新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

体育会出身者の問題点

2016-03-10 07:57:09 | コラム
野球一筋で過ごしてきた結果か:

昨10日の未だ巨人の一員である高木京介の記者会見を聞いていて、我が国の体育会制度の功罪両面を悲しいまでに見せつけられていて哀れでもあったし、暗澹ある気分にさせられた。野球賭博なるものに手を出したのは彼自身の責任で処理すべきものではあるが、その処理方法としてこれまでに処分された三名とは異なって単独の記者会見をやらせた読売の魂胆には疑問を感じた。

高木は高校を終えてから國學院大學まで出ているのかだから、いくら原稿を読んでいたとは思えない語り方であっても、どれだけの緊張感があったか知らないが、27歳にもなった者がもう少しまともな言葉遣いが出来なかったのかと、情けない思いで聞いていた。例えば、彼は自分の(関西風に言えば)「嫁」を公開の席で「奥さん」と呼んだのだった。また星陵高校から野球部=体育会という特殊な世界で過ごしてきたのであれば、「自分」のことを「僕」と称するのはおかしなことで、少なくとも私が接してきた体育会の者たちは、目上の前では「自分」と言うのが普通だった。星陵にはそういう文化はないのか。

その他にも敬語の使い方もおかしかったし、少なくとも社会に出て5年を経た者の語り口ではなかった。「紳士たれ」を標榜する読売巨人軍では倫理学以外にはそういう社会人として躾をしていないのかと、問いただしたい衝動に駆られる。少なくとも「球界の盟主」を自称(であって私は認める気もない)するのならば、野球一筋で高校→大学→社会人と進んできた者たちの社会人年齢が、最悪は15歳で止まってしまっているくらいはフロントなる組織にいる連中は解っているはずだ。

それならば、偶には話し方くらいは少しは教えておくべきだったのではないのか。だが、今回辞任されてしまったお方は「たかが選手」と曰われたおではなかったか。そこにもこの会社の本質が見える気がする。同時に各高校の監督や部長、大学の体育会の責任者にも「運動競技」以外を何も教えなかったことへの反省を求めて終わる。

原子力発電所はそれほど忌避すべべきものなのか

2016-03-10 07:27:54 | コラム
大津地裁の判決は感情論か?:

産経ニュースには

<大津地裁はこの最高裁判例を引用し、裁判所が原子力規制委に代わって判断すべきとは考えないと断りつつも、決定文中では新基準への不信感や疑問を随所ににじませた。元裁判官の佐藤歳二弁護士(東京弁護士会)は「裁判所が技術論にまで踏み込み、自ら考える安全性の基準について立証を求めており、最高裁判例を逸脱している」と批判した。>

とあった。その通りではないかと思って一読。

私でさえ、原発の近隣に住む方々が「原発極めて危険なり」と思い込んで反対運動を起こすのは解らないでもない感情論的なことだと考えている。だからと言って、あの原子力規制委員会ですら認めた原発を危険として地裁に差し止めを訴えて出る辺りには、そのような運動を生き甲斐とする(生業とするのかな?)正義の味方を自称しそうな専門の運動家の影が見えて仕方がない。

私にさえも、物理や化学や原子力を専攻され突き詰められたとは思えない裁判官が、このような事案に判決を下すこと自体が疑問に思えるし、そういう訴訟を起こす「市民」の方々にも巧妙な戦法を採ったなと思わせてくれる面があるのだ。COP 21がどうのと言われているこの時期に何時まで民主党内閣の不手際を良いことに「原発反対」を引きずって行けば気が済むのかと「運動家」に尋ねてみたいが、無駄なことだろう。