新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

やれば出来たじゃないか

2016-10-12 07:41:30 | コラム
我が代表はやれば出来るじゃないか:

昨夜の敵地(カタカナ語では「アウエー」だそうだ)での対オーストラリアのサッカーは何の期待もせずに静かに見ていようと思っていた。事実、試合開始前にはいくら待っていても何にも閃かなかったのだった。不思議なこともあるものだと思っていると、何と結果は引き分けだったのだ。正直に言えば、既に述べていたように勝つことはほとんど期待していなかったのだから、引き分けは上出来だということになってしまう。それも敵地での引き分けだったのだから良しとして妥協しよう。オーストラリアが相手であれだけ出来て、何でUAEに負けるのかな?

昨夜の前半が終わったところで、ブログには取り急ぎ「やれば出来るじゃないか」としておいたのだ。中盤ではオーストラリアには意図的にキープさせても、トップに入っていた本田を始めとして積極的に動いて、オーストラリアに我が方と同じとしか見えないデイフェンス間でパスを回すだけに追い込んでいたし、こちらの守備陣も早い出足で寄せていったので、敵は完全に攻めあぐねていたのは大変結構だった。

あれほど適確に動けるのだったならば、もっと前の試合からやって置けよと言いたくなってきた。しかし、如何に意図的に中盤を支配させたとはいえ、あれほどの運動量で守備に回れば何時かは体力を消耗させられて失点するのではないかと気になってはいた。だが、前半は持ち堪えた。そして、またもや早めに、しかも前半5分に原口が良く走って本田から出た良いパスを活かして先制点を取ってしまった。「取ってしまった」という根拠は、その後で中々2点目が取れない実績があったからだ。

意外だったのはオーストラリアのサッカーの変貌振り。昨年1月だったか2月だったか、入院中に見たアジア選手権・決勝戦での韓国との試合振りは誠に凄まじい体当たり合戦で、何か異種の格闘技を見せられていた感があったのだった。オーストラリアのサッカーが徐々に日本式(と敢えて言うが)のパスサッカーに指向しつつあるとは認識していたが、昨夜の試合展開を見るとかなりその変化が進んできたと再確認させられた。結果的には、私の目には何がやりたいのか良く解らない未完成の域にあり、主たる武器である粗暴さと乱暴振りは残っていたと見えた。それだからこそ、PKの1点に封じ込められたのではないか。

ところで、我が方である。監督様は「本田が本調子だったならば」と「審判が」などと責任転嫁して恥じないのだから困ったものだ。香川を一試合干して出してみればあのくらいは動けたし、パスも出せていたし、デイフェンスでも奮闘していたではないか。「続けて使えよ」と言ってやりたい。監督の采配の責任だ。但し、CKは不正確だった。本田でも続けて出していれば勘も戻って、6年振りとかいうポジションでも役に立っていたではないか。私は元々本田はあの位置でしか使えないという論者だ。

3試合連続得点の原口は良くやっていたと評価して良いだろう。しかし、未だ使われてこその選手の域に止まっており、中心選手ではないが現時点では唯一頼りになる存在だし、そう遠からぬ時点で中心選手になるだろう。彼が世代交代の第一号で、誰が後に続くかが問題だ。昨夜起用された小林悠は余りに経験不足で絶好の得点機にあの方向にヘデイングしているようでは困る。監督様ご贔屓の浅野は未熟だ。折角のチャンスにあのオフサイドを繰り返す出だしではいけない。工夫すべきだ。

守備陣はオーストラリアに流れからの得点を許さなかっただけでも「良くやった」と褒めておいて良いだろう。あれだけ相手に中盤を支配させる作戦では対応が大変だったと察するが、善くぞ守り切ったと思う。原口が後ろから当たってPKを取られたのは痛恨だっただろうと思うが、守備が本業ではなかった者があそこまで戻ったのでは仕方がなかったとは思う。だが、矢張り軽率の誹りは免れまい。いくら良く守っても、あそこで失点したしまったのが、偽らざる実力だったのだと思っている。次回の自国で開催の試合ではオーストラリアが大きく戦法を変えてくるのではないかという気がする。そこでは2点以上取って勝って見せてくれ。