新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私が考える日本語の問題点

2018-04-27 15:56:52 | コラム
新日本語は劣化なのか時の流れなのか:

1970年頃だった、未だアメリカの会社に転じる前のことで、韓国の中小規模の財閥のオウナーのご子息で、UCLAに留学中だったK氏と語り合ったことがあった。彼はかなり正統派の英語を話していたが、その話題の中に言葉の変化があった。彼は誇らしげに「私が話している韓国語が最も現代的で、時代の最先端を行っている」と言った。言葉とは時代とともに変化していくものだったかとあらためて思い知らされた感があった。

その「時代とともに変化する」という現象だが、私は現在我が国に現れて、気が付けばその傾向が著しくなった新日本語がカタカナ語の乱用とともに形成されているようだと考えている。カタカナ語の氾濫もその要因の一つで、私には日本語を劣化させているように思えてならない。即ち、私は良い傾向だとは思っていないのだ。そこで、その中から思い付くままに悪いだと思っているものを採り上げてみよう。

カタカナ語の濫用と誤用:
先ほども歴史的な出来事である板門店でのROKとDPRKの首脳会談の開始の前に文在寅大統領と金正恩委員長が手を繋いで境界線を北の方に言わば戻った際にTBSはしつこくこの予定されていなかった行動を「サプライズ」だと強調した。彼らは「驚きの」か「以外」か「予定されざる」か「予想していなかった」などと言いたい時に必ずと言っても良いほど「サプライズ」を使う。私はこういう軽佻浮薄なカタカナ語の使用を嫌悪する。

何故、素直にsurprise本来の典型的な意味である「驚いた」か「ビックリした」と言わないのかと腹立たしいのである。Oxfordには最初に an event, a piece of news, etc. that is unexpected or that happens suddenly とある。即ち、「予期せざる出来事で両首脳が手を繋いで云々」と言えば良かったものを格好つけて「サプライズ」とするのだ。

これなどはほんの一例だが、近頃のテレビを始めとするマスメディアのカタカナ語の濫用にはウンザリである。彼らには最早「揉め事」や「故障」や「乱れ」という漢字は存在せず、何でもかんでも「トラブル」なのである。

何度でも同じ事を指摘するが、このようなデタラメなカタカナ語を使っているメディアがありながら、小学校3年の児童に英語を教えようなどと戯言を言うお役所があるのだ。官僚は先ずマスメデイアに「カタカナ語の濫用を禁止」することから入って貰いと思う。

「1000円からお預かりします」:
これはどう考えてもおかしいのだが完全に戸籍を得ており、多くの小売店に普及している。これでは「1000円以上を預かります」という意味のようでもあるが、私は「1000円頂戴します」と「1000円お預かりします」が何処かで混同してこのようになったと推理している。これでは意味不明だが現実的に普及している。老爺化した私はこう言われて何度か店員をたしなめたことがあった。

こういう言葉を何の疑問にも思わずに使う多くの販売員たちの常識の欠如と感覚が情けないのだ。しかも、聞くところではこういう仕事をしているのはアルバイトの大学生が多いようで、ますます情けなくなる

「~になります」:
と言って料理屋で(スタッフが)料理を運んでくるのも今や普通のことだ。恐らく某通信社が作ったと聞く「用語ハンドブック」と同様に、「スタッフの用語マニュアル」でも出来ているのかと半ば本気で疑っている。これも立派な新日本語だと思う。「それでは、今は何なんだ」と突っ込むのが陳腐なギャグもあった。「~で御座います」か「~を持って参りました」辺りが旧来の日本語だろう。私は可能ならば、その用語マニュアルを書き換えたいと思うのだが。

これらは新日本語のほんの一部に過ぎないのだと思う。だが、「悪貨は良貨を駆逐する」という言い慣わしが示すように、新日本語は瞬く間に間に普及する。私はこの現象は持論である「言葉は耳から入るものが最も良く定着する」の典型的な例だと思っている。それと同時に、国語教育の劣化が手伝っているのではないかと疑っている。

そこには、ガ業の鼻音化が出来るアナウンサーが珍しくなってきたことの上に、彼らが使う言葉が怪しげになっただけではなく、テレビ局が使うタレントやら芸人たちがこの手の奇妙な新日本語を乱用することも大いに負の貢献をするからでもあるのだと信じている。そこに「スタッフ」や、何でも「トラブル」で括ってしまうカタカナ語が無限に広まっているのだから日本語がおかしくなるのだ。

私の結論を言えば、新日本語とは日本語の劣化だと思っている。