新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月1日 その2 オーストラリア戦をあらためて振り返って

2017-09-01 15:49:42 | コラム
落ち着いて技術面を振り返れば:

「買って良かった」との安堵感から、今朝ほどはほとんど批評らしい批評もしていなかった。そこで、漸く落ち着いたので、あの試合の内容を振り返ってみようと思う余裕が出てきた。兎に角、ハリルホジッチ監督があれだけ重要な試合に、国際試合の経験がそれほど豊かではない(比較的に)若手中心の布陣で打って出たのには「博打か」と、一瞬不安にさせられたのだった。

だが、解説の木村和司が繰り返し指摘したように、オーストラリアの中途半端なパス依存のサッカーには「点を取れる形」が出来ていなかったので「これならば何とかなるのか」と思わせてくれた。前半のボール支配率が40%だったのは、ある程度「あの攻め方では怖くない」と見切って、中盤を自由にさせたのかとも考えていた。

そこに、長谷部が復帰していたし、山口蛍と井手口洋介の両名が中盤でも怖めず臆せず競り合いに行って何度か勝っていたので、何時かは点が取れる可能性があるかと思ってはいたが、15年頃だったかの東アジア選手権の決勝で韓国と壮絶な当たり合いをやったオーストラリアが何時牙をむいてくるのかという不安感をどうしても一掃できなかった。

ここまでは長谷部が2度ほど競り合いの中で不用意にボールを取られてしまったような場面はあったし、酒井宏樹が懸命に上がっていくのは良かったが、どうしても前にいる者との呼吸が合わない場面が多く、「何で彼を使うのか」と不満に思っていた。不満があったのはこの酒井くらいのもので、残る10名には文句はなかった。川島などは最も評価していないGKだが、危険なシュートが来なかったのでは問題が生じるはずもなかった。

乾、浅野、大迫、井手口は、本田、香川、岡崎、長友たちの歴戦の勇と比べれば確かに経験不足ではあろう。だが、現時点では未だ怖いもの知らずであるという特徴があるので、大一番で使ってみた監督さんの勇気は評価せねばなるまい。しかも、浅野はあの長友が持って上がるのかと思わせて切り返して中を見ながら上げたパスに見事なタイミングで飛び出した辺りは立派なもので、一瞬何が起きたのか解らない素早さだった。だが、あれは浅野がサッカーの技術が外国に行って上手くなったからと言えばそうではあるまい。彼には一日も早く単なる「飛び道具」から脱却する域に達して貰いたい。

これは全く私的な回顧談だが、私が藤沢四十雀でリクリエーションとしてのサッカーを楽しんでいた頃に、あの井手口が素晴らしいシュートを決めて試合を決定したのと似たような場面で得点したシュートを思い出させてくれた。偉そうに言うと、私は四十雀ではゲームメーカーに徹していたので、あの7年ほどの間に2点しか取れていない。

その2点目があのようにペナルティーエリアの線に沿って右の方向にドリブルしながら、「もうこの辺で蹴れば入ってくれるかな」と思い切って蹴ってみたところが、あの井手口のシュートのように綺麗にほぼ無回転でフックがかかって入ってしまったのだった。自慢話にお付き合い頂いたのは「あの井手口のように思い切りよく蹴る気概」を見せる者が我が代表には少ないので、敢えて自分の例を挙げてまでも、井手口のやる気を褒めたかったのだ。

私は我が代表のサッカーには、失敗か何かを恐れているのか、思い切りの良さが不足しているのだと思っている。折角敵陣にまで入っていっても責任逃れのパスを回しているのでは点にならない。思い切って蹴ってみれば何かが起きるのではないのか。井手口は、あの前にもゴール前のチャンスで低く蹴りすぎてGKに献上してした。脇村春夫元高野連会長は見逃しの三振を嫌った。即ち、「バットを振って球に当たれば何がか起きる」との主張だった。井手口のシュートにもこの脇村君の主張が当てはまるのではないか。

長谷場主将は試合後のインタビューで「W杯本番では今日のような程度では通用しないのでは」という意味のことを言っていた。同感である。あのオーストラリアのような出来損ないのパスサッカーで試行錯誤状態にある国に勝っても、技術的には大した意味はないと思う。しかも、若手は未だこれから世界の厳しさを味合わねばならない時期が来る段階である。勝ったからと言って、誰でも彼でも褒め称えているべき時ではないと思う。例えば、大迫だが、確かに当たられ強くなってポストプレーは出来てはいたが、得点を取れる力は未だしだったと見た。それでは、あそこの置いている意味が薄れる。

