日本大学フェニックスの出場停止解除されず:
この件は先月の29日からPCもなくテレビもろくに見ず、新聞も読まない状態で夏休み中だった私でも掌握していた。長年のフェニックス支持者として簡単に感想を言えば「残念至極」とする以外なかった。実は、ご記憶の向きもあるかと思うが、私はこの件が発生した直後には「最悪の場合日本大学フェニックスの秋のリーグ戦出場辞退で関東大学1部リーグのトップ8からビッグ8(以前の2部)転落もあり得る」と予測していた。だが、そういう事態に至らないことを望んでいたのは言うまでもないこと。
しかしながら、テレビ、特にフジテレビのバイキングを中心にしたマスメディアが、この件に寧ろ異常とも思える興味と関心のほどを示して深く追求し始めたのだった。その矛先は徐々にフェニックスから離れてと言うか巻き込んでというべきか、日本大学本体の運営の実態と田中理事長の独裁体制というか内田前監督(前常務理事)等の側近を重用する態勢の暴露と非難に向かって行ったのだった。
私は34もあると言われている保健体育審議会の組織の中の一部であるフットボール部が、親善試合の中で内田前監督の常識では考えられないような指示で犯した一つの(悪質な)プレーに決着を付ければ終わるのではないかとすら考えていた。だが、あれよあれよという間に日本大学全体の病巣を追及するかのような報道合戦にまで発展して行ってしまったのは予想外だったし不当だと思っている。確かに内田前監督の対応が極めて不手際だったし、要らざるところで井ノ口前理事(兼コーチ)の口止め工作が暴露された等々の悪材料が重なっていったのも事実だった。
それに加えて、後継監督の選任に当たって日本大学のOB以外などという条件が(井ノ口氏の思惑によって、と報じられたが)付けられた為に必要以上に手間取り、その為の委員会まで設置されてしまった。そこで、後任の監督という名の責任者不在のままの状態他続き、全ての懸案事項が一向に進捗していないように、単なる一フェニックス支持者に過ぎない私にまでも、見えてくる事態となっていたようだ。
その責任者不在の状態で作成され学連に提出された改革案と再発防止策がスンナリと受け入れられなかったのも、致し方なかったかのように思えてならない。しかも、折角委員会が選任した橋詰功氏は未だに内定の状態から脱し切れていないようにしか見えないのでは、日本大学当局はどれほど真剣にこの件に取り組んでいるのだろうかと疑わざるを得ない。私は大塚学長がいみじくも述べられた「本学は学長の私が出て行っているのに、関西学院大学は鳥内監督と小野ディレクターしか表面に出てこられていない」辺りに、この問題の鍵の一つがあるように思えてならない。
マスコミの「田中理事長出でよ」との呼びかけは一聴尤もらしいが、我が国独自の文化である「謝罪」さえすれば全てが水に流されてしまうという「謝罪乃至は釈明の記者会見こそが万能である」という域を出ていないような気がする。報道によれば、全くフェニックスが巻き起こした件に関心を示しておられない理事長がイヤイヤながら記者会見をされることにどれほどの意義があるのかは、私には不明である。そんなことよりも、次のフェニックスの責任者を今日まで不在にした責任を大学当局が負うべきだとすら考えているのだが。
私は監督学連の決定にも疑問の余地はあると思う。田中理事長が責任ある態度を示さなかったことであるとか、改革案に突っ込みが不足だと言うのならば、日本大学以外の15校が「絶対に悪質なプレーはぜずに真にフェアーなフットボールをするという保証なり確約を示した上で、日大フェニックスには未だに危険性が残っていると言わざるを得ない余地が残っているから出場停止を解除しない」というような条件を明示して欲しかった。あの柿沢会長(立教大学OB)の涙ながら(に見えたが)の「解除せずの声明は何だったのか」と問いかけたくなった。
このような次第で、私が当初に予測したいたのと結果的には同じになってしまったのは誠に残念だし遺憾である。何処かの局で誰だったかの記憶もないが「内田前監督の言いなりでA選手だけの問題にしてしまった残る部員も何もしなかったのは云々」とほざいていた者がいたが、関東大学の1部にあるような運動部に監督に練習中や試合中に物申したり、反対行動を取るようなことが出来る訳もないし、企てる者が出てくるのだったらお目にかかりたいものだ。
彼らは何かと言えば「コミュニケーションが云々」と言うが、運動部という集団の組織の在り方を本当に心得ていれば、かかる雑音が出てくることはないと私は信じている。彼らマスコミとても内田監督(当時)に指揮下にある学生がそういう行為に及べないことくらい承知していただろうに。私は内田氏を排除したことが最善の再発防止策だったと今でも信じている。100数十名の部員がくじけることなく橋詰功新監督の指揮の下に再起してくれることを祈って終わる。
