落ち着いて技術面を振り返れば:
「買って良かった」との安堵感から、今朝ほどはほとんど批評らしい批評もしていなかった。そこで、漸く落ち着いたので、あの試合の内容を振り返ってみようと思う余裕が出てきた。兎に角、ハリルホジッチ監督があれだけ重要な試合に、国際試合の経験がそれほど豊かではない(比較的に)若手中心の布陣で打って出たのには「博打か」と、一瞬不安にさせられたのだった。
だが、解説の木村和司が繰り返し指摘したように、オーストラリアの中途半端なパス依存のサッカーには「点を取れる形」が出来ていなかったので「これならば何とかなるのか」と思わせてくれた。前半のボール支配率が40%だったのは、ある程度「あの攻め方では怖くない」と見切って、中盤を自由にさせたのかとも考えていた。
そこに、長谷部が復帰していたし、山口蛍と井手口洋介の両名が中盤でも怖めず臆せず競り合いに行って何度か勝っていたので、何時かは点が取れる可能性があるかと思ってはいたが、15年頃だったかの東アジア選手権の決勝で韓国と壮絶な当たり合いをやったオーストラリアが何時牙をむいてくるのかという不安感をどうしても一掃できなかった。
ここまでは長谷部が2度ほど競り合いの中で不用意にボールを取られてしまったような場面はあったし、酒井宏樹が懸命に上がっていくのは良かったが、どうしても前にいる者との呼吸が合わない場面が多く、「何で彼を使うのか」と不満に思っていた。不満があったのはこの酒井くらいのもので、残る10名には文句はなかった。川島などは最も評価していないGKだが、危険なシュートが来なかったのでは問題が生じるはずもなかった。
乾、浅野、大迫、井手口は、本田、香川、岡崎、長友たちの歴戦の勇と比べれば確かに経験不足ではあろう。だが、現時点では未だ怖いもの知らずであるという特徴があるので、大一番で使ってみた監督さんの勇気は評価せねばなるまい。しかも、浅野はあの長友が持って上がるのかと思わせて切り返して中を見ながら上げたパスに見事なタイミングで飛び出した辺りは立派なもので、一瞬何が起きたのか解らない素早さだった。だが、あれは浅野がサッカーの技術が外国に行って上手くなったからと言えばそうではあるまい。彼には一日も早く単なる「飛び道具」から脱却する域に達して貰いたい。
これは全く私的な回顧談だが、私が藤沢四十雀でリクリエーションとしてのサッカーを楽しんでいた頃に、あの井手口が素晴らしいシュートを決めて試合を決定したのと似たような場面で得点したシュートを思い出させてくれた。偉そうに言うと、私は四十雀ではゲームメーカーに徹していたので、あの7年ほどの間に2点しか取れていない。
その2点目があのようにペナルティーエリアの線に沿って右の方向にドリブルしながら、「もうこの辺で蹴れば入ってくれるかな」と思い切って蹴ってみたところが、あの井手口のシュートのように綺麗にほぼ無回転でフックがかかって入ってしまったのだった。自慢話にお付き合い頂いたのは「あの井手口のように思い切りよく蹴る気概」を見せる者が我が代表には少ないので、敢えて自分の例を挙げてまでも、井手口のやる気を褒めたかったのだ。
私は我が代表のサッカーには、失敗か何かを恐れているのか、思い切りの良さが不足しているのだと思っている。折角敵陣にまで入っていっても責任逃れのパスを回しているのでは点にならない。思い切って蹴ってみれば何かが起きるのではないのか。井手口は、あの前にもゴール前のチャンスで低く蹴りすぎてGKに献上してした。脇村春夫元高野連会長は見逃しの三振を嫌った。即ち、「バットを振って球に当たれば何がか起きる」との主張だった。井手口のシュートにもこの脇村君の主張が当てはまるのではないか。
長谷場主将は試合後のインタビューで「W杯本番では今日のような程度では通用しないのでは」という意味のことを言っていた。同感である。あのオーストラリアのような出来損ないのパスサッカーで試行錯誤状態にある国に勝っても、技術的には大した意味はないと思う。しかも、若手は未だこれから世界の厳しさを味合わねばならない時期が来る段階である。勝ったからと言って、誰でも彼でも褒め称えているべき時ではないと思う。例えば、大迫だが、確かに当たられ強くなってポストプレーは出来てはいたが、得点を取れる力は未だしだったと見た。それでは、あそこの置いている意味が薄れる。
未だサウジアラビアとの試合が残っているようだが、そこで若手に更なる経験を積ませるのか、古手との融合を図るのか、ハリルホジッチ監督には課題が残っていると思う。だが、報道によれば、親族に重症患者がいて、進退問題になりそうだとのことだ。彼らの世界の文化では「家族優先」は至極自然なことであるから、要らざる干渉は無用だと思う。古くは家族の病気を理由にしてシーズン中にも拘わらずアメリカに帰ってしまった元MLBの打者がいたではないか。それを我が国では問題にして非難したではないか。
