新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月25日 その2 絞り出すような声だった:

2018-04-25 10:13:56 | コラム
絞り出すような声だった:

衣笠祥雄氏が急逝されたとの報道を見て非常に驚いたのだった。と言うのは亡くなられたという数日前にTBSで野球の解説に登場されていたのを聞いていたからだった。しかもその時には一聴誰の声かが解らなかったほど変わっていたし、明らかに無理をして語っていることが明白だったからだ。

だが、私はその声音がそれから数日後に亡くなられるまでの状態のものとは気付かなかった。風邪でも引かれて喉を痛められたのかくらいに解釈していた。アナウンサーはそれと承知していたのかどうかは不明だが、それなりに配慮したのか、専ら牧原に解説させていたようだった。

それにつけても思うことは、鉄人と言われた衣笠氏は自らに与えられた使命を果たすべく解説に登場されたのだろうが、その真剣さと勇気と努力には敬意を表さねばなるまい。恐らく余命の告知を受けておられただろうガンを抱えた体で解説に挑まれたとは、それとは知らずに聞いていた方が申し訳ない気さえしたのだった。そこまで「神様が野球を与えて下さった」事に感謝して身を捧げられた衣笠祥雄氏にはあらためて敬意を表するとともに、ご冥福を祈りたい。

体力の限界に挑んでしまった

2018-04-25 09:55:02 | コラム
何処に行っても外国人だらけ:

23日の午後12時半から一泊で新宿から箱根湯本を約24時間で往復してきた。その間に小田急電鉄の車内に座っていたのが合計3時間強、夜の宴会と翌朝の朝食で食事が2回、入浴が旅館到着後と翌朝の2回という具合で、それ以外の時間は同宿の級友と国会がろくに機能していない世相を嘆き、皆の長命を祝って懇談と大いに楽しんできた。

兎に角、何処に行っても相変わらず中国人を主体とした外国人が多いのは、今更ながら印象的過ぎた。特に箱根湯本駅からの旅館を巡回するバスに後から後から乗ってくるのは外国人ばかりだったので、運転手さんも懸命に「旅館名を言って」と英語で対応していた。一泊した旅館でもフロントデスクの係員たちはチェックアウトでも懸命に英語で対応。土産物売り場では若い中国人の女性が二人で大声で喚きながら何を買うべきか(だったのだろう)相談中だった。パック旅行ではなく言わば高級な旅館に泊まるとは、中国の若者は裕福なのかと驚かされた。

箱根は外国人に人気とは承知していたが、あれほど多くの外国人がいるとは想像以上の出来事だった。我々が泊まった旅館でもエレベーターに乗り合わせた若き男女二人組はベルギーから来ていたそうだった。私は体調を考慮して往復とも多額の投資(?)をしてロマンスカーにしたが、この電車にはほとんど中国人も欧米人も見かけなかったのは何故だろう。

小田急で小田原経由で湯本を往復したのは初めての経験だった。久しぶりに小田急の車窓から見る小田原線沿線の景色は大いに変化していたのは非常に印象的だった。先日も藤沢市の市民病院の最上階から見た言わば丘陵地帯に大多数の住宅が密集して増えていたのには驚愕したものだった。小田急沿線でも厚木を過ぎた辺りから両側の丘陵地帯がこれでもかと開発されたのだろうが、山とは言わないが両側の丘陵には樹木が見えないほど無数の住宅が建っていたのには、その10年ほど前との比較では恐れ入るだけだった。あれでは小田急電鉄が複々線化して輸送力の強化を図る訳だと納得した。

そこで、私自身の体力だが、未だに気象病というかそこから派生した自律神経失調症から脱出しきれずにいるので、この一寸した強行軍ではどうなることかと不安だった。だが、何とか無事に新宿の我が家まで辿り着くことは出来た。しかし、それからが矢張り大変で、昼食を摂った後はグッタリとなって夕食の時間までまで休養せざるを得なくなっていた。級友(旧友?)の中には予め体力が持つまいと予測して不参加だった者が数名いたが、これはもしかして賢明な処置だったかも知れないと感じたほど体力は消耗していた。

ではあっても、高校卒業以来会えていなかった数名の同期生に会えたのは有り難いことだった。中には「また生きて会おうではないか」と言って別れを惜しんでいた者もいた。それにしても、体力の限界に挑んでしまったかも知れない楽しくも厳しい箱根湯本湯本一泊旅行だった。