新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月11日 その2 疲労困憊だった

2016-03-11 17:26:54 | コラム


家内の入院以来3週間ほどの間に出会ったた多くの女性の方に「奥様の有り難みが解っただろう」と厳しく言われた。それには「当に仰せの通り」と答えては来たが、心中では「誤解か誤認識がおありでは?」と密かに叫んでいる。念のために確認しておくが、決して家内の有り難さを否定しているのではない。内心、そうではないと気が付いてきてはいたが、それを言う訳には行くまいと自粛していただけのこと。

では「内心」はどのようなものだったかと言えば「家内は私の昨年の前半、乃至は2006年1月の最初心筋梗塞発症の際のように私が未だ仕事をしていた際にも、自分が従来やってきた家事一切を取り仕切るのが普通の生活で、PCを開いてEmailを見て返信や新しいメール出したり、ブログを更新したり、頂門の一針に投稿する訳ではなく、ただ毎日私の病状の心配をしてくれて、バスに乗って戸山町の国立国際医療センター(当時の名称)に様子を見に来てくれていたのだ。その分が余計で大変な苦労をかけたことは、鈍感な私と雖も十分に解っていた。

だが、今回はその逆になった次第で、私が従来自分で好き勝手にやっていたPC以外の商社マンに会うとか二つの勉強会の例会に参加して来た生活に加えて、未知の分野であった家事(の如き作業)が加わっただけ、心理的にも兎も角物理的な負担が増えただけ、疲労感が増してきてしまったと、今になって解った来た。しかも、自分自身の体調を管理する為に月・水・金の三日には午前中にジムに通ってから、直ぐそこではあっても家内の入院する病院に毎日必要最低限の品物を届け且つ様子を見に行って来たのだ。

「今晩は何を食べようか」ということを今までは考えずに済んでいたものが、今や自分の担当分野に入ってきたことが負担の増加になったことだけでも、家内の有り難さ他人に言われなくとも良く解るのだ。その負担増分を昨年末までで三回の心筋梗塞から生き延び、尚且つ昨年には二度も心不全で入院し、未だに心不全のマーカーであるBNPの数値が漸く200台(平常値は0~18)に下がったばかりの病み上がりの私がこなすのだから、正直に言って善くぞ今日まで保ったものとすら思っている。

昨日、様子を見に行った際に「退院が今月の17日」という言わば「内定」の確認が主治医から告げられたと聞いた時に、言うなれば張り詰めていたものの限界を超えて緊張の糸が「切れてしまった」感があった。情けないことかも知れないが、どっと疲労感が出てきたのだった。「それは良かった。本当に良かった」というのが偽らざる心境だったが、これほどの疲労感が出てくるとは予想していなかった。

昨10日夜には37.0度ではあったが発熱し、今朝はかかりつけのSクリニックに駆けつけて「春先の風邪」とは診断されたが、ビタミンの注射をして頂き薬を出して貰って帰ってきて今頃まで休んでいた次第だ。「だらしがないな」とお笑い下さい。

矢張り年齢相応に「メンタル」(カタカナ語である、念のため)が弱くなってしまったようだ。家内と私は東京山手メデイカルセンターで素晴らしい主治医に執刀していた頂けたことを感謝する今日この頃である。

北朝鮮には勝って掉尾を飾ったが

2016-03-11 13:38:05 | コラム
女子サッカーの時代を築いた最後の試合があの雨の中では気の毒だった:

今頃になってあの予選最後の北朝鮮との試合を採り上げるのは誠に不本意だが、10日には専門商社の知人との会合があった上に3週間に及ぶ一人暮らしの結果か全身の倦怠感と意欲減退に悩まされて昨日は心身ともに気力が失せてPCの前に座る心の余裕がなかった次第だ。昨夜は熱も出ていたし、本日はかかりつけのクリニックで「春の風邪」と診断された。

思い起こせば、と言ってもわずか2日前のことだったが、漸く全盛時代の顔ぶれに近い者が揃って最後を飾る気にもなってくれたのか、W杯優勝時に近いサッカーが出来ていたが、如何せんあの水溜まりの中では我が方も北朝鮮も思ったようにパスが回っていなかったのはやや気の毒な気がした。試合開始前の閃きは我が方の勝ちだったが、何時まで経ってもその兆しが見えてこないサッカーだったのは、矢張り未だ何処かでネジが一本抜けたままの状態にあると思わせてくれた。

