核心を突いていないマスコミ報道:
サッカー協会のハリルホジッチ監督の解任も大きな問題だしニュースだろうが、レスリング界の栄和人氏が巻き起こした「パワハラ」なる問題も、私は負けず劣らずの大きな事件だと思っている。その大きさの大部分はマスコミの「パワハラ」のみにとらわれた見当違いの報道姿勢にあると言いたいのだ。
この件では、ある社会人リーグのコーチと監督の経験者の意見を聞く機会があり「監督などという立場を経験したから、栄なる人物があのような態度に出るというか、あのようなパワハラなどと決めつけられるような発言をしてしまった気持ちは良く解る」と聞かされた。お断りしておくが、この発言は栄和人を容認していないし、擁護するものではないのだ。
経験して見なければ解らないことだが、どのような競技種目でも大学の一部リーグに所属するか社会人リーグの一部のテイームで監督をやってみれば、その権限は「アアメリカの企業社会の事業本部長が持つ権限である営業・経理・人事・総務・生産等に言うなれば強権までが加わった」と言っても良いほど広範囲に及ぶのだ。しかも、運動部乃至は体育会という組織は会社などとは比較にならない年功序列が重んじられる世界なのである。私はマスコミの連中はそういう体育会の在り方乃至は歴史と伝統を知らぬはずはないと思っている。知っていて「パワハラ」だけを採り上げたのでは片手落ちも甚だしいと断じる。
思うに、栄和人氏は監督であるだけではなくレスリング協会の強化本部長という途轍もない権限と地位を与えられた結果で、天上天下唯我独尊というような気分になってしまい、自らの地位と権限を良く理解できていないままに言わずもがなのようなことを言っただけではなく、行動にまで出てしまったのだろうと思って見ている。言うなれば「錯覚」乃至は「激しい思い込み」に走った浅慮な人物ではないかと思いたいのだ。
彼がやったことを奇妙なカタカナ語に集約して報じたのでは問題の焦点がボケたのも仕方がないと思っている。私は「あの問題はパワハラなどではなく、監督やコーチの権限の問題であり、上意下達の体育会制度から生じた浅慮な男が起こした事件だと思うべきだ」と考えている。だが、マスコミは自分たちが創り上げた(のかも知れない)「パワハラ」というカタカナ語に酔いしれて、問題の核心を誤ってしまったと見る方が正確だと思っている。
私はマスコミは何故「栄和人なる人物がどれほど一般社会の常識を備えておられたか」を問題にしないのかと奇異に感じている。彼に自らを律する常識があれば、「俺に前で良くレスリンが出来るな」というような言動はしなかったのではないかと考えている。これはパワハラなどではなく思い上がりか非常識であるだけのことだ。記者の連中にも体育会経験者だっているだろうから、そこで体育会という狭い世界の中で何が起きていたかくらいは採り上げることは出来たと思うのだ。
私は(また同じ事を繰り返すかと言われそうだが)日大フェニックスが故篠竹幹夫監督の下にライスボウル3連覇を成し遂げるまでの5~6年ほどをつぶさに見る機会があった。そこでの篠竹監督の言動にも接してきた。篠竹監督のその厳しい指導ぶりは広く知られていたと思うが、如何なる場合でもパワハラになるような非常識乃至は浅慮な発言などは聞いた記憶がない。厳格な指導者としてグラウンドの一角からジッと練習を見守っておられるだけの威厳に満ちた監督だった。
栄和人前強化本部長が志學館大学の監督として立派な業績を残されたが、そこには篠竹監督のような長期に及ぶ部指導者の経験もなく、指導者は如何にあるべきかという視点が欠落していたのではないかと思っている。そう言えば良いものを「パワハラ」などという形に凝縮してしまった為に世間の注目を必要以上に浴びる結果となっただけではなく、協会という狭い世界に閉じこもっている選手上がりの組織の非常識がもたらした問題にも切り込めなかったマスコミを批判して終わりたい。