新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月17日 その2 閃きは来なかったが予想は当たった

2016-10-17 14:39:01 | コラム
大谷が投手で出てくることはあると予想していた:

昨日のパシフィック・リーグのCSファイナルステージの最終戦は非常に面白い試合だった。だが、生憎と他に極めて興味深い二つのゴルフ・トーナメントがあった為に掛け持ちで見ていたので少し忙しかった。そして全部が中途半端になった感がある見方をしていた。

その前に、一昨日の第4戦はニッポンハムの先発投手が高梨と予告されていたので勝ち目無しと見切って、YM氏との会談の為に代官山に行っていたので、勝負がついていた辺りからしか見ていなかったのだが、それで良かったようだった。しかし、昨日も「新人」の加藤の先発と聞いて、閃きではなく理論的に予想してニッポンハムに分がないだろうと見込んでいた。そこに1回の表にいきなり4失点では「この体勢をどうやって引っ繰り返すのか。無理があるのでは」と思いながら見ていた。

いきなり英語の講釈だが、新人をカタカナ語で「ルーキー」と称するのは戦後間もなく普及した言葉だが、当時はその発音を疑ってみたこともなかった。だが、それが”rookie”という単語だと知って呆れた。何処の世界に”book”と「ブーク」と読んだり、”look”を「ルーク」と言う奴がいるかということだから。あれは「ルキー」である。思うに、当時は我が国には貧乏で高級な紙の英和辞書が普及していなかったのだろう。

野球に話を戻そう。私はそれでもニッポンハムが体勢を立て直して勝つこともあるかと少しだけ希望的に考えて、松山英樹が優勝に近付いている様子も楽しんでいた。その間に中田翔がホームランを打って3点差にしたと知ってからは、何となくニッポンハムの勝ちがあり得ると感じるようになった。あの1点で流れが変わったようで、そこからの”Bass”と言う中継ぎ投手が好投している間に「これはひょっとするかな」と予想するように変わっていった。これも英語の講釈だが、このスペリングで「バース」と表記されていたが、あれは「ベイス」と発音するのが普通で、低音の楽器のことだ。何故「バース」なのだろう。

何れにせよ、ニッポンハムの底力は大したもので、あの局面で「準レギュラー」でしかない岡を出して、1球目から打ちに行って大2塁打にしてしまったのには恐れ入った。正捕手の大野を引っ込めて岡を出した栗山監督の決断も立派なものだと評価したい。解説の和田はあの場面でスクイズはないと予想して見せたが、私は打者が中島である以上、それは十分にあるだろうと読んで当たったのは気分が良かった。あれは駄目押しで、試合はその前の岡の一打で決まったようなものだった。

そこから先は栗山監督は巧に投手を繋いだが、私にはどうしても最後を締める投手が不足していたと見えたので、アメリカでさえLAドジャースがプレー・オフの一戦で9回だけにエースのカーショーを使って逃げ切って見せた例もあることで、大谷を1回だけ投げさせることは十分にあり得ると予想していた。そして、華々しく当たったのだった。あの大谷の素質と現在の力量だったならば、1回だけ本気で投げれば我が国では打てる打者がいないだろうことは容易に予測できた。あの最後の打者となった本多は良くもあれだけ速い球を前に転がしたものだと、寧ろ感動していたほどだ。この試合は大谷のあの160 km台の速球の連発を見ただけでもその観戦の価値があった。

私は結果論ではあるが、あの勝負は監督の器量の差がハッキリと表れたものだと見ている。それに加えてニッポンハムには大谷という存在があったのだから、ソフトバンクが及ばなかったのは当然の結果だっただろう。それだけではない、打率こそ低く一見雑なバッテイングをする中田翔が「これぞ四番打者」と言える働きをして見せたのも大きく貢献していた。DeNAの筒香がCSで余り働かなかったのと好対照だった。現時点では彼ら二人の何れが上なのか決めがたいものがある。

大谷はそもそもMLBに行きたかったものを、ニッポンハムがドラフトで指名したという記憶がある。何れの日にかアメリカに行くのだろうが、それまでに「二刀流」(はおかしな言い方で「攻守両面」の方が理屈にかなっていると信じている)を何時止めさせて、どちらに集中させるかは栗山監督に課せられた重大な課題である。彼を育て損なえば、それは寧ろ犯罪の域に入りかねない。彼はそれほどの素材だ。


トランプ氏の言葉遣い批判

2016-10-17 08:27:52 | コラム
トランプ氏の言葉はスラングばかりではない:

ドナルド・トランプ氏の言葉遣いは少し品格に欠けすぎていると思う。この点を週刊新潮の10月20日号で「スラング」として採り上げていたが、一寸異論がある。あの記事が例に挙げていた一昔前の彼の言動の例には確かにスラング(slang)に分類しても良い言葉もあった。だが、以前に「言葉の分類」で指摘したように、”slang”とは「隠語」や「符牒」を言うのであって、必ずしも品格を問われるような性質ではないのだ。一流会社の社員でも使っている程度だ。

英語を学んでおられる方々に彼の言葉遣いの中で真似て欲しくない例を挙げておけば、”I’m gonna ~.”であるとか”You wanna ~.”という言い方をしている辺りだ。これは原型では”I am going to ~.”と”You want to ~.”である。このような原型でキチンと話せない段階にある時にこういう省略した形の表現をすることを私は勧めないのだ。即ち、そんな言い方をすると全体の流れの中では「木に竹を接ぐ」ような形になって不自然だし、バランスが悪くなるからだ。

私が使うなと言うのは適切な日本語の訳がない”swearword”(「汚い言葉」とでも言うか)のことであろう。少なくとも公衆の面前や公式の場で使うような言葉ではない。この点も何度も指摘してきたことで、我が国では”slang”と”swearword”が混同されており、その識別が出来ていないと思う。また、swearword”等はとても学校教育で教えられる代物ではないので、スラングと区別せよと言われても、我が国の学校教育で育った方々には出来る業ではない。

だが、swearword等はアメリカの映画でも音声が原語のテレビドラマでも、これでもかと言うほど乱発されているので、比較的耳には馴染んでいるので「これぞ格好が良い英語」と誤認されるのである。とんでもない誤解だ。現にカタカナ語には「「オーマイガー」などというのが出現している。思うに”Oh, my God!”なのだろうが、これぞ汚い言葉の範疇に入るので、「英会話」などで気楽に使ってはならない。品性と知性を問われるだろう。

トランプ氏の品格に欠けた言葉遣いは、一昨日のYM氏との語り合いの場でも話題になった。それは、トランプ氏は少なくともアメリカ有数の私立大学であるUniversity of Pennsylvaniaの出身で、しかもそこの大学院、Wharton Schoolも卒業している言わばエリートの一人のはずである。それにしては、余りにも酷いと言わざるを得ないのだ。彼も私も知る限りのビジネスマンや大学教授等には、彼と同様な言葉を公衆の面前で使う人はいなかったと思うから言うのだ。ヒラリー・クリントン女史の言葉遣いには既に触れたのでここでは敢えて採り上げない。

要するに「如何なる種類の英語を目指すのか」なのだが、どれがどの階層のものかを識別でき出来るようになるのはそう簡単ではない。社員が上司を選べないように、学びたい者が正しく格調の高い英語を教えてくれる人を選ぶこともまたほぼ不可能に近いだろう。私は偶々運が良かっただけだと自覚している。こういう事は何も英語だけに限られたことではない。国語、即ち日本語でも正しく教えていないと、現在のように乱れてしまうのだから。「お里が知れない」ようにならないによく気を付けることだ。