私なりにその抜けたネジが何処に行ったかのかを分析してみると、依然として中盤とバックスの連中が自分で出て行こうとせずに安易に横乃至は後ろへのパスを水溜まりのピッチ上でも続けたことが挙げられる。これは前にいる連中が動いてスペースなるところに駆け込んでフリーになってくれないことも一因だが、自分でやってやろうとの意欲の欠如があると思う。それだけではない、あの水溜まりの中でなくてもパスはもっと強く蹴るべきだ。易きにつくのは簡単で、それだけ「やってやろう」との意識が欠けてきた証拠ではないのか。澤穂希も指摘したように。

特に解説の宮本だったかが指摘した、自陣のゴール前で味方同士で横のパス交換をすることの危険さが解っていない傾向が見えたのは基本的な訓練の不足であり、あのような意識は改善すべきだ。そこを狙われてインターセプションの目に遭えば、そこから後ろにはGK以外の守備陣がいないので、危険極まりないのだ。佐々木監督が鍛え上げたパスサッカーは良いのだが、このような非常識な繋ぎ方は絶対に排除すべきだ。安易すぎる。

次に気になったことが有吉のように気力だけのサッカーをやっている者を使うと献身的な守備は良いとしても、折角自分のものにした球を的確に前にいる誰かにパスを通すのではなく、古き良き時代のFB(フルバック)」のようにめくら滅法にクリヤーしてしまうので、相手方の好餌になってしまう点だ。有吉は正確なパスをフィードする技術を身につけてから使うべき者ではなかったか。あの頃と配れば縦一発的なサッカーは彼女らの本筋ではないので失敗が多いのが欠陥だった。

次に気が付いた佐々木監督の選手起用の疑問点は「最後になるのであれば、あのメンバーの中でも功労者と私が見る川澄と大野を何故最後まで送り込まなかったのか」だった。監督は何を血迷ったかに全選手中で私が最も下手だと厳しく評価している川村を最後になって出してきた。あれでは川澄が気の毒だし、懸命に動き回る働き者の大野は最後の花道を失ってしまった。また、GKにしたところで、多少出来が良かっただけの木偶の坊の山根ではなく福元を使うべきだったのではないか。

批判はこれくらいにして試合の評に戻れば、澤なき後のサッカーでは初めて彼女ら本来に意欲的にパスを繋いで行くサッカーを見ることが出来た。だが、肝心要のシュートを決めるべき大儀見がマークがきついせいもあったのか、ほとんど良い形でフリーになったことがなく、トラッピングの拙さだけが目立ってしまった。後半の終わり頃にはそのフリーの位置で大きく上に蹴り上げてしまったのは、このシリーズ全体を通じての彼女の出来の悪さの象徴だった。マークが厳しかったのというのは言い訳にはならないだろう。

宮間はこの試合を最後に代表を辞めると報じられていたせいか、言わば獅子奮迅に近い動きと良いパスを出していたのが目立った。このテイームでは矢張り宮間の出来が試合の流れを左右するという事実を証明していた。あの決勝点にしたところで、彼女の左サイドからのセンタリングが絶好で、何処まで行っても運が強い岩淵はそこにいただけという理由で綺麗なヘデイングシュートを決める結果になった。岩淵は技術の割にはそのような「何か」を持っているので、監督さんが使いたくなるのだろう。

最後に私が極めて高く評価してきた女子サッカーに一時代を築いたあのWは優勝のメンバーの試合を見られるのがこれが最後かと思うと、些か感傷的にもなった。それならば、有吉など使わずに鮫島を下げた位置に戻し、そこに川澄を入れて、言わば2部リーグから上がって来て良くもあれだけやった横山を下げても大野を出して欲しかった。そして、澤がたとえ1分でも入っていればもっと良かったと、無い物ねだりをしたい気持ちにさせられた。あの「ここでも繋いでいくのか」と思わせてくれた世界の諸国が真似たあの素晴らしいサッカーをもう一度見たかったのは感情論か、それとも感傷的か?