新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月1日 その2 長い一日だった

2016-03-01 20:09:12 | コラム
多忙で長い一日だった:

本日は午前9時前に国際医療研究センター病院に到着して採血の順番をとってみれば、この早い時刻でも延々と30分待ちとなる。その間に心電図を取りに行って10:30の循環器科医長先生の予約に待合室に戻っても、呼ばれたのは11:30を回ったところ。そこで直ぐに診察を終わって会計に回り、12:45のバスで新大久保駅前に戻った。それから我が家から徒歩3分の調剤薬局に処方箋を出して、一旦帰宅。

13:30に我が家から徒歩5分の東京山手メデイカルセンターの8階に家内の様子を見に行き、自力で歩行器にすがって手洗いに行くのを見て安心して今度は隣の調剤薬局で薬を受け取ってから、14:30の予約の歯科医に行くという有様。昼食はどうなったのかと言えば、循環器科の待ち時間に採血の為に抜いてあった朝食と兼用で、病院の地下の広大なロビーでコンビニで焼いているパンを2個買って缶コーヒーで流し込んでおいたという次第。

そうして、午後3時を過ぎて漸く自宅で一息ついた。そこで徐にPCを起動しEmailを調べた後で、本日の自分の出納帳と家内に依頼されていた家計簿の如きものの処理。営業一筋だった私にはこの程度の事務量でも大いなるストレスのもとだから辛い。それを片付けてから「今夜の夕食は?」と考えを巡らしている最中に思い付いたことが「ゴミ捨て」。当アパートは独自の設備があって07:00から22:00の間は何時でも持って行けるので、その処理に一汗。

夕食が終わってから新聞のテレビ欄を見ればBS朝日で日本ハム対巨人のオープン戦があると解ったので、巨人が守っている時だけ見るようにした。だが、ハムが斎藤佑樹を出してきたので、どれほど使えないかを見たが、あれでは「戦力外通告」の憂き目に遭うのはそう遠いことではないような気がするような迫力に欠けた投球だったのは、気の毒を通り越して哀れを催した。それでも、未だ20時過ぎ。兎に角、長い一日だった。

"Lady Borden"のカタカナ表記

2016-03-01 07:00:29 | コラム
デイーン・フジオカがCMソングを:

件名は言わずと知れたアメリカのアイスクリームの商品名で、カタカナ表記は「レデイーボーデン」となっている。このCMをこの度NHKのドラマに出演して名が売れたと聞くデイーン・フジオカなる俳優が担当することになったことを、昨日のフジテレビのニュースで知った。カタカナ語の名前が如何にも胡散臭いので即Wikipediaで調べてみた。本名は藤岡竜雄で歴とした日本人だった。しかし、シアトル大学というカトリック系の大学に留学していたとあったので、Deanはその当時に出来たニックネームだろうと思う。

フジテレビのニュースでは四カ国語が堪能などと持ち上げた上でレデイーボーデンのCMの収録の場面を流したが、藤岡が歌うのは”Lady Borden”のところだけだった。彼はこの商品名をほぼカタカナ表記通りに「レデイーボーデン」と歌うのだが、”Borden”くカタカナ表記すれば「ボードウン」のように発音した。そこをまたアナウンサーの伊藤は「我々に真似出来ない綺麗な発音」と礼賛した。カタカナ語排斥論者であり、「英語の発音の正確さは七難隠す」と主張する私にとっては「何を言っているのか」だった。

そもそも”Lady Borden”を「レデイーボーデン」とカタカナ表記してしまったこと自体がおかしいのであって、”Lady”は「レイデイー」となるべきものだったにも拘わらず「レデイーファースト」にもあるように原語の発音を無視した誤記だったのだ。カタカナ表記する場合に”A”は何時も難物で英語では素直に「ア」と発音されることの方が少ないのだが、ローマ字が普及した我が国では通常「ア」にしてしまっている。しかし、何故か”lady”のような場合には「レ」と誤記してしまった。

それはそれで良いが、藤岡がアメリカ仕込みかどうか知らないが、”Borden”を素直に従来通り「ボーデン」としかなかったのは矛盾ではないのか。そうするのならば”Lady”も原語通りに「レイデイ-」とすべきだっただろうと言いたい。それともスポンサー様の意向では「そこまでしなくとも良い」だったのか。

次に情けなかったことは伊藤が藤岡の発音を礼賛したことだった。この辺りが我が国の英語教育の至らざるところを表しているのだと思うのだ。”Borden”のように二重音節(double syllables)の言葉では二つの音節の両方にアクセントを置くことはなく、何れか一方に置くだけなのだ。ここでは「ボー」にアクセントが来たので”den”では”e”を実際には発音しない感じで「ドウン」に聞こえるようになるものなのだ。こういう微妙なアクセントの置き方が学校教育ではチャンと教えていないようだと、長年の現場の経験で解っている。

であれば、本来は伊藤アナウンサーを責めるべきではないのかも知れないが、あの場で藤岡を礼賛してしまっては罪なき視聴者を惑わすのではないかと危惧したので、敢えて採り上げた次第だ。実は、当方はNHKの朝の連ドラと大河ドラマは一切見ないので、フジオカなる俳優か何か知らぬが大いに受けているという者の顔を初めて見たのだった。ここまで引っ張ったが、実は英語教育批判論でもあったのだったのだ。