新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

この世の移り変わり

2018-04-23 09:21:07 | コラム
知らない街の如くだった京橋地区:

21日の夜にテレビ東京の「アドマチック」だったかが東京の京橋(大阪にも全くアクセントが異なる京橋がある、念の為)を特集するとあったので、最初に転進したM社で1972年8月から75年1月まで過ごして多少馴染みがあった京橋地区がどのように変化したかを楽しみに見ていた。因みに、京橋には昨年から馴染みの理容師が移籍した関係があって偶には行くが、地下鉄銀座線の京橋駅の変貌についていくのがやっとで、街の変化を探訪するまでには至っていなかった。

番組を見終わって今更ながら驚かされたのが、採り上げられた20件のうちで入ったことがあるかその存在を承知していたのが明治屋、シェイノー、西勘くらいのもので後はほとんどが平成になってから現れたか、開業したものばかりだった。そこで考えたのが、2年半ほどを過ごした京橋界隈で何処で昼食を摂っていたかということだった。それが全くと言って良いほど思い出せないのだ。僅かに行ったかなと思ったのが、大阪から進出してきたうどんすきの「美々卯」だが、ここは何と番組では20件のうちに入っていなかった。

陳腐な言い方だが、この番組の1時間ほどの間に「時代の変化」と言うか「時の流れの速さ」を思い知らされたのだった。兎に角、時々ここ新宿区百人町界隈を離れて東京都内の何処に行っても知らなかった高層建築ばかりだし、知らない店ばかりで驚かされるが、驚きはそれだけに止まらず、JRだろうと私鉄だろうと、駅の構造というか建物の変化というのかレノベーションなのか知らないが、何処をどう歩けば良いのか解らずにウロウロするだけだ。

昨日も実弟の見舞いで藤沢市に行ってきた。ここにも前後40年ほど住んでいたのだが30年前に離れて以来の変化で、知らない建物と店ばかりになっていて「俺は本当にこの街で中学・高校の6年間を含めてお世話になっていたのだろうか」と言いたくなるほど「知らない街」と化しているのだ。藤沢は戦災にも遭っておらず昔の宿場だった頃の好ましからぬ遺産でか、JRの駅を中心に道路が細く細かくうねっているので交通渋滞も激しく、不便なところだなと痛感させられるのだ。

東京都内にしても、3.11以降耐震建築が大きな問題となったので、方々でビルの解体や新規の高層建築が林立して所謂 landmarkだった建物が消滅したりして、解り難い街になってしまった繁華街が増えた。これが時代というものだろうが、その変化は何も街中だけに止まらず、2003年にPCを導入してやっと時代に少しだけ追い付いたかと思えば、今度はスマートフォンだのアマゾンだの新たな脅威が現れてしまった。W社の19年を過ごした青山ビルも再開発とやらで解体されるらしい。

今更、時代の急激な変化にどのように対応すべきかと考える時もあるが、無駄な抵抗はすまいと思うことの方が多い。携帯電話にしたところで毎月の受信・発信は精々両方で7~8回である。スマートフォンならばそれ以外に無数の機能があると言われそうだが、それならば年齢不相応な巨額な投資をしてきたPCで十分だ。これでも超後期高齢者としては時代に十分に追い付いていると密かに自負しているのだが・・・。