日本代表はカナダに負けた:
さして興味がある訳でもなく、マスコミが過剰に持て囃す清宮幸太郎を贔屓にしていないのだが、本9日には何となく早朝6時からこの対カナダの試合を見てしまった。結論から先に言ってしまえば、余り我が代表にとっては芳しくない閃きがあったのだが、現実にその通りとなってしまう不甲斐ない負け方だった。
私が以前から批判してきたように、我が国の野球界では高校野球が精神論的にはその頂点に位して、プロ野球でも1回の表無死走者一塁の場面では決まって2番打者は犠牲バントである。それ故に、プロで犠牲バントの記録を作った選手はその「テイ―ムの為の犠牲精神」が礼賛されるのだ。高校野球で甲子園まで来て、このバント作戦を採らない学校は極めて例外的だ。
しかし、荒削りな素材だけで勝負してきたカナダの18歳以下の少年たちは、解説の古田敦也が指摘したように1、2回と無死で走者を出したが「バントの気配すら見せなかった」のだ。それでも、細かいところまでを集中的に鍛え上げてきた我が国の高校野球の精鋭が集うテイ―ム似勝ってしまったのだった。私は「あーあ」と思いながら、この野球における文化の違いを見守っていたのだった。
カナダの少年たちの野球は極論的に言えば「決めて大雑把」で、内野手の一塁への送球の粗雑さなどは我が国の高校野球ではあり得ない次元の低さだった。基礎が出来ていないという見方も出来るだろうが、基本的には優れた身体能力というか、腕力を活かして一塁の方向に投げているだけだと見た。打者だって同じようなもので、力の限り勝負をしてくるのだった。
投手にしたところで、我が国の元プロ野球の選手だった解説者が常に指摘する「細かいコントロールがある訳ではない」プロの外人投手たちと同様に、相手打者の欠点を狙って投球するのではなく、言うなれば「打つなら打って見ろ」式に自分の持ち球を次から次へと投げ込んでくるだけの事だ。我が国の高校生のようにトーナメントを勝ち抜くべく、多種多様の球種を投げ別けるのではないのだ。
結果的に2点を取られて敗因となってしまった回には、投手が相手打者の長打を恐れたのか、低めへの変化球を投げ続けワンバウンドになってしまい、それを捕手がインフィールド内に弾いてしまった。これは投手が捕りにいくべき球だったが、捕手が出ていった為に本塁ががら空きで三塁走者の生還を許してしまった。私は細かい技巧をまで鍛え上げられてはきたが、所詮は寄せ集めの悲しさで、呼吸が合っていなかったのだと見ていた。
全体的な印象では「この試合に勝てないと上位2テイ―ムに勝ち残れない」との重圧に負けていたのか、要らざる緊張感で動きがぎこちなかったようにしか見えなかった。また、高校生のホームラン記録を更新したと大騒ぎの清宮君だが、私にはヤクルトの山田哲人と何処か似たような星の下に生まれた感があり、「ここぞ」という時には打てない打者のように見えるのだ。
また、ホームランを沢山打つというが、往年の「失投のみをとらえてホームランする」と密かに揶揄されていた原辰徳にも通じる向きがあると思う。私は清宮君は運動神経としては決して万能選手的に優れてはいないと見ているので、もしもプロに行くのだったならば有望新人を育てる技術が劣悪な読売巨人軍だけには行かないことだ。
高校野球は甲子園で勝つ為を究極の狙い(願い?)としているので、あの場に出てくる高校の優秀な子供たちは既に彼らなりの小宇宙が完成している。打者は細かく左右に打ち分ける打法を身につけており、投手は「プロか?」と思わせるほどあらゆる球種を精密なコントロールで投げ別けてみせる。でも、その選抜選手を集めた代表テイ―ムは、未完成で粗雑なカナダに負けてしまった。
更に一言、例によってマスコミ批判をしておきたい。それは最後に出てきた熊本から来た田浦という投手は精密なコントロールでほとんど変化球だけを投げ続け7~8人打者を処理したが、三振ではなかったのが1名だけだった。こういう投手を何処の局のアナウンサーも賛美するが、解説の元横浜高校監督の渡辺元智氏も古田も一言もその点には触れなかった。なぜだろう。
大体からして2点リードされて終盤になってから出した田浦があれほどカナダの高校生を手玉に取れるのだったならば、何故もっと早く出さなかったのだという恨みも残る。だが、私の言いたいことは、高校の頃からトーナメントを勝ち抜く為に細かいことばかり教え込む教育(乃至は練習)方針が理解しにくいのだが。
何度も言ってきたことで、三振を取る為には少なくとも打者1人に3球を投げねばならない。だが、1球で討ち取れれば9回完投しても81球で終わるではないか。高校時代には未だ未だ荒削りで三振か四球かとでも言うような力任せの投球をする、将来プロに行っても大学に進学しても、成長できるような育て方は出来ないものかと思う。いや、出来ないだろう、頂点に甲子園の野球がある限り。
