カタカナ語排斥論者は言う:
有り難いことに、私のカタカナ語論に賛同して下さる投稿が渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」にあったので、この際思いついたことを纏めてみた次第。カタカナ語の濫用は将に我が国の英語教育の至らなさを悲しいまでに表していると思う。
私のカタカナ語論を振り返ってみますと、話の中に英語を元のままの発音でカタカナ語化して使う旧三井物産出身の役員のキザっぽさが嫌らしいなと思った辺りが始まりでした。勿論彼だけではありませんが、昭和30年代初期にはそういう人が出始めていました。だが、実際にそのような批判めいたことを書いて活字になったのは1990年からでした。当時書いたのは「格好を付けて如何にも近代的でスマートだと思わせているような言葉遣いは採らない。そんな近代性やスマートさは不要だ」だったと思います。
また、1975年にW社に転じてから言わば支配階層の英語を厳しく教えられた12歳年下のワシントン大学出身のMBAには「話し言葉の中に英語の発音そのままにして入れるのは最低だ。ここが日本である以上、嫌でもカタカナ語化した発音で入れるべきだ」と、日系カナダ人の副社長秘書を批判したのを聞いて「なるほど」と納得させられました。
私の当初のカタカナ語論の元は「英語の方から考えてその使い方はおかしい」という発想だったと思います。そこから探求していく間に、余りにも言葉の誤用や誤った読み方やおかしな造語が多いことに気が付いたという次第です。これらの誤りは英和辞典を引けば直ぐに解る程度の単純な例が多いのが、我が国の好ましくない英語教育の情けない産物だと決めつけてきました。
そこにマスコミ、特にテレビで使いまくっている奇妙なカタカナ語が増え続け、それを罪なき大衆が真似るので益々増えてきたと思っております。例に挙げられた「レガシー」などは誤用ではないだけでも未だマシですが、マスコミの連中の程度が低いのには呆れるだけです。
気に入らない例は沢山採り上げてきましたが、今まで本格的に批判しなかった例に「アップ」と「ダウン」の濫用があります。ダウンはそれほどでもないのですが、アップは酷すぎます。「イメージアップ」、「レベルアップ」、「パワーアップ」等々は完全に日本語としての戸籍を得てしまいました。イメージアップなどは和英辞書を見るとチャンと英語の評点が出て来る始末です。更に言えば、何故「パワー」とカタカナ語を使う必要があるのかとなります。
お断りするまでもなく up も downも動詞ではなく前置詞か副詞です。それを日本語が持つ高い融通性が災いして、恰も動詞であるが如き複合語を作ってしまったのです。英語にすれば improve か grade upか up-gradeのような意味に使うのが恐ろしいのです。Downの例は少ないと言いましたが「プライスダウン」などという表示は小売店で平気で使われています。「値下げ」は discountか精々 price reductionでしょうが。これなどは「単語重視」の教育が全く役に立っていない悲しい例だと思います。
私はこれだけの例では不足かも知れませんが、この世の英語教師たちと文部科学省の担当部署に心の底からの反省を求めたいと思っております。英語を正しく教えておけば、乃至はキチンと勉強してあれば、奇妙なカタカナ語は生まれなかったはずです。それにも拘わらず、大学入試センターの試験をTOEIC等で代用すると言い出すのですから救いがありません。
有り難いことに、私のカタカナ語論に賛同して下さる投稿が渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」にあったので、この際思いついたことを纏めてみた次第。カタカナ語の濫用は将に我が国の英語教育の至らなさを悲しいまでに表していると思う。
私のカタカナ語論を振り返ってみますと、話の中に英語を元のままの発音でカタカナ語化して使う旧三井物産出身の役員のキザっぽさが嫌らしいなと思った辺りが始まりでした。勿論彼だけではありませんが、昭和30年代初期にはそういう人が出始めていました。だが、実際にそのような批判めいたことを書いて活字になったのは1990年からでした。当時書いたのは「格好を付けて如何にも近代的でスマートだと思わせているような言葉遣いは採らない。そんな近代性やスマートさは不要だ」だったと思います。
また、1975年にW社に転じてから言わば支配階層の英語を厳しく教えられた12歳年下のワシントン大学出身のMBAには「話し言葉の中に英語の発音そのままにして入れるのは最低だ。ここが日本である以上、嫌でもカタカナ語化した発音で入れるべきだ」と、日系カナダ人の副社長秘書を批判したのを聞いて「なるほど」と納得させられました。
私の当初のカタカナ語論の元は「英語の方から考えてその使い方はおかしい」という発想だったと思います。そこから探求していく間に、余りにも言葉の誤用や誤った読み方やおかしな造語が多いことに気が付いたという次第です。これらの誤りは英和辞典を引けば直ぐに解る程度の単純な例が多いのが、我が国の好ましくない英語教育の情けない産物だと決めつけてきました。
そこにマスコミ、特にテレビで使いまくっている奇妙なカタカナ語が増え続け、それを罪なき大衆が真似るので益々増えてきたと思っております。例に挙げられた「レガシー」などは誤用ではないだけでも未だマシですが、マスコミの連中の程度が低いのには呆れるだけです。
気に入らない例は沢山採り上げてきましたが、今まで本格的に批判しなかった例に「アップ」と「ダウン」の濫用があります。ダウンはそれほどでもないのですが、アップは酷すぎます。「イメージアップ」、「レベルアップ」、「パワーアップ」等々は完全に日本語としての戸籍を得てしまいました。イメージアップなどは和英辞書を見るとチャンと英語の評点が出て来る始末です。更に言えば、何故「パワー」とカタカナ語を使う必要があるのかとなります。
お断りするまでもなく up も downも動詞ではなく前置詞か副詞です。それを日本語が持つ高い融通性が災いして、恰も動詞であるが如き複合語を作ってしまったのです。英語にすれば improve か grade upか up-gradeのような意味に使うのが恐ろしいのです。Downの例は少ないと言いましたが「プライスダウン」などという表示は小売店で平気で使われています。「値下げ」は discountか精々 price reductionでしょうが。これなどは「単語重視」の教育が全く役に立っていない悲しい例だと思います。
私はこれだけの例では不足かも知れませんが、この世の英語教師たちと文部科学省の担当部署に心の底からの反省を求めたいと思っております。英語を正しく教えておけば、乃至はキチンと勉強してあれば、奇妙なカタカナ語は生まれなかったはずです。それにも拘わらず、大学入試センターの試験をTOEIC等で代用すると言い出すのですから救いがありません。