愛社精神と言っても良いことかも知れない:
私は日米間の会社に対する根本的な態度というか姿勢には大いなる違いがあると経験上も考えている。それはアメリカ人の意識では「会社とは単に生活の糧を稼ぎ出す為の手段の一つであり、そんなところに対して忠誠心だの愛社精神を発揮する義理はない」と認識しているところであると経験から学んだのだった。それに会社側も心得たもので、福利厚生などには気を配ることもないのだ。例えば我が国ならば当然用意するだろう転勤者ようの社宅など考えてもいない。それだけではない、社宅など設けることも準備もしないで、住居は社員のリスクでやってくれという姿勢。社食なんてものを作る気配りは経営者側の脳裏にはないだろう。
であれば、海の家だの山荘などを作る訳もなけれ、。「ジムやテニスコート等も使いたければ、自分でクラブに入ってやれよ」と言われるだけだろう。ウエアーハウザー等は偶々本社がシアトル市内から40分もドライブする人里離れた(?)自社所有の言わば森林の中になったために、マリオットホテルが運営する豪華なカフェテリアが設けてあり、朝早くから好き好んで(必要に迫られて?)出勤する者の為に早朝6時から朝食が用意されていたのは、例外的な温情だっただろう。
かく申す私も何と言っても最も大事だったのは自分で、如何にして自分を守るか、即ち”job security”を確保するかが最大の課題だった。それは如何にして与えられた仕事というか課題をこなしていく為には身を粉にして働き尚且つ健康を維持することが最優先で、会社の為に働くことも頭の中には勿論あっても、それは矢張り二の次だったと思う。その次くらいに考えていた。チャンと与えられた仕事を全うできていないと、まかり間違うと、"I don't like you."と上司に言われてアッサリと 馘首される危険性が1%でも残っているのだ。99%も俺がクビになる訳はないと思っていても、何か一寸したミスがあると「失職の危険性」が生じてくる世界。
私自身の17年間の日本の会社の頃のことを思い出せば、確かに雇って頂いた会社の為、同じ部署にいる皆の為にウッカリ過ちを犯してはならない、迷惑をかけてはならないことを非常に重要なことと認識していたのだった。そこには愛社精神も忠誠心も厳然としてあったと記憶する。皆で会社の為に一丸となってやっていくのが当然だと思っていた。遅刻などして課長に叱られないようにしようと懸命だった。アメリカの会社には「遅刻」という概念はない。自己の都合で出勤するだけだから。
そういう我が国独特の企業社会の文化があればこそ、皆で夜遅くまで残って働くのは普通のことという精神というか、心がけがあったのだと、今は考えている。会社の為になろうというようの忠誠心を利用して、長時間の残業をさせても良いとは思えない気もするのだ。
私は日米間の会社に対する根本的な態度というか姿勢には大いなる違いがあると経験上も考えている。それはアメリカ人の意識では「会社とは単に生活の糧を稼ぎ出す為の手段の一つであり、そんなところに対して忠誠心だの愛社精神を発揮する義理はない」と認識しているところであると経験から学んだのだった。それに会社側も心得たもので、福利厚生などには気を配ることもないのだ。例えば我が国ならば当然用意するだろう転勤者ようの社宅など考えてもいない。それだけではない、社宅など設けることも準備もしないで、住居は社員のリスクでやってくれという姿勢。社食なんてものを作る気配りは経営者側の脳裏にはないだろう。
であれば、海の家だの山荘などを作る訳もなけれ、。「ジムやテニスコート等も使いたければ、自分でクラブに入ってやれよ」と言われるだけだろう。ウエアーハウザー等は偶々本社がシアトル市内から40分もドライブする人里離れた(?)自社所有の言わば森林の中になったために、マリオットホテルが運営する豪華なカフェテリアが設けてあり、朝早くから好き好んで(必要に迫られて?)出勤する者の為に早朝6時から朝食が用意されていたのは、例外的な温情だっただろう。
かく申す私も何と言っても最も大事だったのは自分で、如何にして自分を守るか、即ち”job security”を確保するかが最大の課題だった。それは如何にして与えられた仕事というか課題をこなしていく為には身を粉にして働き尚且つ健康を維持することが最優先で、会社の為に働くことも頭の中には勿論あっても、それは矢張り二の次だったと思う。その次くらいに考えていた。チャンと与えられた仕事を全うできていないと、まかり間違うと、"I don't like you."と上司に言われてアッサリと 馘首される危険性が1%でも残っているのだ。99%も俺がクビになる訳はないと思っていても、何か一寸したミスがあると「失職の危険性」が生じてくる世界。
私自身の17年間の日本の会社の頃のことを思い出せば、確かに雇って頂いた会社の為、同じ部署にいる皆の為にウッカリ過ちを犯してはならない、迷惑をかけてはならないことを非常に重要なことと認識していたのだった。そこには愛社精神も忠誠心も厳然としてあったと記憶する。皆で会社の為に一丸となってやっていくのが当然だと思っていた。遅刻などして課長に叱られないようにしようと懸命だった。アメリカの会社には「遅刻」という概念はない。自己の都合で出勤するだけだから。
そういう我が国独特の企業社会の文化があればこそ、皆で夜遅くまで残って働くのは普通のことという精神というか、心がけがあったのだと、今は考えている。会社の為になろうというようの忠誠心を利用して、長時間の残業をさせても良いとは思えない気もするのだ。