新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月4日 その2 関東大学フットボールのリーグ戦を見に行った

2017-09-04 16:40:05 | コラム
>フットボールを取り巻く環境は余り変わっていなかった:

9月3日は何年振りかで関東大学フットボールのリーグの試合を見に、京王線で飛田給駅の近くある味の素バイタル・スタジアムにまで出掛けていった。急行が止まってくれなぬ不便な駅だが、久し振りに調布まで特急に乗っていった。車窓から見える景色には確かに懐かしさはあるが、東横線や京急線と大きく違うなと思ったことがあった。

それは、京王線には線路の両側に高層のアパートが林立しておらず、東横や京急のような谷底を走っているかのような感じがなかったことだ。京王電鉄の沿線の開発の方式が違うのかも知れないが、調布に近くなるにつれてプラットフォームが地下のようになっていたとは知らなかった。電車には偶には乗ってみるものだと思った。

さて、フットボールだが、お目当ての日大フェニックス対中大ラクーンズの試合開始の2時の遙か前に着いたのだが、意外にもあの狭いスタンドは結構埋まっており、斯道奨励の為には誠に結構なことだと一瞬思った。入場券売り場にいた当番校の学生に「篠竹監督って知っているか」とからかってみれば「知りません」という答えで、時代の変化を痛感。65歳以上は通常は¥1,200が¥800に割引になっていたとは知らなかった。

アミノバイタルの客席は東京FC(サッカーの、である)のホームになっているスタジアムのサブ競技場のようであるので、狭いと思っている。だが、そこは結構埋まっていたとは言ったが、よく見れば相も変わらず、そこにいるのは各大学のフットボール部の父母の会の方が圧倒的だった。それ以外の観客はと言えば、各大学のOB等の関係者で、私のような純粋のフットボール好きは極めて例外的だと感じざるを得なかった。

忌憚なく言えば、大分以前にフットボールの練習法、就中トレーニングの方式が、我が国のあらゆるスポーツの中で最も近代的且つ科学的だと認めてくれた、私が通っていたジムのトレーナーがいた。だが、彼は褒めた後に付け加えた悲しい台詞「ではあっても、フットボールは我が国では未だにマイナースポーツの域に止まっている」が、21世紀の現在でも当たっている気さえしたのだった。

それでも良いじゃないか。試合は一本のタッチダウンとフィールドゴールを争う言わば手に汗握る熱戦で、私が座っていたフェニックスの親御さんたちが声を枯らして声援し、得点する度に肩抱き合って「ハイファイブ」(ハイタッチは誤りのカタカナ語である)で喜び合っていたのだから。私も暫く振りに得点がある度に皆が一斉に歌う日大の校歌が4回も聴けて懐かしさに胸打たれる思いだった。

フェニックスが勝って良かったのだが、私にはもう一つささやかな良いことがあった。それは7月31日に買い求めた格好良い度付きのサングラスを漸く衆人環視の環境で使えるような好天に恵まれたことだった。このまま天候不良が続けば、来年まで待っていなければならないのかと、密かに不安になっていたのだったから。



DPRKが水爆実験

2017-09-04 07:43:26 | コラム
私を不安にさせる制裁と圧力の逆効果?:

3日は10数年ぶりで日大フェニックスのフットボール・シーズンの第一戦を見に、調布の味の素バイタル・スタジアムに行っていた。その観戦のことは措くとして、試合中だったのだろうDPRKが水爆の実験を敢行していた。私はかの国に対するUNの制裁決議だろうと何だろうと、金正恩を阻止できることなどあり得ないと前からずっと今もなお考えている。

私は報じられているように、DPRKと金正恩の狙いがアメリカと対話して核保有国であることを認めさせる一点にあるのだったら、トランプ大統領が何を言われようと、文在寅大統領が「対話、対話」と喚いても、習近平がトランプ大統領の要望に従って(そんなことがあり得るのか?)DPRKを経済的に封鎖しようと、何の効果も発揮される訳がないと密かに危惧していた。

私如きに良く解らないのは、複数の核保有国が、私には無用の長物としか見えないUN如きを使ってまでも、DPRKが核とその兵器を持つことを禁じるか諦めさせようと企てている事なのだ。どう考えても矛盾している気がしてならない。それに、我が国のマスコミ報道を頼りにしていると、アメリカと我が国と韓国がDPRKの暴走を阻止しようと雄々しくも立ち上がっているかのようだが、世界にはDPRKと国交を結んでいる国が160もあり、我が国を含む3ヵ国は国交がなく、寧ろ例外的な存在の如くなのだ。

こんなことを言っている私だって、核兵器が如何に途方もない危険なものだということくらいは十分に認識できている。それを保持しようとしているDPRKを翻意させようとトランプ様が立ち上がられたことも解っている。だが、国際的に見てこれほど重大かつ難しい大問題に対して、国内の不動産業だけで名を上げてこられた大統領は、余りにもその対応に不慣れではなかったのかという不安感を拭えないのだ。

選挙キャンペーン中には「対話しても良い」というようにぶち上げておられたものが、いざ大統領に就任されれば武力による威嚇にも手を染められてしまった。事ここに到って、水爆実験をされてしまうと「ごろつき」呼ばわりに転じられ「対話は通じないのか」と言われた。私は Mr. Unpredictable と呼ばせて頂いたが、それに対して金正恩はどちらかといえば「ぶれる」ことなく核実験まで進んでいってしまった。

プーテイン大統領は制裁等の威嚇は通用しないと警告したとも報じられているし、 DPRK のmissile や核兵器などの技術陣の中心にはロシア人が加わっているとも伝えられている。習近平にしたところで、果たしてトランプ大統領の望む通りに動くかなどは極めて疑問だ。ここまで来れば、6ヵ国協議などと言っていた中の2国はDPRK側に意図的に立っているのではないか。その国が本気で制裁すると思うのか。

このような世界の情勢では、平和憲法を押し頂く我が国にとって重大且つ深刻な危機が何時襲ってくるかなどと考える時、何時までもUNだのSCだの、安保条約による核の傘などに依存して安閑としていて良いのかという疑問が湧いてくる。安倍総理はその辺のことは十分にご承知であっても、我が国として相変わらず「厳重に抗議して制裁と圧力の継続」と言う以外に手段がないのだと考えざるを得ない。

トランプ大統領は「アメリカは100%我が国と共にある」と明言されたそうだが、それが具体的に如何なる意味かを、あの大統領が完全に認識且つ理解して言ったのかも、私には不安に思えてならない。私は考え過ぎだろうか。