新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

Koreatownの衰退

2016-03-23 07:52:29 | コラム
職安通りを歩いたみた:

記憶は定かではないが、恐らく昨年4月以来のことだと思う。昨22日の午後に好天に釣られて本当に久しぶりに職安通りまで出かけてみた。昨年の4月頃は未だ国際医療研究センター病院に外来でのリハビリに通っていた頃だった。そんな時に一度思い切って職安通りまで散歩してみたのは良かったが、大病の後では足が疲れ切って1 kmを超えた道のりを歩いて帰れるだけの力が残っておらず、タクシーでも拾うべきかと途方に暮れた思い出があった。

職安通りに出る路地に私が勝手にこの地区の韓国料理店の三大名店の一つと格付けしていた「田舎屋」が消滅して、「牛屋」とかいう看板が出ていた焼き肉屋に変わっていたのには驚かされたと同時に、この街の落日もここまで来たかと感無量とまでは言わないが、正直なところ「矢張りこうなったか」と思わざる得なかった。大久保通りに未だに廉価な韓国製化粧品を買いに来る女性たちもこの寂れた路地にまでは興味がないだろうから、止むを得ない現象だろう。

田舎屋の手前にある矢張り古くからある名店「ハレルヤ」は健在のようだったが、牛屋と同様に私が忌み嫌うテレビ用語「ワンコインランチ」と称する500円ランチの看板を出していた。そうせざるを得ないのがこの街の実情だろう。私の知識が正確であれば、此処と田舎屋は1980年代の始めから営業していたこの界隈で韓国料理屋が珍しかった頃からの草分け的存在だった。それにしても田舎屋が止めてしまうまで廃れていたとは予想出来ていなかった。

職安通りに出て先ず見つけた変化は、一昨年までは時々冷麺などを買うこともあった「南大門市場」という名の韓国食料品店の看板がなくなりシャッターが降りていたことだった。この店の白菜キムチなどは400 gm.で500円でも仕入れ商品ではなかったので味も良かったのに矢張りこういう結果になったのかと、これもやや想定外。その先に古くからあった韓国外換銀行(Korea Exchange Bank)の送金業務のみの営業所も銀行名が変わった看板を掲げていた。

その先には日韓共催のサッカーW杯開催時にそこに隣接する広場で「デーハンミグック」の応援に大勢の韓国人が集まったとテレビが採り上げた韓国料理店の「大使館」も、その広場共々姿を消して”Cafe Riche”となってしまっていた。他にも消えた店があっただろうが、1年近くも来ていなければもうその変化の状況は解らない。三大名店の一つである「松屋」はそこから遙か先なので、敢えて調査には出向かずに帰ってきた。

大久保通りは未だに若い女性が並ぶ「サムギョプサル」の料理屋が何軒かは残っているが、ほぼ化粧品に特化した店が多いので未だ営業が継続出来ているのだろう。だが、職安通りは韓国料理屋が多かったので女性たちを惹きつけきれなかったのが敗因ではないのかなどと考えながら、今では何でもなく歩けるように復調したので、足取りも軽く我が家に戻った次第だった。

「Koreatownの衰退」とは題したが、もしかすると「韓国料理店の衰退 」とする方が正確だったかも知れない。