新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

テレビ報道の影響に思う

2018-06-03 17:42:30 | コラム
フェニックスと日本大学はそれほど悪者か?:

昨2日には実弟の見舞いに行ったのだが、未だ気管切開のままなので暫く筆談をしてきた。その際に痛感したことは情報源がテレビ報道にほぼ限定されている入院生活であれば連日連夜「これでもか」とばかりにフェニックスのみならず日本大学という組織そのものをあのような調子で報道されれば、3月初旬から病床にある者にとってはこの両者が極めて悪しき存在のように捉えられていたことだった。

病人は往年は黄金時代の、慶応大学のサッカー部に所属していたのだから、運動部というか体育会とは何かを十分に経験して理解しているはずなのである。そういう人物でさえあのように各テレビ局が体育会の経験はない評論家や俗に言う有識者の他に、フェニックス以外のフットボール部の経験者を集めて聞いた風なことを語らせ続ければ、あのようにフェニックスも日本大学も「悪いのだ」と思わせられてしまうのだと、今更ながら音声媒体の恐ろしさを思い知らされたのだった。

そこで、テレビに登場する方々が間違っているとまでは言い切れなかったが、「今や『水に落ちた犬は打て』状態になっていまい、極端に言えば解説者や評論家は言いたい放題の傾向がなきにしもあらずだ」とは言ったが、フェニックスと日本大学の危機管理の手法には後手後手に回ってしまった恨みがあり、必要以上に「悪者感」が広まってしまったこともまた否定しきれないのが、日大側に立ってみれば残念な状態だろうとは解説するに止めた。

フェニックスと日本大学に同情的な立場を取る者としてみれば、げに恐ろしきはテレビ報道だと、あらためて実感した次第。