新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月25日に

2015-12-26 16:57:28 | コラム
街はクリスマスで賑わっていたが:

昨24日で過去12年間になかったことだった約90枚の年賀状の宛名と一寸した添え書きの手書きを漸く終えた。これはPCを修理に出している為であり、この愚息から借用している代車ではなかった代PCはプリンタと接続されていないのであるから。早朝に目出度く葉書を投函して何か借金でも返せばこんな気分かと考えていた。兎に角、12年前に止む無く導入したPCのお陰でというかPCのせいでと言いたいのだが、手で字を書く機会が激減していた為に腱鞘炎になったかと思うほど右手が疲れ、PCのキーを打つ手つきまで怪しくなってしまったのは小さな驚きだった。

悩みはそれだけには止まらなかった。アメリカの友人・知己から頂いたクリスマスカードにも何らかの形で答えねばならぬ仕事もあったのだ。これもまた手書きとなるのだ。そこで気付いたことは「英文はボールペンよりも万年筆の方が遥かに書きやすかった」という当たり前のような点だった。余談になるが、在職中から物書きの真似ごとをしていたお陰かリタイヤーに際して餞別にとモンブランのような高級な万年筆とボールペンのセットをいくつか頂戴していた。だが、間もなくお世話になっていた出版社の要望もありワープロに転向したために申し訳ないことに無用の長物と化していた万年筆が、思わぬところで大いに助けになった次第。書き上げたカードを持って郵便局に久し振りに航空便を出しに行った。

そこから10時頃だったか、バスで新宿駅西口の銀行に家内の代行で正月に備えて生活費を引き出しに向かった。流石に新宿の街は人手で賑わっており、銀行までの地下街は群衆をかき分けて進んでいたかの感があった。アベノミクスの効果だったら結構なことではないか。銀行では予約はしていなかった我が家の担当の外回りの女性行員を呼び出してもらい、マイナンバーのカードを如何に処理するのが当家にとって適切かを質問した。答えは明快で「NISA等を利用した投資の類に手を染めておらず、預金だけであれば何も写真付きカードにする必要もなく、郵便で来た番号通知の書類をキチンと保管しておくだけで良し」となっていた。これでこのナンバーについてのモヤモヤが解消し、隣の銀行のATMに向かった。

次には帰路にあるチラシが入ってきた小田急百貨店の隣にあるUNIQLOの年末大売り出しを見学に入ってみた。流石に店内は大入りの状態だで方々で中国語が聞こえていたのも「矢張りか」と印象的だった。中国で買うよりは旅費をかけていたことを度外視すれば、ここで買った方が経済的なのかななどと考えていた。UNIQLOではスーパーのように買いたい品物を籠に入れて持ち歩く衣料品を食料品や雑貨のように扱うのが、私には面白い現象に思えてならないのだ。事実、私の前にレジに並んだ満載の籠を抱えた日本の女性はクレデイットカードで3万円ほども払っておられた。当方は衝動的買いをしたのだが、それは家内の為にTシャツと下着の兼用となると男性の店員に解説された「極暖」のHEATTECHのシャツ¥999(税抜き)を1枚だけ。

そこから表に出て小滝橋通りを大久保方向に向けて散歩を兼ねて歩くことにした。しかし、時計を見れば早くも11時半を回っていたので外食と決め、長年の馴染みだった博多天神というラーメン屋に飛び込んだ。ラーメン屋での外食は今年で3回目くらいにはなるだろうか。減塩のために汁を飲まないで済む「つけ麺、替え玉付き」を¥450で。そこから先は矢張りバスで帰宅の途に。因みに、2006年2月の退院以降は外では汁付きのラーメンは食べていない。と言うべきか、もしも食べても汁は飲まないだろう。それでは恐らくラーメンを食べる意味はあるまい。それだけではなく減塩食励行のためにも食べないのだ。

午後には一休みした後で暫しPCに向かって一仕事。ここで思いもかけなかった問題が発生。それは10年ほどPCで何か書いている際のBGMのCDをかけていたミニコンポが動かなくなっていたのだった。暫らく解らないままにいじってみたがいうことを聞かないので諦めて無伴奏で?メールを仕上げた。午後3時半からは歯医者さんの予約があったので、礼儀上も兎に角、歯を磨いてから向かった。ここで治療して頂いた後は20~30分は水を飲めないので注意が必要だ。ここまでで最早4時過ぎ。病み上がりの体でこれだけ連日動き続ければ結構疲労感出てきたので、これ以上は動きまいと決めた。夕食後はテレビを見て休息し早寝にすることにした。

顧みれば、今週初頭から亡父の祥月命日の墓参り等を含めて細か慌ただしく動いた日が続いて疲れはしたが、本日は何となく理解出来ていなかったマイナンバーに対する疑問が解決しただけでも、何とか意義があった忙しさだったと思っている。