佐々木監督が引け時を誤ったのかな:
kazkさんは私のGooのブログに鋭い観戦記を寄せて下さる方である、念のため。kazkさんとは何時でも楽しく意見交換が出来るので感謝申し上げている次第だ。
一説には佐々木監督はオリンピックで2位に付けたところで辞めるはずだったものが、残ってしまった為に選手たちとの意思の疎通が不十分になったとある。W杯の優勝とオリンピックで2位に入らせた功績だけで十分以上だったのに、最後が予選敗退の監督になってしまったのは「辞める」時期の見極めが如何に難しいかを物語ってしまった。
私は佐々木監督の女子代表にW杯を獲らせて尚且つオリンピックで2位を獲らせたパスサッカーを育て上げた手腕は並ではなく、我が国サッカー界の歴史の名を残す大監督と呼んでも良いかくらいに考えていた。だが、彼自身も不本意だっただろうが、天も運も彼と女性たちに味方しなかったのは、さぞや残念だっただろう。私はあの予選で不可解な選手の使い方が続くのを見て、彼自身の戦略のタネ切れ以外に何かがあったのだろうとは思っていたが、選手たちとの間に軋轢を生じさせていたとは想定外だった。
あの4ー4ー2に拘泥したサッカーを批判する向きもあったようだが、あれで一時代を築いた功績まで帳消しにはなるまいし、してはならないことで、最後まで褒めて差し上げて送り出すべきだろう。しかし、世の中の難しさは「今栄えている何事かが永久に栄えていることはない」のだし、「明けない夜はない」のと同様に「何時かは日が暮れるもの」なので、他国が「佐々木式パスサッカー」を破って超える日が来るものと考えて良かっただろう。それがあの予選でベトナムと北朝鮮にしか勝てなかった結果となって無残に現れてしまったのだ。
選手たちの面から見れば、私も何を言っているかを承知で世代交代の遅れを指摘し続けた、それがほぼ「無い物ねだり」であるとは解っていたが。それほどあのW杯を獲った者たちの技術的水準が高く、意思の疎通と言うべきか「良く合わせてある」という方が的確か、良くあれほど細かくどんな場合でもパスを危なげなく繋いだものだと、イヤ繋げるような技術があるものだと感心していた。あれは一朝一夕にしてなるものではない。
しかし、困ったことは後に続く連中は「ただただパスを回す為にパスをするものだ」と佐々木戦法を誤解して、要らざるバックパスと横パス戦術を編み込んでしまったのだった。これは、男子のサッカーでもたびたび指摘してきた「自分で抜いて出ようとせず、責任は誰かに任せよう」とする逃げのパス戦法に劣化させてしまったのである。私はこの逃げるサッカー病はかなり重症だと見ている。
しかも、追う立場の他国は佐々木戦法を研究し尽くして止める戦術を編み出してきたのだから堪らない、何度インターセプションの憂き目に遭って失点したことか。この点を修正出来なかったのは監督さんとコーチの責任だと敢えて断言する。私は現在の二線級があの11人(と敢えて言うが)の域に達するのは2020まででも相当な無理があると危惧している。後任の監督もハリルホジッチも同様な苦境に立たされるだろう。
さて、澤穂希である。女子としては希代の名手である事は間違いないだろう。だが、澤をあそこまで育てたのは誰だろうかが私には不明なのである。佐々木監督の9年間だったのか、それ以前に15歳から代表に入った実績に基づいているのかは解らない。マスコミ報道の裏を読むと、晩年の澤を1年間代表から外した裏には何か確執があったと言いたげだったし、突然オリンピック予選を控えている時期に引退を発表したのも一寸不可解だった。
個人として評価出来る者は何と言っても宮間である。澤あっての宮間とは言ったが、あの予選最後の試合での懸命に動き回った様子を見れば完全に自立以上の力を見せていたので、あの必死さをオーストラリア戦からも出しておいて欲しかったと思ってみていた。オーストラリア勢が彼女を押さえ込みに来るのは当然で、そこを突破するだけの懸命さが欠けていたのは、宮間だけではなくテイーム全体に気迫というか気力が充実していない虚を突かれた敗戦だと思っている。2020年まではやれないだろうから、後任を如何に育てるかは新監督の課題だが、2線級にそこまで行けそうな玉が見当たらない。
私が高く評価するのは右から近賀、熊谷、岩清水、鮫島の4人で、昔式に言えばバックスである。先頃のオリンピック予選ではこの4人に往年の輝きがなかったし、監督は何故か近賀を補欠扱いにしたのは不可解だった。だが、最後になって出されてみれば、「昔の名前で出ています」の感があったのは残念だった。マスコミとアナウンサーの寵児・有吉は往年の近賀と比べれば50点程度だ。「この黄金のバックスと同等の力を持つ者を如何に育てるかが」新監督の課題の一つだろう。
