新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月8日 その2 我が国の広告費が4年連続でプラス成長

2016-03-08 16:18:36 | コラム
紙媒体は不振なるもインターネットは二桁成長:

電通が毎年集計している「日本の広告費」の2015年版によれば、昨年支出された広告費は対前年比+0.3%の6兆1,710億円で、4年連続で前年度実績を上回ったのだった。その名目GDPとの対比を見れば、15年度には4,986,965億円と対前年比2.4%の伸びで、総広告費の6兆1,710億円のGDPに占める比率は1.24%で対前年比では+0.3%となっていた。因みに、総広告費の成長率は11年が1.21%、12年が1.24%、13年が1.25%、14年が1.26%とほぼ横ばいだった。

私はこの低成長率が続く辺りにアベノミクスも兎も角、景気回復未だしの状態が現れているのではないかと、密かに憂いているのだが如何なものだろう。

衰退の一途をたどる紙媒体の関連業界である紙パルプ産業界の出身者としては、媒体別広告費に大きな関心がある。そこでその関連の表を見れば、マスコミ4媒体の合計が2兆8,699億円で、対前年比では△2.4%だった。その中では新聞が5,679億円で△6.2%と最悪で、雑誌が2,443億円で△2.3%、ラジオが1,254億円で△1.4%、テレビが1兆9,323億円で△1.5%と総崩れだった。

一方のインターネットは総額で1兆1,594億円で10.2%の成長だった。この総額は未だマスコミ4媒体の半分にも満たないが成長率が違う辺りが、ICT化の進捗振りをイヤと言うほど見せつけているのだ。その内訳は媒体費が9,194億円で11.5%の伸び、広告制作費が2,400億円で5.5%の伸びとなっていた。

上記以外の屋外広告、交通、折込、DM、フリーペーパー、POP、電話帳等のプロモーションメデイアは総額2兆1,417億円で、対前年比では△0.9%と低調だった。この分野では軒並みマイナス成長だったが、特に減少が目立ったのが折込の△4.7%と電話帳の△19.9%だった。電話帳などは個人情報保護等があって個人別がなくなった以上落ち込みは当然だろうが、金額も334億円に過ぎなかった。ここにも紙媒体の衰退が見えるのは個人的にも残念だ。

参考資料:紙業タイムス社刊”FUTURE”誌 16年3月14日号

女子代表は何故オリンピック出場を逃したか

2016-03-08 07:43:47 | コラム
Jリーグやなでしこリーグ等の裾野が広がった功罪:

昨夜の対ベトナム戦ほど酷い女子代表の試合を見せられたのは初めてだった。冷静な評論家としては如何に戦評すべきかを考えながらテレビ観戦していた。そこで思い出されたのが、今を去ること30数年前に次男の小学校当時に少年サッカーの指導を依頼された時のことだった。これは学校から正式に依頼された訳ではなく、余りの弱さに憤慨して熱心な親御さんが「何とかならないか」と持ってこられた話しだった。

実際に引き受けてみて解ったことは熱心な先生が心意気と情熱で指導されたサッカーは、素人と言うのか本格的なサッカー経験者でなかった為の悲しさで、全く基本技を指導されていなかった事実だった。そこで親御さんたちにお断りしたことは「これから基礎になる基本技の練習に集中するので、試合をやりたがる子供たちには面白くないだろうが、ここをしっかりやっておくことが本当にサッカー上達の鍵を握っているので、子供たちに良く言っておいて頂きたい」だった。

そして、どれくらいの期間だったか基本技、即ちキック、ストッピング、トラッピング、ヘデイング、ランニング、パスの受け渡し等々を時間の許す限り集中的な練習を続けさせ、それがどうやら形になってきたところで初めてフォーメーションのようなものにも取り組ませるようにした。その間にも対外試合の機会はあったが、その結果は敢えて無視して基礎固めだけを続けた。

