家内の入院以来3週間ほどの間に出会ったた多くの女性の方に「奥様の有り難みが解っただろう」と厳しく言われた。それには「当に仰せの通り」と答えては来たが、心中では「誤解か誤認識がおありでは?」と密かに叫んでいる。念のために確認しておくが、決して家内の有り難さを否定しているのではない。内心、そうではないと気が付いてきてはいたが、それを言う訳には行くまいと自粛していただけのこと。
では「内心」はどのようなものだったかと言えば「家内は私の昨年の前半、乃至は2006年1月の最初心筋梗塞発症の際のように私が未だ仕事をしていた際にも、自分が従来やってきた家事一切を取り仕切るのが普通の生活で、PCを開いてEmailを見て返信や新しいメール出したり、ブログを更新したり、頂門の一針に投稿する訳ではなく、ただ毎日私の病状の心配をしてくれて、バスに乗って戸山町の国立国際医療センター(当時の名称)に様子を見に来てくれていたのだ。その分が余計で大変な苦労をかけたことは、鈍感な私と雖も十分に解っていた。
だが、今回はその逆になった次第で、私が従来自分で好き勝手にやっていたPC以外の商社マンに会うとか二つの勉強会の例会に参加して来た生活に加えて、未知の分野であった家事(の如き作業)が加わっただけ、心理的にも兎も角物理的な負担が増えただけ、疲労感が増してきてしまったと、今になって解った来た。しかも、自分自身の体調を管理する為に月・水・金の三日には午前中にジムに通ってから、直ぐそこではあっても家内の入院する病院に毎日必要最低限の品物を届け且つ様子を見に行って来たのだ。
「今晩は何を食べようか」ということを今までは考えずに済んでいたものが、今や自分の担当分野に入ってきたことが負担の増加になったことだけでも、家内の有り難さ他人に言われなくとも良く解るのだ。その負担増分を昨年末までで三回の心筋梗塞から生き延び、尚且つ昨年には二度も心不全で入院し、未だに心不全のマーカーであるBNPの数値が漸く200台(平常値は0~18)に下がったばかりの病み上がりの私がこなすのだから、正直に言って善くぞ今日まで保ったものとすら思っている。
昨日、様子を見に行った際に「退院が今月の17日」という言わば「内定」の確認が主治医から告げられたと聞いた時に、言うなれば張り詰めていたものの限界を超えて緊張の糸が「切れてしまった」感があった。情けないことかも知れないが、どっと疲労感が出てきたのだった。「それは良かった。本当に良かった」というのが偽らざる心境だったが、これほどの疲労感が出てくるとは予想していなかった。
昨10日夜には37.0度ではあったが発熱し、今朝はかかりつけのSクリニックに駆けつけて「春先の風邪」とは診断されたが、ビタミンの注射をして頂き薬を出して貰って帰ってきて今頃まで休んでいた次第だ。「だらしがないな」とお笑い下さい。
矢張り年齢相応に「メンタル」(カタカナ語である、念のため)が弱くなってしまったようだ。家内と私は東京山手メデイカルセンターで素晴らしい主治医に執刀していた頂けたことを感謝する今日この頃である。