今度は中盤とFWだ。阪口もなかなかの選手だが、宮間以上に「澤あっての阪口」の感が深い。だが、今となってはこのまま残って後進の見本となってやらないことには中島だの川村だの何のでは、とても2020どころではない。男子で例えれば、遠藤を何とか言う監督の英断(?)で外した以降はキッカー不在で苦しんでいるのと同じで、宮間と阪口が揃っていたから中盤の形が出来ていたのだ。
川澄はあのW杯のスエーデン戦で突如として彗星の如くに現れた新鋭だったが、前回のオリンピック辺りから妙に貫禄を付けたがるようになり、中盤でパスを出すことに生き甲斐を見出したかのようで、鋭さが消えていたのが不思議だった。未だ残ってやる気ならば、あの頃のひたむきさを思い出すべきだ。佐々木監督はそこを嫌って対北朝鮮戦に出さなかったのかと邪推している。
大儀見は苦労してあの地位を確保したが、結局はあの後方からのパスに対するトラッピングの不味さで予選では威力が不発に終わったのは遺憾だった。折角当たられ強くなるまで外国で鍛えてきたのだから、基本に立ち返って基礎を鍛え直して欲しい。あのままではポストプレーが出来なくなるし、前を向いてのシュートを蹴る形が思うようにとれないという欠陥が残るだけだ。外国勢もそこを読んでいると見えた。
横山は2部から来て善くぞあそこまでやったのは良い経験になっただろう。今のところはサッカーの怖さが解っていないので、今回の20人の中では最も活発に動いていた。しかし、何れ壁にぶつかって苦しむだろう。あの体格で壁を乗り切るのは大変だろうと、小柄な私には悲しいほどよく分かる。その小柄という点では岩淵も大変だろう。小さいことを活かすべく何処の誰にも負けない敏捷性と素早い技を身につけないと「得点感覚」の良さだけでは何時まで経ってもスーパー補欠かも知れない。
最後はGKだが、山根は余程機敏さを身につけることと、GKとしてのシュートコースの読みをバックスと連携して見抜くことを修行しないと、私が揶揄する「木偶の坊」に終わってしまう。本当に上手いGKは全てを読み切って、きたシュートを全部ストライクで捕球してしまうのだ。セービングが上手いということは「コースの読みが悪いか、立っていた位置がおかしかったか」の何れかだ。アナウンサーも解説者もそこをチャンと読んで放送して貰わないと視聴者を惑わす結果になる。大体からしてGKを守護神などと呼ぶのは誤りだ。良いGKはバックスとの連携が上手いのが当たり前だ。サッカーは個人競技ではないのだから。
kazkさんは私のGooのブログに鋭い観戦記を寄せて下さる方である、念のため。kazkさんとは何時でも楽しく意見交換が出来るので感謝申し上げている次第だ。
一説には佐々木監督はオリンピックで2位に付けたところで辞めるはずだったものが、残ってしまった為に選手たちとの意思の疎通が不十分になったとある。W杯の優勝とオリンピックで2位に入らせた功績だけで十分以上だったのに、最後が予選敗退の監督になってしまったのは「辞める」時期の見極めが如何に難しいかを物語ってしまった。
私は佐々木監督の女子代表にW杯を獲らせて尚且つオリンピックで2位を獲らせたパスサッカーを育て上げた手腕は並ではなく、我が国サッカー界の歴史の名を残す大監督と呼んでも良いかくらいに考えていた。だが、彼自身も不本意だっただろうが、天も運も彼と女性たちに味方しなかったのは、さぞや残念だっただろう。私はあの予選で不可解な選手の使い方が続くのを見て、彼自身の戦略のタネ切れ以外に何かがあったのだろうとは思っていたが、選手たちとの間に軋轢を生じさせていたとは想定外だった。
あの4ー4ー2に拘泥したサッカーを批判する向きもあったようだが、あれで一時代を築いた功績まで帳消しにはなるまいし、してはならないことで、最後まで褒めて差し上げて送り出すべきだろう。しかし、世の中の難しさは「今栄えている何事かが永久に栄えていることはない」のだし、「明けない夜はない」のと同様に「何時かは日が暮れるもの」なので、他国が「佐々木式パスサッカー」を破って超える日が来るものと考えて良かっただろう。それがあの予選でベトナムと北朝鮮にしか勝てなかった結果となって無残に現れてしまったのだ。
選手たちの面から見れば、私も何を言っているかを承知で世代交代の遅れを指摘し続けた、それがほぼ「無い物ねだり」であるとは解っていたが。それほどあのW杯を獲った者たちの技術的水準が高く、意思の疎通と言うべきか「良く合わせてある」という方が的確か、良くあれほど細かくどんな場合でもパスを危なげなく繋いだものだと、イヤ繋げるような技術があるものだと感心していた。あれは一朝一夕にしてなるものではない。
しかし、困ったことは後に続く連中は「ただただパスを回す為にパスをするものだ」と佐々木戦法を誤解して、要らざるバックパスと横パス戦術を編み込んでしまったのだった。これは、男子のサッカーでもたびたび指摘してきた「自分で抜いて出ようとせず、責任は誰かに任せよう」とする逃げのパス戦法に劣化させてしまったのである。私はこの逃げるサッカー病はかなり重症だと見ている。