未だサウジアラビアとの試合が残っているようだが、そこで若手に更なる経験を積ませるのか、古手との融合を図るのか、ハリルホジッチ監督には課題が残っていると思う。だが、報道によれば、親族に重症患者がいて、進退問題になりそうだとのことだ。彼らの世界の文化では「家族優先」は至極自然なことであるから、要らざる干渉は無用だと思う。古くは家族の病気を理由にしてシーズン中にも拘わらずアメリカに帰ってしまった元MLBの打者がいたではないか。それを我が国では問題にして非難したではないか。


W杯サッカーに出場が決定

2017-09-01 08:02:14 | コラム
オーストラリアに勝って本当に良かった

31日夜のW杯サッカーの最終予選の対オーストラリア戦の勝ち方はとても良かった。実は、何を隠そう、かく申す私はある程度悲観的だったのだ。それは世界にも希なフェアープレーを信条とするサッカーをする我が代表に対して、これまでのオーストラリアのサッカーはアジア太平洋地域では最も強暴で体当たりを武器とする言わば肉弾戦を仕掛けてくるからだった。

しかも、我が代表はこれまでに最終予選では一度もオーストラリアには勝てていないとの実績もあったのだ。しかし、オーストラリアでは近年は監督が替わって、何故か中途半端なパス回しを心掛けるようになってきたので、そこには勝機があるかなとは期待していた。

前半は確かにオーストラリアは60%のボール支配率で得意の?パス回しに徹してきたが、NHKのBSの解説の木村和司は「この戦法で来る限り安心だ」とそのパスサッカーの至らなさを見抜いていたのは心強かった。後半になってからのオーストラリアは1点を追って多少は本来の持ち味である乱暴な辺りには出てきたが、相変わらず「そこでも回すのかよ」と思わせるほど不毛なパスサッカーに固執していたのは意外と言うよりも、良い意味で呆れていた。

昨夜の我が代表の良かった点を挙げていこう。それは何と言っても「世代交代」である。「交替」でも良いかも知れない。事前の新聞報道では本田、香川、岡崎等の古参を使わずに乾、井手口、大迫、浅野等を使うとの予想があったので、長いこと世代交代の必要性を唱えてきた私だが、多少不安があったのだ。しかし、ハリルホジッチ監督の思いきった新世代を中心にした布陣は成功したのだった。

次に印象に残ったのが、細かいパス回しをせずに前に残った大迫、乾、浅野等に言わば縦一発式な「前へ」という積極的な攻め方をしていたことだった。その為かどうかまでは知らないが、これまでに散々非難してきた横→横→後という消極的な後陣のデイフェンスの間での無意味なパス回しがなりを潜めていたのも良かったと思う。大迫もきついオーストラリア当たりに耐えてポストプレーに徹していたのも褒めておいて良いかも知れない。

若手の中でも良かったのが井手口だった。彼は数少ないJリーグ在籍中の選手で、今頃言っても遅いが、私は密かに将来面白い存在になるだろうと期待していた存在だった。だが、申し訳ないことに余りJリーグの試合を見ないので、昨夜ほどやれるようになるほど成長していたとは知らなかった。不明を恥じねばなるまいと反省。同様に、浅野も「タダ足が速いだけでは・・・」とくさしていたので、あの1点目になったデイフェンスの裏を取って飛び出して、長友からのパスに合わせた辺りは出色の出来だったと褒めたい。

オーストラリアに1点も取らせなかった長谷部を中心にした守りも褒めておかねばなるまい。長友、吉田、昌子、酒井宏、山口蛍たちは良くやってくれたと思う。但し、攻めに回った時に酒井と前にいる者との呼吸がもう一つ合っていなかったのは気懸かりだった。乾等の新顔が多かったからだという言い訳は通用しないのではないか。

勝つ時はこういうもので、日頃批判ばかりしている私も正直なところ、手に汗握る思いで「閃き」などに依存せずに、ただひたすら勝ってくれと思って見ていたし、またその通りになったのは「誠に欣快に存じます」だった。予選は未だ一試合残っているが、これから来年の本番に向かって、長谷部主将が試合後に語ったように、あの場にいた者の誰一人としてロシアに行けると決まっていないのだ。

何やら私的な事情があるかのようなハリルホジッチ監督が来年まで指揮を執るか否かが急に不明になったかのようだが、新時代の精鋭で押していくのか、前回までの経験者の経験をどのように活かしていくかが大きな課題となるだろうし、あの23名以外が何処まで成長するかも見所だと思う。何しろ、W杯の本戦ではオーストラリアどころではない強敵がひしめいているのだから

それにしても、オーストラリアは何故あそこまで未完成なパスサッカーに拘泥したのだろう。何故、37歳のケーヒルに拘るのだろう、ハリルホジッチ監督が世代交代の手を打ったのに。