新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

4月5日 その2 2018年3月の新宿の人口:

2018-04-05 08:53:48 | コラム
18年3月の人口は対前月比0.09%減少して342,258人となった:

毎月同じようなことを述べているのは誠にはかないことだが、昨日も大久保通りの山手線新大久保駅の北側を歩いて、何故これほどまでに非白人系の外国人が大手を振ってでなければ、我が物顔に何の不安感も見せずに歩き回っているのかと思わせられた。繰り返しになるが、我々は完全に少数民族なのである。また同じ事を言うが「政府や東京都や区役所は拱手傍観するしか出来ないのだろうか」と思わずにはいられない。

2月と先月には何年振りかで百人町/大久保通りを探訪に来られた、同じ新宿に住む90歳の長老は「噂に聞く新大久保の無法地帯をじっくり見学、大いに社会勉強になった」との感想を寄せられた。また、何年振りかで俗称文化通りを歩かれた国際法学者の先生はイスラム横町を初めて視察されて「最早この街の猥雑化はは不愉快を通り越している」と嘆いておられた。私は最早何も感じなくなってしまったが、このような傾向が「我が国が外国人に侵食されていく姿の将来を暗示する以外の何物ではないだろう」と悲観的に捉えている。

大声で喚きながら、と言うか彼らの地声だろうが、動き回っているのは相変わらず中国の若者が他国を圧倒して多く、それに続くのが暗い表情にしか見えないのが特徴であるイスラム教圏内の者が多いのである。毎回同じ事しか言えないが、業務スーパー「河内屋」では四六時中異邦人が大量に買い込んでいく勢いには「この店は何の為に、誰の為にあるのか」と疑問に感じてしまう。「売れさえすればお客が誰かは問題ではないのか」とすら思う。

外側は八百屋風のハラルフードの店は大久保通りにも廃業した米屋等の日本人相手の店舗を活かして営業しているし、それなりに繁盛している。ということは、それだけこの近辺に居住するイスラム教徒が増加している事実を示しているのだろうが、政府発表の統計ではバングラデシュやパキスタンからの流入人口が増えているとは出ていない。トランプ様はイスラム教徒の移民を拒絶されたが、我が国では何らの手は打たれないのか。


3月には区全体の人口は306人減少して342,258人となった。その中で日本人は113人の増加で、300,088人となっていた。外国人は419人の減少で42,170人となり、彼らが総人口に占める率は12.3%と対前年比で微減だった。この12%台の外国人率はここ数ヶ月間を通じて不変である。

百人町/大久保界隈を東京都内どころか都外から買い物目的で訪れるイスラム教徒は多い。ハラルフードはここまで来ないと入手できないのかと、些か不思議に思っている。彼らは居住者なのだろうが、それとも観光客?彼らに優雅に我が国を観光する経済的余裕があるのだろうか。如何なる資格で来日し、長期滞在しているのだろうか。

私はアジア系という表現を用いているが、その中でも圧倒的に多いのが中国人である。区内に居住する外国人の中でも中国人が第1位を占めている。その大半は若者で新大久保駅とその周辺に未だに新設されつつある日本語学校に通っている者が多いと見ている。彼ら若者が日本語の勉強をするのは本当に週28時間だけアルバイトをする為なのだろうか。それとも帰国してから日中友好関係か対日貿易の仕事でもする気なのかだろうか。まさか!!

私は我が国が外国人に対して甘過ぎるというか、政府は余りにも無秩序に外国人観光客の誘致に入れ込み過ぎていると批判したい思いだ、換言すれば、余りにも無防備ではないかとすら危惧している。先進国ではないところから若者を幾ら観光客として招いても、我が国の経済には何らの貢献をする訳がないと断じたい。政府には少しはこう言う負の面を考慮して貰いたいと思う。トランプ大統領は何処の国を指すのか知らないが、「我が国を長い年月利用してきた」と言っておられた。我が国にもこれと同じ事を言う順番が回ってきているのではないか。

参考資料: 新宿区広報しんじゅく 平成30年4・5

選抜高校野球の決勝戦

2018-04-05 07:39:25 | コラム
大阪桐蔭のものだと予想していた:

昨4日は情けなく且つ悲しいことに、折角暖かくなったにも拘わらず気象病の延長線上にあるかのような症状が出て、何とかジムまでは普段ならば10分の距離を15分ほどもかけて歩いて行った。そこではある程度以上体を動かせたが、風呂にユックリつかっても思っていたほどには復調しなかった。その怠さというか気分爽快とは言えない体調で、昼過ぎからは高校野球の決勝戦を眺めていた。いや、それくらいしか出来なかった。

話は本筋から外れるが、試合終了後直ちに掛かりつけのSクリニックに向かって然るべき治療を受けたので、今朝は言うなれば快調で気分良くこの高校野球論に着手できた次第だ。だが、本日のこの気温が再び10度台に戻った天候では何が起きるやら、少しだけ不安が残っている。

大阪桐蔭と智弁和歌山の両校の野球を見ていて気分が良かった点は、この両校の指導者が明らかにトーナメントで勝ち上がる為の小細工をする野球、換言すれば私が長年「高校野球の全国大会を辞めてしまえ」と主張し続けた根拠にしていた点がほとんど見えなかったことだ。私は「両校の監督はともに決勝戦であっても『ノーアウト、走者一塁でお定まりのバント』という手を打たず、好機が来れば果敢に打たせていく作戦を採ってくれた点が良かった」と言いたいのだ。

智弁和歌山の積極性は認めるが、あの無死満塁の好機で打者が余りにも無造作に打って出てピッチャーゴロだったのが、見ている方でさえ悔やまれた。その後で何とか2点は獲れたので「無死満塁は点を取れにくい」との俗説は打破した。だが、私に言わせて貰えば「あの場面で2点に終わったのは禍根を残す」結果だったのだ。

その裏に大阪桐蔭も同様な好機を得て打って出て、ダブルプレーになりそうなサードゴロとなったのに、智弁和歌山の二塁手が落球したところで、「弱い方が負けるのだ」という野村克也の説を見事に証明する結果になるだろうとの結論に達し、「勝負あった」と判断した。「失敗をした方が負けるのが勝負の大原則である」を絵に描いた失策だった。

私は大阪桐蔭が前日に100球近く投げていた根尾君に連投させ且つ完投させたのは「勝つ為」には止むを得ない作戦だと思うが、年来の主張からすれば「そうあってはならないこと」と敢えて再度断じておきたい。この点は主催者である朝日新聞と毎日新聞が過去を反省して規約を変える勇気を出さない限り続くだろうと思う。言い方を変えれば、遺憾ながら「変わらない」と予測するが。

根尾君は私の目には「身体能力が断然優れた内野手が間に合わせで投げている」ようにしか見えない非本格的投手だから良いかも知れないが、決して推薦したくない起用法だし、短期決戦のトーナメントで勝つ為の手段だったと思っている。高校生の将来を考えたら、何時かは、いや即刻辞めるべき手法だ。