しかも、追う立場の他国は佐々木戦法を研究し尽くして止める戦術を編み出してきたのだから堪らない、何度インターセプションの憂き目に遭って失点したことか。この点を修正出来なかったのは監督さんとコーチの責任だと敢えて断言する。私は現在の二線級があの11人(と敢えて言うが)の域に達するのは2020まででも相当な無理があると危惧している。後任の監督もハリルホジッチも同様な苦境に立たされるだろう。
さて、澤穂希である。女子としては希代の名手である事は間違いないだろう。だが、澤をあそこまで育てたのは誰だろうかが私には不明なのである。佐々木監督の9年間だったのか、それ以前に15歳から代表に入った実績に基づいているのかは解らない。マスコミ報道の裏を読むと、晩年の澤を1年間代表から外した裏には何か確執があったと言いたげだったし、突然オリンピック予選を控えている時期に引退を発表したのも一寸不可解だった。
個人として評価出来る者は何と言っても宮間である。澤あっての宮間とは言ったが、あの予選最後の試合での懸命に動き回った様子を見れば完全に自立以上の力を見せていたので、あの必死さをオーストラリア戦からも出しておいて欲しかったと思ってみていた。オーストラリア勢が彼女を押さえ込みに来るのは当然で、そこを突破するだけの懸命さが欠けていたのは、宮間だけではなくテイーム全体に気迫というか気力が充実していない虚を突かれた敗戦だと思っている。2020年まではやれないだろうから、後任を如何に育てるかは新監督の課題だが、2線級にそこまで行けそうな玉が見当たらない。
私が高く評価するのは右から近賀、熊谷、岩清水、鮫島の4人で、昔式に言えばバックスである。先頃のオリンピック予選ではこの4人に往年の輝きがなかったし、監督は何故か近賀を補欠扱いにしたのは不可解だった。だが、最後になって出されてみれば、「昔の名前で出ています」の感があったのは残念だった。マスコミとアナウンサーの寵児・有吉は往年の近賀と比べれば50点程度だ。「この黄金のバックスと同等の力を持つ者を如何に育てるかが」新監督の課題の一つだろう。
今度は中盤とFWだ。阪口もなかなかの選手だが、宮間以上に「澤あっての阪口」の感が深い。だが、今となってはこのまま残って後進の見本となってやらないことには中島だの川村だの何のでは、とても2020どころではない。男子で例えれば、遠藤を何とか言う監督の英断(?)で外した以降はキッカー不在で苦しんでいるのと同じで、宮間と阪口が揃っていたから中盤の形が出来ていたのだ。
川澄はあのW杯のスエーデン戦で突如として彗星の如くに現れた新鋭だったが、前回のオリンピック辺りから妙に貫禄を付けたがるようになり、中盤でパスを出すことに生き甲斐を見出したかのようで、鋭さが消えていたのが不思議だった。未だ残ってやる気ならば、あの頃のひたむきさを思い出すべきだ。佐々木監督はそこを嫌って対北朝鮮戦に出さなかったのかと邪推している。
大儀見は苦労してあの地位を確保したが、結局はあの後方からのパスに対するトラッピングの不味さで予選では威力が不発に終わったのは遺憾だった。折角当たられ強くなるまで外国で鍛えてきたのだから、基本に立ち返って基礎を鍛え直して欲しい。あのままではポストプレーが出来なくなるし、前を向いてのシュートを蹴る形が思うようにとれないという欠陥が残るだけだ。外国勢もそこを読んでいると見えた。
横山は2部から来て善くぞあそこまでやったのは良い経験になっただろう。今のところはサッカーの怖さが解っていないので、今回の20人の中では最も活発に動いていた。しかし、何れ壁にぶつかって苦しむだろう。あの体格で壁を乗り切るのは大変だろうと、小柄な私には悲しいほどよく分かる。その小柄という点では岩淵も大変だろう。小さいことを活かすべく何処の誰にも負けない敏捷性と素早い技を身につけないと「得点感覚」の良さだけでは何時まで経ってもスーパー補欠かも知れない。
最後はGKだが、山根は余程機敏さを身につけることと、GKとしてのシュートコースの読みをバックスと連携して見抜くことを修行しないと、私が揶揄する「木偶の坊」に終わってしまう。本当に上手いGKは全てを読み切って、きたシュートを全部ストライクで捕球してしまうのだ。セービングが上手いということは「コースの読みが悪いか、立っていた位置がおかしかったか」の何れかだ。アナウンサーも解説者もそこをチャンと読んで放送して貰わないと視聴者を惑わす結果になる。大体からしてGKを守護神などと呼ぶのは誤りだ。良いGKはバックスとの連携が上手いのが当たり前だ。サッカーは個人競技ではないのだから。