Wikipediaで大蔵貢を確認しました:
先ほど「女優を妾にしたのではない云々」と言いましたが、これは確か大蔵貢(1978年9月に亡くなった)の名言だったと覚えておりましたし、古賀政男の「湯の町エレジー」で一世を風靡した歌手・近江俊郎の兄だったはずとの記憶がありましたので、Wikipediaで確認しました。
序でに「湯の町エレジー」も確認しましたが、1948年の大ヒット曲だったので、私の高校1年になった年のことでした。未だに「あの伊豆の山々月淡く~」という歌詞もメロディーもハッキリと覚えています。実際には「2号を女優にしたのだ」とWikipediaにありましたが、高倉みゆきだったとの記憶も蘇ってきました。
しかし、今時大蔵貢だの高倉みゆきだと言って、どれほどの人が承知しているでしょうか。まして、近江俊郎と兄弟だったと言っても何人の読者の方が「そうだったな」と懐かしがってくれるかと、ふと不安になりました。また、あの子供心にも切々と聞こえたギターの伴奏が山本丈晴とは知りませんでした。かの美女山本富士子の旦那なのだが、山本富士子と言って現代に通じるのかなと、ふと疑問に感じました。
先ほど「女優を妾にしたのではない云々」と言いましたが、これは確か大蔵貢(1978年9月に亡くなった)の名言だったと覚えておりましたし、古賀政男の「湯の町エレジー」で一世を風靡した歌手・近江俊郎の兄だったはずとの記憶がありましたので、Wikipediaで確認しました。
序でに「湯の町エレジー」も確認しましたが、1948年の大ヒット曲だったので、私の高校1年になった年のことでした。未だに「あの伊豆の山々月淡く~」という歌詞もメロディーもハッキリと覚えています。実際には「2号を女優にしたのだ」とWikipediaにありましたが、高倉みゆきだったとの記憶も蘇ってきました。
しかし、今時大蔵貢だの高倉みゆきだと言って、どれほどの人が承知しているでしょうか。まして、近江俊郎と兄弟だったと言っても何人の読者の方が「そうだったな」と懐かしがってくれるかと、ふと不安になりました。また、あの子供心にも切々と聞こえたギターの伴奏が山本丈晴とは知りませんでした。かの美女山本富士子の旦那なのだが、山本富士子と言って現代に通じるのかなと、ふと疑問に感じました。