新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月9日 その2 非核化とはDPRKだけか韓半島か

2018-06-09 16:17:33 | コラム
アメリカ対DPRKの首脳会談の最大にして最重要課議題:

「非核化」(=denuclearization)こそが最重要な議題である事は論を待たないと思う。アメリカ側でもDPRK側でも世界中でも、如何にしてDPRKを非核化させるかが論じられているし、マスコミも大きく採り上げている。この点に関しては私でさえも解ることで「何時、何処で、誰が、どのようにして非核化が完了したと認定できるのか」(この辺りが巷間伝えられているCVIDの“V”の部分)即ち verify のところだろう。

一口に「非核化」とは言うが、一体「DPRKにどれほどの核兵器乃至は核実験用の施設があるか」を「何処の国かUNかが非核化かの作業開始の前に、どのようして調査するのだろうか。アメリカ乃至はUNにでも極秘に調査した資料が完備しているのだろうか。またはDPRKの自主申告に依存するのだろうか。非常に重要な事柄だと思うが、私には何処かにある何を排除するのかなと思う以外は、皆目見当もつかない。

また、“V”即ち、verify という作業乃至は verification の作業は、何処の国乃至はどの機関が担当するのだろうか。DPRKは以前にIAEAを排除したかの記憶があるが、今回はトランプ大統領はそういう細部までお決めになる予定で会談に臨まれるのだろうか。DPRKといえども主権国家である。事前の取り決め無しにアメリカ乃至は第三国かUNの調査団を「はい、そうですか」と受け入れるのだろうか。仮にアメリカ一国だけの調査と作業に合意されたとして、アメリカにそこまでの態勢が直ちに整うのだろうか。

更に、具体的に核兵器なり何なりをDPRKから排除する段階に至ったとして、何処でどのようにして非核化するのかなどは単なる一市民に過ぎない私には見当もつかないのだ。国外に運び出すことなど政治的にも物理的に可能とは考えにくいのである。中国にでも受け入れて貰うとでの言うのだろうか。疑問に思わざるを得ないのだが。国内で破壊することなどもあり得ないとも思うのだが、如何なものだろうか。

何れにせよ、「非核化」を開始すれば、制裁なるものもUNのSecurity Councilが作業開始ともに直ちに解除に合意するものなのだろうか。いや、どの時点で誰が「解除しても良し」と認定するのだろうか。私でもアメリカは非常に難しい問題に敢えて挑戦して抱えたものだと思案している次第だ。しかも、報道によれば「金正恩委員長は核兵器の放棄の代償に『体制の維持』を望んでいる」とのことだが、トランプ大統領は何時如何なる時点で、如何なる根拠で「維持」を承認する予定なのだろうか。

今や「蚊帳の外」なる我が国が置かれているかの如き立場を表現する言葉をマスコミが好んで用いるが、私はトランプ大統領と金正恩委員長の歴史的な首脳会談の落ち着く先乃至は結果などとは全く縁もゆかりもない、蚊帳の中に入ったこともない一日本国民に過ぎない。だが、上記のように一寸考えただけでも、「非核化」には非常に複雑で且つ難しい決定を必要する事案が数多く含まれているものだと思わざるを得ないのだ。この複雑さをトランプ大統領は「快刀乱麻を断つ」が如くに解決されることを願うだけだ。



冷静なる評論家は静かに怒る

2018-06-09 08:26:06 | コラム
大谷翔平君が心配になった:

Angelsは「大谷翔平を右肘内側側副靱帯の損傷により、故障者リスト入りさせる」と発表したそうだ。私は以前にアメリカのような我が国とは文化が異なるビジネス社会では「良い条件を提示されて転進したような場合に、その条件に相応しいような実績を挙げなければとばかりに張り切って多少無理をすることになる。その結果、暫くすると息切れがして続かなくなるので、心身ともに要注意だ」と指摘してあった。

そこで気懸かりなことは、ベーブ・ルース以来と持て囃される two way に挑戦している大谷君は無理をしたのではないかということ。

経験からも言えるのだが、異人種と異文化の世界に入っていくことは、その当初は緊張もしているし、気も張り詰めているから容易に自覚できないのだが、かなり自分に鞭打って知らず知らずの間に無理をしているものなのである。また、それくらいでなければ上司と周囲からの期待と年俸に見合う働きは出来ないと思っていても良いだろう。それに、我が国からアメリカに渡れば、言葉と文化(言語・風俗・習慣・思考体系)の違いは意識した以上にジワジワと効いてくるものなのである。

しかも、大谷翔平君の場合は、我が国のマスコミの fake news で、如何にもアメリカ全土で有名になってしまったかのようだったが、そんなことはない。それはそれとして当初はホームランも打つは160 kmの速球も投げるわで話題性も十分だったので、「もっともっとやらねばなるまい」と頑張ったのではないかと容易に想像できる。その気象条件をも含めた不慣れな環境下での大活躍が、知らず知らずの間に肘にも負担になっていたのかも知れないと考えている。

私如きが彼にかける言葉もないが、敢えて言えば「未だ未だ先が長いことだから、無理することなく異文化の環境に極力順応していくよう努力したら良いだろう。君のファンの誰もが、君が毎日ホームランを打ち、毎日アメリカのバッターをなぎ倒すとは期待していないはずだ。ユックリ休んで故障から立ち直ろう」くらいのものだ。

変わり映えしないサッカーW杯代表:

9日の朝は偶々異様に早く目が覚めてしまったので、スイス代表との試合を後半の10分頃から見てしまった。残念のようで残念でもなかったことは、相変わらず決定的な点を取る形を作れず思い切ったシュートもなく、25分頃だったかにアナウンサーに「後半に入ってからシュートがありません」と言われてしまった点だった。相変わらず無意味にバックワードパスをするは、後陣でのパス回しに専念するサッカーをやっていた。と言ったら気の毒で、そういう形に追い込まれることが多かったと言うべきか。

そういうパス回しをしているのでは、相手は全員が悠々と守備体制を整えて待っている形になってしまうのだ。それにも拘わらず、前線にいる者が一向にフリーなる努力や動きをしないのだから、シュートなど打てるチャンスが訪れないのは当然だ。換言すれば、相手の守りを崩す形にならないのだ。要するに、何時まで経っても「パス回しの為のパス」をしているだけだということ。この形は監督を替えたくらいで変わる性質ではないと、あらためて痛感させられた。

マスコミ報道では、西野監督はこれと次の試合で23人全員を使うとの意向を表明されたそうだが、香川真司などは残り15分ほどのところで出してきたのではどれほど意味があるかは不明だ。また、岡崎は前半に出したのかどうか知らぬが最後まで使われなかった。本田はずっと出ていたが、最早スピードの無さは致命的だし、中盤のつなぎにもならず、決定的なパスも出せずでは、何の為に選んだのかとの疑問も出るが、落とされた若手は彼以下の水準にあったのかとも考えさせられた。

兎に角、「貪欲に自分が決めてやろう」という目立ちたがり屋もおらず、ただひたすら「良いパスを回して繋ぐこと」がサッカーだとでも思っている連中ばかりではどうにもならないのではないかと怒っていた。僅かにやる気を感じさせてくれたのが長友と長谷部だけだったので、眠気を堪えて遺憾に思っていた。