新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカの会社に勤めて思うこと

2016-10-22 09:59:22 | コラム
名店街に出店していた感があった:

この掲題をより具体的に言えば「ウエアーハウザーという巨大なショッピングモールの中に1区画を借りて、自分の店を張っていたようなものだった」とでもなるだろうか。その店は言わば法人化されていて自分で社長兼CEOでありながら、営業・経理・総務等の全てを担当者として兼務し、全責任を負って運営していると思って」懸命に働いていた。それは、もしも売上高も利益も家主に申告していた線を全うできなければ、何時何時退去を言い渡されるか解らない恐怖と戦っていたのだったから。

昨日も何処のテレビ局だったか記憶はないが、営業担当として採用された若者が所謂ノルマなるものを達成できずに苦しんでいたのだったが、彼が言ったことは「(同じ課の)皆に迷惑をかけている」という反省だった。この辺りが我が国の企業社会(だけに限ったことではないと思うが)の文化である「皆でやっていこう」、「一丸となってやろう」との精神の表れだろうと思って聞いていた。

「遅刻」という制度も我が国の文化であり、少なくともアメリカの会社にはない仕組みだと認識している。何度か採り上げたことだが、アメリカの不動産の自営業の女性社長さんを朝の出勤時間帯の新宿駅に案内した時に、多くの人たちが目の色を変えて乗り換えに疾走して行く有様を不思議に思ったのだろう「何故走るのか」と質問されて「遅刻という制度があって、それが度重なると有給休暇を1日失う制度を設けてある企業もあるので」と説明した。

彼女は始めは理解出来なかったが、遂には「それは良い制度だ。我が社にも規定の出勤時刻に出勤してこない者がいるので、帰国したらその制度を導入しよう」とまで言い出したのだった。ウエアーハウザーの本社にも一応「朝は8時出勤で午後は5時までの勤務」との取り決めはあったが、それはそれとして各人はそれぞれの仕事の事情というか都合で自由に出勤し帰宅していたのが実態だった。即ち、飽くまでも社員の主体性を尊重し、目標達成は自己責任であると言えるだろう。

各人が個別に「職務内容記述書」を事業部長との対話で合意して与えられているので、それぞれの仕事が同じ部門の他の社員と重複することはあり得ないので、譬え目標を達成できていなくとも、そのことが他人に迷惑をかけることにはならないのである。迷惑がかかるのは自分自身で、結果如何では翌年の減俸から甚だしきは解雇まであるのだ。

MM商店とて同様で、何時に開店し(「オープンして」ではない、念のため)当日何時にシャッターを閉めるのかは開くまでも社長の自主的な判断によるのだ。決められた成績を挙げる為には、早朝7時から開店し夜は8時でも9時でも店を開けていれば良いだけのことだ。しかも、その長時間営業の為には如何にして健康管理をするのかも自己責任であり、他人が心配して下さるものではなかった。有給休暇をとること、即ち長期間の休業も自己責任であり、閉めていた間の分を取り戻すのは容易でないのだが、閉めていた間には近隣の商店に迷惑がかかる性質ではないのだ。

このように述べてくれば、如何にもアメリカ式の文化が良いように言っていると解釈されるかも知れない。だが、私には全くその考えも意図もない。「日米相互間にはこれほどの違いがあるのだ」とお知らせしているつもりであるだけのこと。自分には偶々「アメリカの会社とは如何なるものか」とは知らずして飛び込んでしまったのだったが、その文化に何とか適応できて、61歳でリタイヤーするまで何とか勤められたということで、私には日本の企業社会の文化よりも向いていたのである。

即ち、飽くまでも各自が判断すべきことで、アメリカ式には「向き、不向き」があるのだ。そこでは、何でも自己責任で自分の主体性に任されているので、個人が余程強くないと耐えられない場面に屡々出会うだろう。そういうアメリカ式が良いと思えば入っていけば良いと言いたい世界であると思っている。それに「言葉の負担」も結構な重荷となるのも確かだ。