新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

敢えて再度「英語の話」を

2018-04-02 17:11:35 | コラム
音読・暗記・暗唱:

正直に言えば、私は① I read a newspaper every day.② I am reading a newspaper every day,もそれで通用するだろうと思っています。だが、答えは一つという我が国の英語教育の中では何れか一方を選んで正解として答えねばならないのでしょう。

この縛りの中で「科学としての英語」を数学のように教えて点数を付けていくのが我が国の学校教育における英語の特色ですから、こういう設問が出てくるのも不思議ではないと思います。

私は中学生の頃に何の理屈も理論的な裏付けなとなく、そういう勉強の仕方を避けて、学校で何を教えられようと最も楽な勉強の仕方であった「音読・暗記・暗唱」だけをやっていました。その勝手なやり方でも何故か正しい言い方と表現がいつの間にか身に付いていたのです。

より具体的に言えば、旧制中学から大学の教養課程までの間に、英語の試験で90点を切ったのが2回しかなかったというところに到達していました。勿論、その間には大学受験を控えて佐々木高政氏の名作「英文構成法」で英作文の勉強もしたことがありました。この本で学んだことの効果は絶大で、既に採り上げた日系人のMBAには「英文を書く基本は出来ている」と認めて貰えました。

「音読・暗記・暗唱」に走ったのは「単語カード」だの「単語帳」だの、「英文和訳」だの「英作文」だの「文法」などは面倒だからと手を出さなかったずぼらでもありました。そういう先生から見れば不真面目な生徒だったにも拘わらず、気が付けば高校の頃には「文法の達人」と周囲にも認められたのでした。そう言う域に達したのが、偶然だったのか、そのずぼらな勉強法が良かったのかなどは知りません。

しかし、大学に入って私などは到底及ばない凄い英語力を持った同級生に出会って、恐る恐る高校までの英語の勉強法を尋ねてみれば何と私と全く同じだったのでした。彼は私とは違って全科目に優れていたので、3年になった時に大学の推薦で米国に留学に出て行きました。ではあっても、私の勉強法が誤りではなかったことが立証されたので、大いに意を強くした次第でした。

一つ、私が彼とも他の学生とも違っていた点がありました。それは終戦後直ぐからGHQの日系人の秘書の方に「英語だけで考える事」と「英語だけで考えて英語を話す事」を言わば強制されたことが大きな助けになっていたと言えるでしょうか。

私は大学の卒業を目の前にして「英語で仕事をする会社にだけは行きたくない」と固く心に決めていました。それは仕事で英語を使う事が余計な負担になるからと考えたからでした。また、アメリカの会社に変わることなど夢にも思ったことなどありませんでした。それが偶然の積み重ねで17年もお世話になった会社を離れて39歳にして移ってしまいました。それは英語が出来るからではなく「能力を買われた」と自分に言い聞かせていました。



再び「英語の話」を

2018-04-02 09:36:01 | コラム
続英語の話:

昨1日に採り上げた「英語の話」でPresident誌に掲載されていた例文として「①I read a newspaper every morning. と ② I am reading a newspaper every morning. というものだった。さあ、貴方ならどちらを選びますか。」を採り上げた。

実は、正直に言えばこの「英語の話」ではアクセスは伸びないだろうと予測して実際に低調だった。その原因の一つだろうと反省している点がある。それは何故このような二択の問題が出てくるのかという点に触れていなかったので、焦点がぼけたのだと思っている。

それは、我が国の学校での英語教育の問題点である「答えは一つ」的な英語を教えていることが良くないのである。正解せねばならないという言わば強迫観念に束縛されて「間違うまい」か「兎に角文法通りに話そう」といった点にばかり神経を集中してしまうのだ。即ち、「合格点を取ろう」という話し方になってしまうのだ。

私は我々との交渉の席に臨まれた方々が懸命になってその枠内で覚えておられた限りの単語をつかって文章を構成され、兎に角文法の枠内で語ろうとされた例に数多く出会ってきた。しかも、日本語の思考体系で考えられた文脈に沿って英語にされているので、相手の立場に慎重に配慮されたり、時には妙な遠慮があって相手の顔を立てることにも気を配られて、何時まで経っても問題の核心に触れてこないことまであった。

そう言い気配りの結果として、一所懸命に述べられたことを聞いたアメリカ人乃至は外国人が「何時まで経っても議論の核心から離れたところをぐるぐると回っているだけで、何が言いたいのか明確ではない」と首をかしげる事が多かったのだ。ここには、彼らアメリカ人が日本式の思考体系と奥床しい配慮を十分に認識できていないこともあって、相互に意思の疎通が上手く行かない事態になってしまったのである。

少し本題から逸れたが、「答えは一つ」に束縛されるなとは言ったが、例え正解ではないかも知れないことでも、兎に角言っておかないことには話は前に進まないので、度胸を決めて言いたいことを言っておく必要があるのだ。でなければ、「これぞ正解」と思える文章を音読なり何なりをして記憶しておくことだ。その手段としては「あの時あのアメリカ人はこう言ってこのことを表現した」というような例を可能な限り沢山覚えておくことだろう。

その場合にそのアメリカ人がどのような階層に属しているかの判断が出来る必要がある。大手企業の副社長以上の人ならば模範として見習っても先ず間違いはないだろう。だが、私ならばトランプ大統領の真似をする気はないとだけは申し上げておく。