新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月5日 その2 近頃の女性の名前に思うこと

2018-06-05 13:50:47 | コラム
読めない名前:

昨日は男性の名前だけ採り上げたので、本日は公平を期して女性編を。

私は実は「キラキラネーム」なるものは女性の名前に限定されているのかと思っていた時期があった。それほど近頃(でもないのかも知れないが)の若い女性の名前にはどう足掻いても判読できないものが多いのだ。因みに、Wikipediaによればキラキラネームとは「一般常識から著しく外れているとされる珍しい名前(本名)に対する表現」とある。即ち、必ずしも女性の名前だけのことではないようだ。

では、女性の名前の例を挙げて見よと言われて直ちに思い浮かぶのは、女子プロゴルファーの「穴井詩(アナイ・ララ)」と「木戸愛(キド・メグミ)」に、女優の「武井咲(タケイ・エミ)」くらいのものだが、この辺りは未だお手柔らかな方である。その多くは昔懐かしき「子」を使わずに、徹頭徹尾当て字で3文字のものが圧倒的に多い。余程柔軟に頭を働かせないと判読は不可能である。

何十年も前のことだったか、精々「結佳」だの「絵里花」程度の名前が出始めた頃に、当時は未だ漫才師だったビートたけし(北野武である、念の為)が「何という名前を付けるのか。今はうら若い女子だから良いが、70~80歳にもなった頃に『結花ばーちゃん』だの『絵里花御婆様』では格好がつかないだろう」と皮肉ったことがあった。如何にもたけしらしい皮肉だった。だが、今となっては皆が同じようなキラキラネーム系ばかりとなっていては、皮肉にもならないし、何の毒もない一言になってしまった。

ここでは、私が感じる限りでは「愛」と「美」の字を使った名前が多いようだ。「愛」という字を「マナ」と読ませるのは「愛娘」などという熟語があるので、未だ何とか判読できるが「メグミ」と読ませるのには思いが至らなかった。面白いと思う現象は「茉里奈」の「茉」という字を使う名前が多いことで、不勉強な私にはこう言う字があるとは知らず、勉強になったものだった。

何れにせよ、私はこれらのような想像を逞しゅうしなければ読めないような名前や当て字を連発する名前は、現代の親御さんたちが新機軸の名前を付けて古き時代の因習を破ろうとする意図があるのだと善意で解釈するようにしてはいる。だが、それとても国語力の劣化の一つの表れとしか思えない名前が多過ぎるのが気懸かりだ。何も昔に戻って「子」を使うようにしなさいとまでは言わないが、素直に読めるようなその漢字本来の読み方の範囲内に収まるような命名をして貰いたいと願っている。

文科省の官僚たちはこういう命名の傾向をどのようにお考えなのだろうか。以前に「悪魔君」は役所が拒否したと記憶するが、これなどは未だ常識で読める。矢張り、常識の範囲内で読めるような名前にせよというような規制を設けても良いような気がするのだ。だが、それは不当な規制になってしまうのだろうか。


18年5月の新宿区の人口

2018-06-05 08:53:04 | コラム
18年5月には対前月比0.7%増加して345,284人に:

6月になってからジムで顔馴染みの飯田橋でアジア料理店を経営しているネパール人から聞いた話だが、彼は百人町/大久保界隈には魅力がないと判断し、敢えて飯田橋地区を選んだのだそうだ。魅力がないという理由は「日本語学校に通う多くの中国人等のアジア系の若者とイスラム教徒が圧倒的に多く、その連中を相手にしていては客単価が低迷するのは必至だと判断したから」だそうだった。「なるほど」と思わせる説得力があった。

要するに、「それほど低所得者としか見えない外国人が多い」と彼は言っているのだと解釈した。彼は更にこの界隈にイスラム教徒が引き続き増えている背景には「バングラデシュが国の人口と景気政策として自国民を海外の諸国に送り出しているので、その流れの中でイスラム横町が繁盛し、バングラデシュ人が働くハラルフード店兼八百屋が増えているのだ」とも解説してくれた。この説を信じるか否かは別の問題だが、彼らの店が増えているのは間違いない事実である。

私は最早何処の国から入ってきたかも解らない非白人系の外国人が増える一方である事に抵抗感も薄れたし何とも思わなくなった。だが、偶にこの地区を訪れる方々はその退廃ぶりを嘆くかその惨状に怒るかの何れかの反応を示されるのだ。私はこのような傾向は「我が国が彼らに甘く見られ、イスラム横町に見られるように好き勝手に利用されている事を表している」と考えている。誠に情けなく腹立たしい現象である。この有様では、「習近平の中国が我が国の属国化を企図しているとの説には妙な説得力がある」と感じざるを得ない。

毎回同じ事しか言えないが、業務スーパー「河内屋」では四六時中異邦人が大量に買い込んでいく勢いには「この店は何の為に、誰の為にあるのか」と疑問に感じてしまう。しかも、その隣には廃業したパチンコ屋の後に6月8日からドンキホーテの大型店が開業するのだ。思うに、これらの2店は熾烈な安売り合戦を展開して繁盛するだろうが、同時にアジア系の者たちを喜ばせることになるのではないかと予測している。

5月には区全体の人口は2,417人と大幅に増加して345,284人となった。その中で日本人は604人の増加で、301,767人となっていた。外国人は一気に1,813人も増えて43,517人となり、総人口に占める率は12.6%となった。また、対前年比4.3%の増加で、前月の12.2%から大きく伸ばしていた。

百人町/大久保界隈を東京都内どころか都外からも買い物目的で訪れるイスラム教徒は増加する一方だ。現に外交官用のナンバープレートを付けた車が常に路上駐車している。それは取りも直さず我が国に流入してくるイスラム教徒が増えていることと、この地区のハラルフード店が信頼されているのだと解釈している。私にはイスラム教徒が我が国の労働力不足に貢献しているとは到底思えない。

現に、ハラルフード店の中には「礼拝中」の札を掲げて一時的に店を閉めるところもあれば、店内でメッカの方角に向かって礼拝する者もいるのだから。彼らは我が国の暮らしやすい環境と整備されたインフラに只乗りしているだけだと思っている。私は「トランプ大統領の政策のように彼らの入国を制約すべきだ」と思う。政府には中国人のように我が国に来て買い物をする経済的な余裕があるとは考えられないのだ。

私はアジア系という表現を用いているが、その中でも圧倒的に多いのが中国人である。区内に居住する外国人の中でも中国人が第1位を占めている。次はベトナム人だそうだ。これは極論だが彼らは「同じ穴の狢」で我が国を利用しているのだ。政府も好い加減に「彼らに食い物にされている」と目が覚めても良い頃だ。

私は我が国の政府も一般人も外国人に対して甘過ぎるし、有り難がるというか、無意味な敬意を表しすぎると思う。観光で来る連中は兎も角、居住しようと狙ってくる連中は条件さえ整えば国民健康保険にも加入できるのだ。苦しい健康保険の財政状態がありながら、そこまでやる必要はない。余りにも無防備ではないか。そういう若者を留学生等のヴィザで受け入れても、我が国の経済に貢献をする訳がないのだ。政府はこういう負の面を考慮すべきだ。トランプ大統領は何処の国を指すのか知らないが、「我が国を長い年月利用してきた国があった」と言っておられた。我が国にもこれと同じ事を言うべき時がきているのではないか。

参考資料: 新宿区広報しんじゅく 平成30年6・5