テレビ局の軽佻浮薄さの象徴だ:
現代ではテレビ局が使う言葉がそのまま一般人(これもおかしな言葉遣いで、我々が芸人と対極にあるとでも見做しているかと思うと腹立たしい)が知らず知らずの間に使って普及させているように見ている。テレビ局は私のような昭和一桁生まれにはとても受け入れがたい俗悪な言葉を乱発・濫用している。私には彼らテレビ局の連中の軽佻浮薄さに嫌悪感を覚えている。
今や我が代表がグループリーグを通過できるかどうかの境目にまで来たW杯のサッカーや野球の中継などで屡々聞こえてくる「ベンチスタート」か「ベンチからのスタート」という表現は、私は好ましくないと思っている。敢えてカタカナ語を使って言い換えてみれば「スターテイング・メンバーから外されたか、落とされた」と言えば良いのにと考えている。思うに、テレビ局は補欠に回された選手たちに無用な気遣いをしているとしか思えないのだ。私にはこれら二つの言い方は奇妙だと切り捨てたい。
これ以外に最近何となく流行っている表現に「真逆」というのがある。これは私が長年使っている電子辞書の広辞苑には未だ載っていない。誰が如何なる理由で使い始めたのか知らないが、「正反対」で何故いけないのか。テレビに出てくる知識人乃至は文化人風の方々も躊躇わずに「真逆」を使うのはテレビ局の意向を忖度したのかと疑っている。
他に気が付いた気に入らない言葉遣いの例を挙げてみれば、所謂「食レポ」(これなどはテレビ業界の隠語、即ちスラングだろうと思うが)などでは「野菜がゴロッと入ったカレー」などという具合に「ゴロッと」というのが出てくる。私には下品だとしか聞こえない。「~さんが完食」というのは珍しくも漢字が使われているが「全部食べました」ではいけないのかと不思議に思ってしまう。芸人どもが使う「マジっすか」や「ガチで」等も下品の部類に入れたいイヤな表現だ。正直なところ、当方には「ガチ」という言葉の意味は解らないのだ。彼らは日本中の誰でもが解ると思っているのか、それとも下品でイヤだと思う当方の感覚が古いのか。
スポーツ関連で気に入らないのが、身長が高いか跳躍力に優れている選手の動きを形容して「高さがあります」との表現だ。「身長が高いことを活かして」とか「素晴らしい跳躍力を見せた」と具体的に伝えるのがアナウンサーか説明者(解説者とも言うが)の使命ではないのか。これなどはテレビ局には「スポーツ中継用語集」でも準備されていて、出演者に使えと強制されているのか疑っている。
ヴァレーボールやサッカーで何人かの選手が並んで防御の態勢を取ることを「何人」と言わずに「~枚」とアナウンサーが言うのも気に入らない。これもその競技種目におけるスラングだと思う。それをアナウンサーが嬉しそうに使う必要があるのか。更に言えば「人間を紙のように言うな」と叱責したい。
政治の面では以前にも取り上げて批判したが、英語の”bilateral”(=2国間の)という意味の言葉を政治家どもが頭の部分だけ採って「バイで」などとカタカナ語化しているのも不見識だと非難したい。政治記者でもない私には何のことか理解できなかった。言わせて貰えば、政治家とマスコミの独りよがりだ。二国間交渉であれば、そう素直に言えば良いことではないか。これなども政界の俗語か隠語即ち”slang”であるのだから、公共の電波を使って言って欲しくない。「知ったかぶりするな」と言いたくなる。事の序で言っておくが、「一方だけ」か「単独の」は”unilateral”と言う。だが、何故か「ユニ」という隠語はないようだ。
こういう種類の俗語か隠語に属する言葉は他にも沢山使われていると思うが、今回は昨年の今頃に採り上げたものに加筆訂正してみた次第だ。思いついただけでもこれだけあった。テレビ局も芸人も政治家もこういう種類の言葉を得意げに使う必要などないと思うのだが、如何なものだろう。カタカナ語排斥論者の私から言わせて貰えば、それでもカタカナ語よりは罪は重くないとは思うのだ。
