新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月25日 その2 小池新代表の記者会見

2017-09-25 15:55:56 | コラム
アウフヘーベン(=Aufheben→止揚)とダイヴァーシテイ―だそうで:

25日14:30からの小池都知事の緊急記者会見を最後まで見てしまった。小池さんにしては珍しく非常に興奮気味で熱の籠もった語り口で、質問者をはぐらかすような姿勢がなかった。それだけ「希望の党」の代表就任について意気込んでおられたと見えた。TBSのゴゴスマでは東海大学の金慶洙教授が「消去法で考えれば、都知事を辞しての国政復帰もあるか」と予想したほど「何の為の会見」かが話題になっていた。

しかしながら、私には小池都知事は既に「松井大阪府知事が維新の代表を兼務されている先例あり」という点に言及していたので、あれが伏線だったのかと納得しながら聞いていた。聞かせどころは数々あったとは思うが、「細野さんと若狭さんが色々やってこられたが、ここでリセット」してだとか「与党になるのか野党かは・・・」と「アレッ」と思わせるような発言辺りがミソかなと思っていた。

私には意気込んでおられた割りには諸々の点で具体性に乏しく、言いたかったことも言わずに含みを持たせた会見だったと思う。何れにせよ、小池さんの外来語の多用には辟易とさせられる。しかも、それを承知の上で「アウフヘーベンが解らなかったら辞書を引いて下さい」と人を食ったようなことを平気で言う辺りは不遜では。ダイヴァーシテイ―だって「ダイヴァーの市」のことではない。「多様性」だ。

念の為に1951年の大学1年生の時に必須科目で何のことか訳も解らずにやっと及第点が取れた哲学用語の「アウフヘーベン」が「止揚」だ位は覚えていたが、広辞苑で引いてみた。これは「弁証法的展開では、事象は低い段階の否定を通じて高い段階へ進むが、高い段階のうちに低い段階の実質が保存されること。矛盾する諸契機の発展的統合」とあった。これでは、あれから66年経っても良く解らないことは不変だ。

そこで、diversity をOxfordで見れば a range of many people of things that are very different from each other となっていた。ジーニアス英和ではあっさりと「相違、差異;相違点」とあった。

多分、「諸々の党から個性ある人々を集めて止揚して優れた政党に仕上げて、何れは政権政党にまで持っていこうという多様性を持たせよう」という大目標を掲げたのかなと解釈することにした。

小池新党?細野新党?若狭新党?

2017-09-25 13:53:25 | コラム
小池恐るべしか、細野恐るべしか?:

去る22日に採り上げたばかりだったが、民進党きっての学者である大塚耕平が、解散の大義名分として挙げた4項目の中に「新党結成のもたつき」があった。また、民進党離党者の中の大物・細野豪志はPrime Newsに出演した際に、司会の反町に無礼とも聞こえた口調で、先の見通しが見えないかの如くである新党結成のもたつきを突っ込まれたされた際に「この落ち着き振りの裏には何があるのか」と思わせられたほど余裕綽々で、顔色一つ変えずに和やかに応じていた。

一方では小池都知事の側近と言われている自民党中途退学の若狭勝も、小池都知事に「しゃべり過ぎ」と批判されながらも、着々と新党結成の準備は進んでいると穏やかに語って見せていた。私には若狭という政治家(なのだろう)には余りに掴み所がない印象しかないので、大塚耕平の指摘は当てはまるのかなとすら考えさせられていた。自民党の大義名の裏面には矢張り「もたつき」も入っているのかとも思わずにはいられなかった。

ところがであり、あに図らんやであるが、党名も綱領もこれからという新党には、中山恭子さんと夫の成彬氏までも合流を打診してきたと、小池都知事が語ったと報じられた。更に、呆れたことに自民党の代議士で現職の内閣副大臣・福田峰之が比例代表の身分にも拘わらず、離党して参加を表明したのだった。評論家の伊藤惇夫によれば、自民党には福田のように次回の選挙で当選が危うくて離党を考慮している者が複数残っているとのことだ。

そういう政治家としての節操の有無は別にして、私はこのような新党結成の動向を見るに付けて、小池百合子という政治家には新党結成という面においてはご当人が「プロやで」と自負して見せたように端倪すべからざる実力があるようだと思うに到った。だが、それは飽くまでもその分野に置いてだけという留保条件は付けておく。それは、私は未だに小池都知事は豊洲移転に関して見せたなもたつきのように、行政面では評価するに足る実績はないと思っているのだから。

しかしながら、先頃の東京都議会選挙で見せたように小池百合子という政治家の「知名度の高さから来る価値の力」は並のものではないと思わせるものがある。問題はその威力が未だ消えていないだろう来たるべき選挙で、どこまで発揮されるかだと思う。そこに細野以下の民進党脱藩組が加わって何処まで相乗効果が出てくるのかだろう。しかし、福田峰之のような比例組が他にもいるようでは、それぞれの選挙区で自民党、公明党、民進党の候補者と何処まで渡り合えるのかが、新党の命運を左右するのかななどと思うのだ。

別な見方をすれば、小池マジックが何処続くのかということとに加えて細野という看板、または若狭という看板がどれほど効果的であるかも重要な要素ではないのか。私にふと閃いたことは「もしかすると、新党に食われるのは民進党であって、自民党は何とか過半数を維持する結果に終わってしまうのではないか」なのだ。報道によれば、民進党からは松原仁までが離党を検討中だという事態だ。

こう見てくると、大塚耕平が挙げた4項目の中では、矢張り「新党結成のもたつき」と言うよりも「烏合の衆を寄せ集めつつある新党」になってしまうのではとも思えるのだ。だが、選挙などという水物は蓋を開けてみるまで解るまいと思う。ところで、山尾志桜里さんは何処に行く気なのだろう。あんなに言い訳ばかりしていては「潔くない」どころではなく「往生際が悪い」という印象だけ残したと思うのだ。