大久保祭りの日の出来事:
2日経っても2度の藤沢遠征の疲れが抜けきらず朝からボンヤリとしていたが、11時前に思い立って大久保祭りの呼び物の行事であるジャズの生演奏を聴きに大久保通りの外れになる会場に出かけて行った。そこでは11時から午後3時まで地元出身のミュージシャンが中心となっているコンボやフルバンドの加えて小学校のブラスバンドと鼓笛隊も出演するという大がかりなものである。我が家から会場までは徒歩20分もかかろうとかという丁度良い散歩コースである。
開演の前に新宿区長が現れて挨拶をしたのがこれまでになかった趣向で、初めて区長の顔を見る機会を与えられたのだった。司会者によればこのお祭りは35回目で、ジャズフェステイバルも20回目に当たるとか。我が方がここに越してきて28年も経っているのだから、このコンサートを20年も聞き続けていたとは知らなかった。ついこの間聞きに来たという記憶しかない。当に歳月人を待たずである。
約1時間、矢張り生演奏は音だけ聞いていれば迫力が違うなと大いなる感銘を受けて、昼食の為に帰宅の途についた。だが、途中で毎年のことだが、地方から来演される和太鼓の勇壮な演技と演奏を一曲聴いた。私はこのような我が国固有の演技と演奏を何時も素晴らしいと思って聴いている。同時にこの演奏に感激するのは自分が生粋の日本人であり、日本人で良かったとあらためて自覚する次第だ。昨日の一団は埼玉の秩父から来て頂いたようだった。
午後は2時から始まるDeNA対読売のCSの第3戦を観戦することに集中した。希望的にはDeNAが読売に勝ってくれることだったが、久保を出さないと予め知らされていただけに一寸不安が残った。ではあっても、読売のような半ちくな球団を勝たせてはならないという偏向した思いで、時が来るのを待っていた。
読売の敗因を挙げて球団のフロントオフィスを反省させたい。先ずは既に当方が斬って捨てた内海を先発に使ったこと。彼は今年でもいくつかは勝ったが、最早完全にガス欠であのような重大な試合に先発させるタマではないのは明らかだ。後から出てきた大竹も同様。要するに世代交代を急ぐべきだという冷厳な事実を見せただけの投手起用だった。更に打球を足に当てられて退場した沢村を出して直接の敗因とした監督の采配も論外。
皮肉にも、私が売り払うか戦力外とすべきと指摘済みの阿部と村田がホームランを打ってDeNAに迫ったが、再三代打を出して選手を入れ替えた後の内野の布陣を見ればこの球団が如何に世代交代というべきか後進の育成を怠ってきたかが悲しいまでに解るお粗末さだった。しかも、大枚を叩いてロッテから獲ってきた何とかいう外国人は態度不良で登録抹消という離れ業まで演じて見せていた。その結果があの新人に二塁を守らせざるを得なかったのは醜態であろう。
実は、私はDeNAが田中健二朗を出してきた時には、今年の不出来な場面ばかりを見てきたので非常に不安になった。そこに村田がショートゴロを懸命に走って内野安打にしたので、不安が増幅された。そして高橋監督はお定まりの走るだけで6,000万円も取っている鈴木尚広を代走に出してきた。ところが田中投手は慌てず騒がずシーズン中は盗塁失敗ゼロの鈴木を牽制でアウトに仕留めるという見事な守りをして見せたのだった。私はこれで漸く読売巨人軍の命脈は絶たれたと思った。
ここでもう1回「実は」だが、1回の表にロペスがホームランを打って2点先取した後で、無死一三塁の絶好機にDeNAは全く不甲斐なく外野フライさえ打てずに追加点を取れなかった。私はこれが後々まで祟って苦しい試合になってしまうと恐れていた。事実、読売側の老兵2人にホームランで追いつかれてしまった。この辺にDeNAの野球の甘さがあるし、第2戦では筒香が読売の田口程度の球速の投手のスライダーに捻れていた有様では、広島に絶好の筒香封じの材料を提供していたとしか思えなかった。
DeNAが昨年の最下位からここまで上がってきたテイームに成長させたラミレス監督の手腕は賞賛に値するが、投手陣は未だ駒不足だし、打つ方も未だ未だこれからの者が多すぎると指摘したい。筒香は善くぞあそこまで育ったと認めるが、上述のように外に流れるスライダーに脆い欠陥は要修正だし、彼の前後を打つ者で信用できるのはロペスだけだ。だが、彼も好不調の波が大きすぎる恨みがある。尤も、その波がこのシリーズに当たったとは言えるのだが、広島の時まで維持できれば結構だろう。
広島対DeNAのシリーズがどう展開されるかの予想は出来ない。その場に及んでの閃きがどのように出るかを待つだけだ。だが、一般論では広島が有利と見えるのだが。