現代ではテレビ局が使う言葉がそのまま一般人(これもおかしな言葉遣いで、我々が芸人と対極にあるとでも見做しているかと思うと腹立たしい)が知らず知らずの間に使って普及させているように見ている。テレビ局は私のような昭和一桁生まれにはとても受け入れがたい俗悪な言葉を乱発・濫用している。私には彼らテレビ局の連中の軽佻浮薄さに嫌悪感を覚えている。
今や我が代表がグループリーグを通過できるかどうかの境目にまで来たW杯のサッカーや野球の中継などで屡々聞こえてくる「ベンチスタート」か「ベンチからのスタート」という表現は、私は好ましくないと思っている。敢えてカタカナ語を使って言い換えてみれば「スターテイング・メンバーから外されたか、落とされた」と言えば良いのにと考えている。思うに、テレビ局は補欠に回された選手たちに無用な気遣いをしているとしか思えないのだ。私にはこれら二つの言い方は奇妙だと切り捨てたい。
これ以外に最近何となく流行っている表現に「真逆」というのがある。これは私が長年使っている電子辞書の広辞苑には未だ載っていない。誰が如何なる理由で使い始めたのか知らないが、「正反対」で何故いけないのか。テレビに出てくる知識人乃至は文化人風の方々も躊躇わずに「真逆」を使うのはテレビ局の意向を忖度したのかと疑っている。
他に気が付いた気に入らない言葉遣いの例を挙げてみれば、所謂「食レポ」(これなどはテレビ業界の隠語、即ちスラングだろうと思うが)などでは「野菜がゴロッと入ったカレー」などという具合に「ゴロッと」というのが出てくる。私には下品だとしか聞こえない。「~さんが完食」というのは珍しくも漢字が使われているが「全部食べました」ではいけないのかと不思議に思ってしまう。芸人どもが使う「マジっすか」や「ガチで」等も下品の部類に入れたいイヤな表現だ。正直なところ、当方には「ガチ」という言葉の意味は解らないのだ。彼らは日本中の誰でもが解ると思っているのか、それとも下品でイヤだと思う当方の感覚が古いのか。
スポーツ関連で気に入らないのが、身長が高いか跳躍力に優れている選手の動きを形容して「高さがあります」との表現だ。「身長が高いことを活かして」とか「素晴らしい跳躍力を見せた」と具体的に伝えるのがアナウンサーか説明者(解説者とも言うが)の使命ではないのか。これなどはテレビ局には「スポーツ中継用語集」でも準備されていて、出演者に使えと強制されているのか疑っている。
ヴァレーボールやサッカーで何人かの選手が並んで防御の態勢を取ることを「何人」と言わずに「~枚」とアナウンサーが言うのも気に入らない。これもその競技種目におけるスラングだと思う。それをアナウンサーが嬉しそうに使う必要があるのか。更に言えば「人間を紙のように言うな」と叱責したい。
政治の面では以前にも取り上げて批判したが、英語の”bilateral”(=2国間の)という意味の言葉を政治家どもが頭の部分だけ採って「バイで」などとカタカナ語化しているのも不見識だと非難したい。政治記者でもない私には何のことか理解できなかった。言わせて貰えば、政治家とマスコミの独りよがりだ。二国間交渉であれば、そう素直に言えば良いことではないか。これなども政界の俗語か隠語即ち”slang”であるのだから、公共の電波を使って言って欲しくない。「知ったかぶりするな」と言いたくなる。事の序で言っておくが、「一方だけ」か「単独の」は”unilateral”と言う。だが、何故か「ユニ」という隠語はないようだ。
こういう種類の俗語か隠語に属する言葉は他にも沢山使われていると思うが、今回は昨年の今頃に採り上げたものに加筆訂正してみた次第だ。思いついただけでもこれだけあった。テレビ局も芸人も政治家もこういう種類の言葉を得意げに使う必要などないと思うのだが、如何なものだろう。カタカナ語排斥論者の私から言わせて貰えば、それでもカタカナ語よりは罪は重くないとは思うのだ。