この件は先月の29日からPCもなくテレビもろくに見ず、新聞も読まない状態で夏休み中だった私でも掌握していた。長年のフェニックス支持者として簡単に感想を言えば「残念至極」とする以外なかった。実は、ご記憶の向きもあるかと思うが、私はこの件が発生した直後には「最悪の場合日本大学フェニックスの秋のリーグ戦出場辞退で関東大学1部リーグのトップ8からビッグ8(以前の2部)転落もあり得る」と予測していた。だが、そういう事態に至らないことを望んでいたのは言うまでもないこと。
しかしながら、テレビ、特にフジテレビのバイキングを中心にしたマスメディアが、この件に寧ろ異常とも思える興味と関心のほどを示して深く追求し始めたのだった。その矛先は徐々にフェニックスから離れてと言うか巻き込んでというべきか、日本大学本体の運営の実態と田中理事長の独裁体制というか内田前監督(前常務理事)等の側近を重用する態勢の暴露と非難に向かって行ったのだった。
私は34もあると言われている保健体育審議会の組織の中の一部であるフットボール部が、親善試合の中で内田前監督の常識では考えられないような指示で犯した一つの(悪質な)プレーに決着を付ければ終わるのではないかとすら考えていた。だが、あれよあれよという間に日本大学全体の病巣を追及するかのような報道合戦にまで発展して行ってしまったのは予想外だったし不当だと思っている。確かに内田前監督の対応が極めて不手際だったし、要らざるところで井ノ口前理事(兼コーチ)の口止め工作が暴露された等々の悪材料が重なっていったのも事実だった。
それに加えて、後継監督の選任に当たって日本大学のOB以外などという条件が(井ノ口氏の思惑によって、と報じられたが)付けられた為に必要以上に手間取り、その為の委員会まで設置されてしまった。そこで、後任の監督という名の責任者不在のままの状態他続き、全ての懸案事項が一向に進捗していないように、単なる一フェニックス支持者に過ぎない私にまでも、見えてくる事態となっていたようだ。
その責任者不在の状態で作成され学連に提出された改革案と再発防止策がスンナリと受け入れられなかったのも、致し方なかったかのように思えてならない。しかも、折角委員会が選任した橋詰功氏は未だに内定の状態から脱し切れていないようにしか見えないのでは、日本大学当局はどれほど真剣にこの件に取り組んでいるのだろうかと疑わざるを得ない。私は大塚学長がいみじくも述べられた「本学は学長の私が出て行っているのに、関西学院大学は鳥内監督と小野ディレクターしか表面に出てこられていない」辺りに、この問題の鍵の一つがあるように思えてならない。
マスコミの「田中理事長出でよ」との呼びかけは一聴尤もらしいが、我が国独自の文化である「謝罪」さえすれば全てが水に流されてしまうという「謝罪乃至は釈明の記者会見こそが万能である」という域を出ていないような気がする。報道によれば、全くフェニックスが巻き起こした件に関心を示しておられない理事長がイヤイヤながら記者会見をされることにどれほどの意義があるのかは、私には不明である。そんなことよりも、次のフェニックスの責任者を今日まで不在にした責任を大学当局が負うべきだとすら考えているのだが。
私は監督学連の決定にも疑問の余地はあると思う。田中理事長が責任ある態度を示さなかったことであるとか、改革案に突っ込みが不足だと言うのならば、日本大学以外の15校が「絶対に悪質なプレーはぜずに真にフェアーなフットボールをするという保証なり確約を示した上で、日大フェニックスには未だに危険性が残っていると言わざるを得ない余地が残っているから出場停止を解除しない」というような条件を明示して欲しかった。あの柿沢会長(立教大学OB)の涙ながら(に見えたが)の「解除せずの声明は何だったのか」と問いかけたくなった。
このような次第で、私が当初に予測したいたのと結果的には同じになってしまったのは誠に残念だし遺憾である。何処かの局で誰だったかの記憶もないが「内田前監督の言いなりでA選手だけの問題にしてしまった残る部員も何もしなかったのは云々」とほざいていた者がいたが、関東大学の1部にあるような運動部に監督に練習中や試合中に物申したり、反対行動を取るようなことが出来る訳もないし、企てる者が出てくるのだったらお目にかかりたいものだ。
彼らは何かと言えば「コミュニケーションが云々」と言うが、運動部という集団の組織の在り方を本当に心得ていれば、かかる雑音が出てくることはないと私は信じている。彼らマスコミとても内田監督(当時)に指揮下にある学生がそういう行為に及べないことくらい承知していただろうに。私は内田氏を排除したことが最善の再発防止策だったと今でも信じている。100数十名の部員がくじけることなく橋詰功新監督の指揮の下に再起してくれることを祈って終わる。