新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月25日 その3 カタカナ語の批判

2018-06-25 19:56:12 | コラム
「パワーハラスメント」というカタカナ語を考える:

何年前だったか不思議に思ったのが、豊田真由子議員の罵詈雑言騒動の際に「パワーハラスメント」(=パワハラ)なるカタカナ語を誰でもが理解しているかの如くに使われたことだった。お気付きの向きもあると希望的に考えているが、こんな言葉は本当の英語にはない。マスメディアというかテレビに登場する連中は「力」という意味で「パワー」を使いたがるが、少なくともそれは英語の世界では日常的な用法ではないと思うし、不肖私はそういう意味で使った記憶すらない。カタカナ語排斥論者としては、こうのような誤った使い方を採り上げて非難しておきたい。

パワーハラスメントは広辞苑には和製語として「職場で上司がその地位や権威を利用して部下に行ういじめや嫌がらせ」とある。即ち、「パワー」を「上司」乃至は「権威」のつもりで使っているようだが、英語の powerにはそういう意味はない。これも、我が国の学校教育における英語の輝かしくない成果で、単語の知識だけを大切に教え込んだ為に生じたおかしなことだと思っている。言葉はバラバラに覚えるのではなく「流れの中でその意味を把握して記憶せよ」と繰り返して指摘して来た。

“power”をジーニアス英和で見ると「・・・に対する権力、勢力、(法的)権限、支配力(to do、政権)」が出てくる。しかも通常は複数形ともある。故に「パワハラ」のようにカタカナ語化するのには一寸違和感がある。Oxfordには先ず”CONTROL”が出てきており、the ability to control people or thingsとある。次はABILITYでthe ability or opportunity to do ~とある。この辺で十分だろうが、パワハラとは意味が違うようだ。

考えてみれば、上司がハラスメントをするのであれば、その意味の単語には「上司」を表す”superior”があるが、発音も意味も難しすぎて「パワハラ」の発案者には思いつかなかったのだろう。superiorを無理矢理にカタカナ表記してみれば「スピアリアー」辺りになるかも知れない。日常的な言葉では”boss”と言えば上司を表しているし、通常はこれを使ってきた。bossyなんていう単語もある。であれば、”boss harassment”の方が無理がないと思う。即ち、「ボスハラ」だ。欲を言えば、bossでもsuperiorでも所有格にしておきたい気もするのだが、多少違和感も残る。

何れにせよ、何でもかんでもカタカナ語化してしまう何処かの誰かの才能には敬意を表する気はないが、脅威は感じている。兎に角、こういう言葉が次から次へと出てくるのは、私は英語教育の至らなさの悲しい表れであると断じたい。英語教育に携わっておられる方は如何お考えになるだろうか。


6月25日 その2 kazk様のコメントに答えて

2018-06-25 13:46:15 | コラム
Kazk様

コメントに感謝致します。ご主張に異論は御座いませんが、私の見方を改めて申し述べてみます。

先ほど、昨夜のセネガル戦の回顧でも指摘しましたが、私は基本的に「ない実力など出る訳がない」と信じておりますので、あの引き分けは実力が十分に出た結果だと思って評価しております。大迫があの空振りをしたのも、乾の右上の角を外したシュートも、あそこまでが実力であり、あれを入れられれるほどの力はなかったと見ております。大迫は馬鹿マスコミの騒ぎすぎで、とても「半端ない」などという水準には至っていない、兵六玉程度の戦力だと認識しております。

コロンビアを徹底的に叩いて「二度と日本とはやりたくない」とギャフンと言わせようとの主張は、基本的に賛成です。これと同じことを実践されていたのが、1980年代後半の黄金時代を築いておられた故篠竹幹夫監督の指導でした。「春のシーズンには何処を相手に試合をしても一軍だけを出して10本でも何本でも取れるだけのTDを取って「二度とフェニックスとはやりたくない」と秋のシーズン前に恐怖感を植え付けておくというやり方でした。

私はあの試合は我が方にもう少し落ち着きがあれば、3~5点は取れていたと思って見ておりました。だが、残念ながら大迫や乾や衰えが目立ってきた本田では、そこまでのことが出来なかったのだと思っております。ロシアでの最初の試合だった所為もあって、未だ「自分たちが何処まで出来るか」と「コロンビアがどれほどのものか」の判断が選手たちにはあの場で判断がつかなかったのだろうと考えてやることにしました。仰せのように、明らかにマスコミどもの空騒ぎが相手を過大評価させていたと見ています。

私としてはやや我が代表を過小評価していたことを反省せねばなるまいかと考えております。自分では「サッカーでは経験がものを言う場合が多々ある」と思っていながら、香川、長友、本田、長谷部、岡崎を入れるべきか悩みますが、彼らの経験が有効だったと評価します。同時に、吉田、昌子、酒井宏樹に長友を加えたバックスは安定感がある守りをしていたのは、試合に大きな貢献をしたと評価します。但し、酒井は攻めに回った時に雑すぎるというかお粗末で、要改善でしょう。長友は信頼して良いでしょう。