「買って良かった」との安堵感から、今朝ほどはほとんど批評らしい批評もしていなかった。そこで、漸く落ち着いたので、あの試合の内容を振り返ってみようと思う余裕が出てきた。兎に角、ハリルホジッチ監督があれだけ重要な試合に、国際試合の経験がそれほど豊かではない(比較的に)若手中心の布陣で打って出たのには「博打か」と、一瞬不安にさせられたのだった。
だが、解説の木村和司が繰り返し指摘したように、オーストラリアの中途半端なパス依存のサッカーには「点を取れる形」が出来ていなかったので「これならば何とかなるのか」と思わせてくれた。前半のボール支配率が40%だったのは、ある程度「あの攻め方では怖くない」と見切って、中盤を自由にさせたのかとも考えていた。
そこに、長谷部が復帰していたし、山口蛍と井手口洋介の両名が中盤でも怖めず臆せず競り合いに行って何度か勝っていたので、何時かは点が取れる可能性があるかと思ってはいたが、15年頃だったかの東アジア選手権の決勝で韓国と壮絶な当たり合いをやったオーストラリアが何時牙をむいてくるのかという不安感をどうしても一掃できなかった。
ここまでは長谷部が2度ほど競り合いの中で不用意にボールを取られてしまったような場面はあったし、酒井宏樹が懸命に上がっていくのは良かったが、どうしても前にいる者との呼吸が合わない場面が多く、「何で彼を使うのか」と不満に思っていた。不満があったのはこの酒井くらいのもので、残る10名には文句はなかった。川島などは最も評価していないGKだが、危険なシュートが来なかったのでは問題が生じるはずもなかった。
乾、浅野、大迫、井手口は、本田、香川、岡崎、長友たちの歴戦の勇と比べれば確かに経験不足ではあろう。だが、現時点では未だ怖いもの知らずであるという特徴があるので、大一番で使ってみた監督さんの勇気は評価せねばなるまい。しかも、浅野はあの長友が持って上がるのかと思わせて切り返して中を見ながら上げたパスに見事なタイミングで飛び出した辺りは立派なもので、一瞬何が起きたのか解らない素早さだった。だが、あれは浅野がサッカーの技術が外国に行って上手くなったからと言えばそうではあるまい。彼には一日も早く単なる「飛び道具」から脱却する域に達して貰いたい。
これは全く私的な回顧談だが、私が藤沢四十雀でリクリエーションとしてのサッカーを楽しんでいた頃に、あの井手口が素晴らしいシュートを決めて試合を決定したのと似たような場面で得点したシュートを思い出させてくれた。偉そうに言うと、私は四十雀ではゲームメーカーに徹していたので、あの7年ほどの間に2点しか取れていない。
その2点目があのようにペナルティーエリアの線に沿って右の方向にドリブルしながら、「もうこの辺で蹴れば入ってくれるかな」と思い切って蹴ってみたところが、あの井手口のシュートのように綺麗にほぼ無回転でフックがかかって入ってしまったのだった。自慢話にお付き合い頂いたのは「あの井手口のように思い切りよく蹴る気概」を見せる者が我が代表には少ないので、敢えて自分の例を挙げてまでも、井手口のやる気を褒めたかったのだ。
私は我が代表のサッカーには、失敗か何かを恐れているのか、思い切りの良さが不足しているのだと思っている。折角敵陣にまで入っていっても責任逃れのパスを回しているのでは点にならない。思い切って蹴ってみれば何かが起きるのではないのか。井手口は、あの前にもゴール前のチャンスで低く蹴りすぎてGKに献上してした。脇村春夫元高野連会長は見逃しの三振を嫌った。即ち、「バットを振って球に当たれば何がか起きる」との主張だった。井手口のシュートにもこの脇村君の主張が当てはまるのではないか。
長谷場主将は試合後のインタビューで「W杯本番では今日のような程度では通用しないのでは」という意味のことを言っていた。同感である。あのオーストラリアのような出来損ないのパスサッカーで試行錯誤状態にある国に勝っても、技術的には大した意味はないと思う。しかも、若手は未だこれから世界の厳しさを味合わねばならない時期が来る段階である。勝ったからと言って、誰でも彼でも褒め称えているべき時ではないと思う。例えば、大迫だが、確かに当たられ強くなってポストプレーは出来てはいたが、得点を取れる力は未だしだったと見た。それでは、あそこの置いている意味が薄れる。
未だサウジアラビアとの試合が残っているようだが、そこで若手に更なる経験を積ませるのか、古手との融合を図るのか、ハリルホジッチ監督には課題が残っていると思う。だが、報道によれば、親族に重症患者がいて、進退問題になりそうだとのことだ。彼らの世界の文化では「家族優先」は至極自然なことであるから、要らざる干渉は無用だと思う。古くは家族の病気を理由にしてシーズン中にも拘わらずアメリカに帰ってしまった元MLBの打者がいたではないか。それを我が国では問題にして非難したではないか。