新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

後期高齢者は悩む

2017-09-11 17:48:18 | コラム
京橋の交差点辺りの変貌:

考えなくとも今日は9.11の日だった。丁度10年前には7年振りW社時代の元上司や同僚と会いにシアトルを訪れていた。「あれからもう10年」とは感無量かななどと思っていた。本日はこれも久し振りに床屋さんに行こうかとメトロの銀座線の京橋で降りて何にも気にせずに改札口を出て、大袈裟に言えば、足がすくんだ。目の前の景色は全く知らない地下街だったのだから。

この辺りは最初に転進したM社の事務所があった場所で、およそ2年半ほど親しんだ地区だったのだが。70歳を過ぎた辺りからシルバーパスを利用するようになり、メトロの利用を極力避けるようになっていたので、この駅の変貌を全く知らなかったと気が付いた次第だ。さて、中央通りから10 mほど路地を入った場所にある理髪店には何処をどう歩けば良いのかと一瞬途方に暮れた。恥を忍んで「中央通りは何処ですか」と通行人に尋ねようかとすら考えた。

スマートフォンなどは勿論持っていないのでGPSの助けを借りることもできず、勘を頼りに中央通りを目指して適当に曲がってみれば、嬉しや、そこに明治屋があって方向感覚を取り戻せたのだった。新宿から転じてきていた馴染みの理容師さんも、移ってきた当初は迷ってばかりいたというので、何となく安心できたのだった。

まあ、こんなことは別段珍しい話ではないと思う。ここ数年間、長い間訪れていなかった街、JRや私鉄の駅等で「今浦島」の気分を味合わされて「時代の変化」というか時の流れを痛感させられてきたのだった。小田急の成城学園前駅、JR山手線大崎駅とその周辺、極端に変わりつつある渋谷駅、JR品川駅の南側の出口周辺、小田急線代々木上原駅、東京駅八重洲口辺りと丸の内口周辺等々ではその変化が激しいのか、我老いたりと反省すべきか迷わせられて悩んだものだった。

15日はまた恒例の某商社のファミリーフェアーを楽しみにお台場に行くのだが、あの一帯の変化というのか変貌というのか知らないが、続々と高層マンションが増えていく様子などは時々「こんなに多くの人が移住してくるだろう住宅を建設すれば、上下水道や廃棄物処理等の環境整備は間に合うのだろうかなどと、要らざる心配をしているのだ。都心部にしても、あれほど大型の貸しビルを建てて、入ってくる企業がそれほど沢山あるのか、などとこれも他人の疝気を頭痛に悩んでいるのだ。



幼稚園の同窓会

2017-09-11 07:52:23 | コラム
幼稚園の同窓会:

10日は文京区本駒込(戦前は小石川区駕籠町)の幼稚園で開催された、戦時中と終戦の年までの卒園生の同窓会に出席した。普段は滅多に出席しないのだが、今回は美智子皇后様がご出席との案内に惹かれて出掛けてみた次第だ。午後2時開始とあったが、恐らく警備が厳しいかと予測して1時半頃に到着してみたが、パトカーが1台巡回している程度だった。尤も、遅くなって到着した人たちの話では園の外には夥しい数の頸管がいたそうだ。

皇后様は2時40分頃にご到着となり、卒園年次毎に別れているテーブルにお座りなって、ごく普通に同期生とお話しになっていただけだで、特に皇后様の為の行事はなかった。しかしながら、案内状には出席者はジャケットと襟があるシャツを着用願いたいとあったし、出席していた男性のほとんどがネクタイもしておられ、私もその方が無難かと判断して暑さに耐えて久し振りにネクタイを締めて参加した。

皇后様は静かに同期生とご歓談の後に、3時40分にあらゆる方角に向けて軽く会釈されながらお帰りになった。私は皇后様が在籍されたとは承知していたが、私が昭和14年(1939年)に卒園した後にお入りになり、1年間在籍されたとのこと。幹事の説明ではこれまでに同窓会には5度も出席された由。近くまで寄って拝見した訳ではないが、皇后様のお顔色は良かったと思う。

この幼稚園は六義園の直ぐそばにあり、JRの最寄りの駅は山手線の巣鴨である。私が小学校3年の途中まで住んでいた家も、この幼稚園も戦災に遭って焼失していたので、現在の幼稚園には昔の面影が全くない近代的な耐震建築の建物になっていた。当日の出席者は最年長者が92歳で最年少者が78歳で約90人もおられたのは非常に印象的だった。

4時に解散して外に出ると、通りがかった自転車に乗った青年に「皇后様は未だおられるのですか」と問いかけられたので、3時40分にお帰りなった旨を教えてあげた。近隣にはご出席が予告されていた模様。