残されたポーランド戦ですが、予選落ちした国が果たして名誉を挽回すべくシャカリキになってかかってくるのか、投げやりであるかで大きく変わってくるでしょう。そういう相手と何処まで平常心でやれるかが勝敗を左右すると思います。私はここでは大迫を下げて武藤を使ってみたい気がするのですが、高校から慶応という上品すぎる育ちが一寸気になります。慶応のOBたちの彼に対する評価は極めて高いので、西野監督に一度は使って見せて欲しいのです。

冷静なる評論家が見た対セネガル戦

2018-06-25 08:30:23 | コラム
「勝てた試合だった」と言うのは早計:

我が代表は非常に落ち着いていたように見え、言わば平常心でサッカーをしていたのは大いに良かったと思う。その結果として2度もリードされながらちゃんと追い付いて見せた辺りは長友、香川、長谷部、本田、岡崎といったW杯経験者たちが何とか持てる力を発揮したからだとは思う。だが、勝てそうに見せて勝ちきれなかったのは「実力は未だにあそこまで止まりだった」ということだ。「勝てる相手だった」というのは幻想に過ぎないと思う方が無難だ。

そうは言うが、あそこまで出来たのは立派だったと褒めて良いと思う。私は事前にセネガルのサッカーを見ていなかったので、どれほどのものかを知らなかった。承知していたのはマスコミの言う「強い」、「早い」、「高さがある」(奇妙な日本語だと非難する)程度だった。だが、試合が始まってみれば5分も経たない間に「単なる身体能力ショーを演じているだけの内容がないサッカーをやっているだけで、大したものではない」との評価になった。換言すれば「恐るるに足らず」ということ。

より具体的にいえば「乱暴な後からの当たりを多用する乱暴なサッカーであり、個人技というか個人のスピードが頼りの組織力がない攻めしか出来ない」となるだろう。全員が欧州のリーグ所属というマスコミの触れ込みだったが、所詮は欧州のリーグの二軍程度の者ばかりと見た。では我が方はどうかと正直に言えば「欧州のリーグ所属の者たちが主体だが、本当の意味での一本目をずっと張り続けたのは長谷部と長友だけとも言える、言わば欧州の二軍である点は同じかとも見ていた。

私はサッカーのような団体競技では所謂「アナ」と評価したいような者を出すと、その欠陥がここぞという時に致命的な失態を演じて敗因になる」と信じているし、そういうことで負けた経験もしてきた。何でこんな事をいうのかと言えば、毎度指摘して来た「何故ヘボなGKの川島を使うのか」で、あのパンチングの失敗で先取点を与えてしまったこと批判したいのだ。あれは西野監督の痛恨の選手起用の失敗である。何度も言ってきたが「川島の特長は『鬼面人を驚かす』という怖い顔だけ」に過ぎないのだ。

川島以外は概ね持てる力を相当以上発揮して、セネガルに「こんなはずじゃなかった」と思い込ませ焦らせていたと思う。彼らがあれほど後から無用な当たりをして反則を多発したのは、取りも直さず焦りの表れであり、懸念していた我が方の得意技であるデイフェンス陣間の横、横、後の消極的なパス回しをインターセプションを狙って前線から追いかけてこなかったのは、それほど警戒していたのだろう。セネガルは後半に多少ゲームプランを修正してきた感があったが、それもさほど効果がなかったと思う。

では何故引き分けに終わったかを考えて見よう。それは「半端ない」という下品な形容句がつく大迫君はオフエンスという点では中途半端で役に立っていなかったという点を先ず挙げておきたい。既に述べたが、私は大迫をそれほどの選手として評価していない。昨夜も右から入ったゴールエリアを横断する絶好のセンターリングにフリーで飛び込んで空振りをするという大失態を演じた。あのような逸機をすると言うことは往々にして敗戦の原因になると、居合わせたフットボールの専門家と語り合っていた。

そういう失敗を後半に乾も演じていた。それも左サイドからフリーでフワッと揚げた感じのシュートが反対側のバーとポストの角に当たって入らなかったという失態である。大迫とともには絶好の機会を逃したので危ないと言っていたら、案の定2点目を取られてしまった。嫌な流れだったが、我が選手たちは冷静だった。そこに何故か西野監督は私が嫌う交替で香川に変えて本田を入れてきた。後半になって香川に珠が回ってこなくなっていた起点になっていなかったのは確かで、岡田武史もそう指摘していた。

しかし、その本田の起用が当たったのだから勝負とは解らないものだ。ペナルティー・エリア内で左から乾が(後になって「誰かいてくれと思って戻した」と回顧した)折り返したパスが上がってきていた本田の真正面に来て綺麗に決めたのだった。しかも、セネガルのGKは判断が悪く飛び出して岡崎と重なって倒れていたので、ゴールは無人状態だった。点が取れる時はこんなものだということ。

私は持てる力を相当以上出せた良い試合振りだったと評価している。何度でも言うが「あそこまで出来ても勝ちきれなかったような大迫と乾の失敗があったのが、偽りのない実力だと評価するのが順当だ」ということ。残されたポーランド戦は相手が既に予選落ちが決まってしまった以上、どう出てくるか解らないので、昨夜以上の揺るがぬ精神状態で当たらないと「九仞の功を一簣にかく」ことになりかねない。兎に角、昨夜は「引き分けは残念だったが、良くやった」と褒めて終わる。