これは決して自慢話でも手柄話でもない。何が重要かを言いたいだけのことだ。そして何ヶ月か経って、市内でも強豪校と言われる小学校の同学年との試合に臨んだ。相手校の監督さんは私と同じ四十雀クラブのメンバーで知り合いのS氏だった。子供たちは教え込まれた基本技に忠実なサッカーを展開して圧倒的な勝利となり、S氏に「良くここまで鍛えられましたな」と褒めて貰えた。それは取りも直さず「基礎を固めた結果」であって、戦術的なことなど指導はしていなかった。要するに「基礎」であり「基本技」があって初めてサッカー形がつくのだということ。

私は高校の全国大会がある度に、アナウンサーが「全国4千何校の中から云々」と言うのを聞く度に「サッカーをやる高校が増えたのは斯道奨励の為には誠に結構なことだが、日本全国に4千名以上の優れた指導者がいるかいないかが問題だ」とテレビの前で叫んできた。甲子園野球を批判する者として繰り返しいってきたことで「トーナメント制の試合をすると、そのレベルで勝てる為の駆け引きを教え小成に甘んじた子供たちを育ててしまう」ことだ。この弊害は既に高校サッカーにも現れて、有望な子供たちは皆Jリーグの育成機関である「ユース」に行ってしまうとも聞かされている。

だが、男子の日本代表を見ていても基本技に難点がある者が多すぎる。特に後方からのパスを相手ゴールに背を向けてトラッピングする際にはほとんど上手くコントロール出来ずにそのまま後ろに蹴り返すか、トラッピングの失敗で屡々言わば逆走する結果に終わる。私に言わせて貰えば「子供の頃の彼らにサッカーを教えたコーチなり監督なりは何を教えていたのか」となる。試合に勝つ駆け引きか?

長い導入部だった。昨夜もパスの不正確さも問題だったが、そこ加えてトラッピングの拙さが非常に目立ち、格下のベトナムの守りの早めの寄せにあって得意の責任逃れの後方へのパスか、如何にも逆サイドへの展開の如くに見える横パスの連発で一向に攻めきれなかったのは、何とも情けないことだった。既に指摘してきた二線級と3人しか使われていなかったW杯優勝時の者たちとの呼吸が全く合っていなかったので、パスは繋がらず、競り合いには負けるはで、とても正視に耐えるサッカーではなかった。

退任が噂される佐々木監督は思い出作りを考えたのか、それともここで大きな試合を経験させておこうと思ったのか、二線級乃至はそれ以下を8人も使ったので、あの出来でも仕方がなかった。だが、あの段階に来て基礎が固まっていない者が多いのは、監督の責任ではない。協会が基本的にサッカーの指導法を考え直すべきだし、高校の全国大会のやり方を考え直すべき時が来たのではないかとだけは言っておきたい。

ここまでは昨夜のうちに考えていたが、今朝になってみれば新聞もテレビもテイームの内部分裂だの、責任のなすり合いだのと報じ始めた。それが本当ならば、基礎が固まっているかいないかとは別個な問題であって、私の守備範囲を逸脱している。また、一部のマスコミは今になって澤の不在を論じ始めたが、そんなことは当方が最初から指摘してきた。澤あっての宮間であり阪口であり大儀見だったのだ。いや、テイーム全体だったとも言えるかも知れない。

昨夜の不出来な試合を見ていて痛感したことは、これから先に宮間を始めとしてW杯優勝時の者たちが抜けていった場合に、あの二線級の中から誰を中心にテ
ームを編成していくのかも重大事だが、下部組織で余程しっかりと基本技を教え込ませることを徹底しないと、何時まで経っても相手側にトラッピングの拙さと無用なバックパスを狙われることが続くだろうということを警告しておきたい。澤が宮間がいなくなった場合には「自分で切り開くのだ」との強い意志とそれを裏付ける基本技と技術がないと、W杯は言うに及ばす、オリンピック出場も夢のまた夢と化してしまう危険性が高いと危惧する。