さして興味がある訳でもなく、マスコミが過剰に持て囃す清宮幸太郎を贔屓にしていないのだが、本9日には何となく早朝6時からこの対カナダの試合を見てしまった。結論から先に言ってしまえば、余り我が代表にとっては芳しくない閃きがあったのだが、現実にその通りとなってしまう不甲斐ない負け方だった。
私が以前から批判してきたように、我が国の野球界では高校野球が精神論的にはその頂点に位して、プロ野球でも1回の表無死走者一塁の場面では決まって2番打者は犠牲バントである。それ故に、プロで犠牲バントの記録を作った選手はその「テイ―ムの為の犠牲精神」が礼賛されるのだ。高校野球で甲子園まで来て、このバント作戦を採らない学校は極めて例外的だ。
しかし、荒削りな素材だけで勝負してきたカナダの18歳以下の少年たちは、解説の古田敦也が指摘したように1、2回と無死で走者を出したが「バントの気配すら見せなかった」のだ。それでも、細かいところまでを集中的に鍛え上げてきた我が国の高校野球の精鋭が集うテイ―ム似勝ってしまったのだった。私は「あーあ」と思いながら、この野球における文化の違いを見守っていたのだった。
カナダの少年たちの野球は極論的に言えば「決めて大雑把」で、内野手の一塁への送球の粗雑さなどは我が国の高校野球ではあり得ない次元の低さだった。基礎が出来ていないという見方も出来るだろうが、基本的には優れた身体能力というか、腕力を活かして一塁の方向に投げているだけだと見た。打者だって同じようなもので、力の限り勝負をしてくるのだった。
投手にしたところで、我が国の元プロ野球の選手だった解説者が常に指摘する「細かいコントロールがある訳ではない」プロの外人投手たちと同様に、相手打者の欠点を狙って投球するのではなく、言うなれば「打つなら打って見ろ」式に自分の持ち球を次から次へと投げ込んでくるだけの事だ。我が国の高校生のようにトーナメントを勝ち抜くべく、多種多様の球種を投げ別けるのではないのだ。
結果的に2点を取られて敗因となってしまった回には、投手が相手打者の長打を恐れたのか、低めへの変化球を投げ続けワンバウンドになってしまい、それを捕手がインフィールド内に弾いてしまった。これは投手が捕りにいくべき球だったが、捕手が出ていった為に本塁ががら空きで三塁走者の生還を許してしまった。私は細かい技巧をまで鍛え上げられてはきたが、所詮は寄せ集めの悲しさで、呼吸が合っていなかったのだと見ていた。
全体的な印象では「この試合に勝てないと上位2テイ―ムに勝ち残れない」との重圧に負けていたのか、要らざる緊張感で動きがぎこちなかったようにしか見えなかった。また、高校生のホームラン記録を更新したと大騒ぎの清宮君だが、私にはヤクルトの山田哲人と何処か似たような星の下に生まれた感があり、「ここぞ」という時には打てない打者のように見えるのだ。
また、ホームランを沢山打つというが、往年の「失投のみをとらえてホームランする」と密かに揶揄されていた原辰徳にも通じる向きがあると思う。私は清宮君は運動神経としては決して万能選手的に優れてはいないと見ているので、もしもプロに行くのだったならば有望新人を育てる技術が劣悪な読売巨人軍だけには行かないことだ。
高校野球は甲子園で勝つ為を究極の狙い(願い?)としているので、あの場に出てくる高校の優秀な子供たちは既に彼らなりの小宇宙が完成している。打者は細かく左右に打ち分ける打法を身につけており、投手は「プロか?」と思わせるほどあらゆる球種を精密なコントロールで投げ別けてみせる。でも、その選抜選手を集めた代表テイ―ムは、未完成で粗雑なカナダに負けてしまった。
更に一言、例によってマスコミ批判をしておきたい。それは最後に出てきた熊本から来た田浦という投手は精密なコントロールでほとんど変化球だけを投げ続け7~8人打者を処理したが、三振ではなかったのが1名だけだった。こういう投手を何処の局のアナウンサーも賛美するが、解説の元横浜高校監督の渡辺元智氏も古田も一言もその点には触れなかった。なぜだろう。
大体からして2点リードされて終盤になってから出した田浦があれほどカナダの高校生を手玉に取れるのだったならば、何故もっと早く出さなかったのだという恨みも残る。だが、私の言いたいことは、高校の頃からトーナメントを勝ち抜く為に細かいことばかり教え込む教育(乃至は練習)方針が理解しにくいのだが。
何度も言ってきたことで、三振を取る為には少なくとも打者1人に3球を投げねばならない。だが、1球で討ち取れれば9回完投しても81球で終わるではないか。高校時代には未だ未だ荒削りで三振か四球かとでも言うような力任せの投球をする、将来プロに行っても大学に進学しても、成長できるような育て方は出来ないものかと思う。いや、出来ないだろう、頂点に甲子園の野球がある限り。