではなく、この辺りに冬の寒空をものともせずに川崎まで母校を応援に来られる事に、関学OBのみならず関西でのフットボールの人気の高さが解ろうというもの。

大混雑の駐車場を早く抜け出そうと試合終了と同時に脱出し、無事に我が家に戻れたのが17時少し過ぎ。予想したほど川崎は寒くなかったのは有り難かったとは言え、流石に長時間外出の疲労感があって21時前に早寝にしてしまった。だが、恐らく20数年振りとなった日大対関学の試合を観ることが出来たのは大いに幸せだったと言えるだろう。この機会を与えてくれた愚息に感謝の一日だった。